いったいこの夭折の画家をなんと形容すればよいのだろうか。
代表作「眼のある風景」に日本のシュルレアリズムの代表作を見る人もいる。
しかしこの作品はもともと「風景」で具体的なものを描いていたのが、塗ったり削ったりしているうちに抽象的なものになったのだという。
画家の名前は愛光、新聞販売店のチケットでその回顧展を国立近代美術館に観に行く。
初期のころからこの人は「午前の絵と午後の絵では作風が違う」といわれたように模索の時期が続いたようだ。
同じ年に制作された作品もルオー的なものがあり、ゴッホ的なものがある。
1936には上野の動物園でライオンに出会い活路を見出したとあるが、この人の作品の中で一番大きい「シシ」という作品は何かの塊には見えるがライオンにはとてもみえない。
そのうち静物画をやるようになる、昼間でも雨戸を閉め切って電灯の明かりで描くなど尋常ではないが、戦争に突入する時代「生と死」がモチーフになっていることは想像がつく。
死んだ鳥と生い茂る植物を画題にした作品が二点展示されている。
それからこの人は墨を使って日本画の伝統にも優れていることをはじめて知った。
展示80と81「末松一一氏の像」「畠山雅介の像」などそのことをよく示している。
展示は墨を使った作品もたくさん出ている、油絵のように試行錯誤がなく即興的な面もうかがえる。
かくして晩年1943,1944の自画像三点にたどりつく。
これらの作品を時代への「抵抗の画家」と見据える意見もあるがカタログを読むといろいろ議論がでていることがわかる。
実際画家はこれら自画像においても顔の位置を何度も修正したり、X線画像では胸の前に手が置かれていたのを修正したという。
画家はここでも試行錯誤していたのだ!
こうなると愛光という画家は独自の様式にたどり着く前に亡くなってしまったきわめて不幸な画家といわなければなるまい。
この展覧会は普通に入場券を購入したら千三百円もするーはたしてそれだけの価値のある展示内容か疑問に思えた。
なおこの展覧会は宮城と広島に巡回します。