たとえば昭和20年に描かれた「早乙女」という作品をとりあげよう。
田植えをしている五人の女性をやや上空から描いた何の変哲もない絵だ。
しかしこれは実在の風景を写生したのかと問われれば答えは難しい。
肉眼でものを見るが描くときは心眼で描くとのべる人だ。
この人の特徴はゆったりと広がる空間に穏やかな風景が特徴だ、しかしそれは現実の風景なのか一種の理想郷なのか?
紀元2600年の祝典の当日に文化勲章をもらい奥多摩に暮らした画家、川合玉堂の回顧展を日本橋高島屋に観に行く。
初めのこの人は円山・四条派の影響を受けていた、展示冒頭の「老松図」は墨の濃淡で立体感を表出しようとした作品だ。
しかしそれから東京の狩野派の影響もうけ、両者を融合させようとしたという。
その結果として何気ない風景の中の誰もが感じる美しさを表現するようになったのだろうが、「妙高」とか「中仙道之春」とかこの展覧会初出品の作品もある、埋もれているところには埋もれているのだ。
しかしこの展覧会の大きな特徴は「画賛」をしたためた作品がだいぶ出ていることだ。
自画自賛で歌を先に書きそれにあわせた絵を描きいれるというのが特徴という。
その結果画と賛が融和して独特の味わいがある。
短歌もあるが長歌もある。
空襲や敗戦にまつわる話題もある。
画はのっていなかったが、会場には「川端龍子君の古希を祝ひて」なる歌もパネルで示されていた。
絶筆となったのは「出船」だ、荒波に向かって一艘の小船が漕ぎ出そうとする場面を描いたもので病気療養中だったので、それに負けまいとする決意がこめられているのを感じた。
「心眼」で描くにしろ、日本の素朴な美しさを描く画家が少なくなった、奥多摩にある玉堂美術館を一度訪ねてみたい。
絵を見ていると、いい空気が肺に入って来そうな感じがしました。
何の変哲もない風景と人物を描きあれだけの力量をかんじさせるのがすごいですね。