だらだら日記goo編

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終の棲家

2005-03-26 22:43:12 | 日記・エッセイ・コラム
午前中に入所申し込みしていた特養ホームの人が母の様子を見に来て、即入所が内定する。
まあ要介護5といっても意思疎通もできない人は向こうも困るだろうが、母が安定しているのと僕が病弱で思うような介護ができないことを考慮してくれたのだろう。
これでほっとした。母はそこに死ぬまでいられる。終の棲家ができたのだ。
場所は多摩湖の近く、五月にオープンする施設だ。
ということで晴れ晴れして午後から近代美術館のゴッホに出かける。
行って驚いた、入場券を買う人が列をつくっているのだ!
yumiさんからいただいたチケットがある僕はそのまま入ったが中の混雑も並大抵ではない。
仕方がないので空いているところからみて、見られないところはカタログでと覚悟を決める。
まず「宗教から芸術へ」のコーナーはゴッホが描いた聖書の絵がある。
ゴッホは若い頃は修道士を目指したという、しかしゴッホに「宗教画」というものはほとんどない。考えると不思議だ。
このコーナーもほとんどが別の画家の宗教画だ。
次のコーナーは「農民の労働」だ。
「古靴」の絵にはハイデガーやデリダのこの靴の解釈もパネル展示され趣向がこっている。しかしゆっくり眺める暇はない。
次は「パリ」のコーナー、浮世絵やらなんやらがいろいろ展示される。
次は「アルル」のコーナー。
言うまでもなくゴッホはここを芸術家のユートピアとして終の棲家にしようとした。しかし精神を錯乱し、サン・レミに移る。
それが最終章になるがその絵はあまりに生々しく、痛々しくさえある。
「悲しむ老人」「疲れ果てて」などが展示されるが、ゴッホ自身の投影であろう。
アルルを終の棲家と構えて夢破れたゴッホ、母の場合はどうだろう。
老人ホームに移れるのがうれしいようで今日は夕食を残さず食べた。
しかしその終の棲家で何が起こるか人生はわからない。
母とゴッホをだぶらせ常設展示をゆっくりみる。
関根正男の「三星」という絵があった。耳を切った男の絵、ゴッホがつい頭をよぎる。
美術館に入ったのがちょうど三時で出たのが四時半。
駆け足で窓口に来る人がまだいる。たった三十分しかないのにー。
やはり夜間開館している木曜、金曜に行ったほうがいいようだ。
展示はまことに充実している。関連作品なども大量に出品されている。
もう一度ゆっくりとゴッホの軌跡をたどってみたい、そう思いつつ駅へと向かった。