だらだら日記goo編

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カントを斜めから読む

2005-03-07 23:19:53 | 学問
佐藤康邦「カント「判断力批判」と現代」を買ってくる。
この人は「ヘーゲルと目的論」や美術の本も書いている。
非常勤でこられていたとき、僕との雑談でカントの最高善の思想はもっともカントで弱いところというようなことをおっしゃられたので、僕とは解釈が合わないなと感じたものだ。
「判断力批判」はすでにアーレントなどが取り上げ、その公共哲学への広がりは近年めざましいものがある。
佐藤さんは目的論を主軸にしているようだが、カントの場合、「自然法則」というもの自体が目的論的にとらえられている。
そういう意味で目的論は「判断力批判」で出てきた思想でもない。
ゆっくりこの本を読もうと思うがさてさて新しい発見があるかどうか。
僕が卒業論文のテーマにカントを取り上げたいとおずおずと尋ねたのは、当時の主任教授浜井修さんにだった。
カントをやりたいというのではなく、カントぐらいしかやれるものがなかったのだ。
そしたら浜井教授は「それなら歴史哲学が面白い」とおっしゃった。
カントの歴史哲学は「人類史の憶測的起源」とかつまりは小品だ。
で読んでみて、では何でカントがこんなものを書いたのかと考え込んだものだ。
三批判書の世界ーといっても僕は当時三批判書さえもロクに読んでいなかったーとはまるで違う。
いわば僕はカントに斜めから入っていった。
しかし何でこんなものを書いたのかと考えるのは謎解きのように楽しい作業だった。
で、行き当たったのが「最高善」の思想だった。
卒論では最高善の思想までは踏み込めず「物足りない」と評された。
浜井教授はカントを通して僕が社会哲学の道へ進むことをのぞんでいたんだと思う。
けど僕は最高善の思想を研究するうち宗教思想へと入っていった。
浜井先生には申し訳ないが、学問の楽しさを教えてくれた浜井先生は確かに恩師である。
父が死んだとき先生から送ってきた一万円は今でも仏壇にある。