高校卒業までに行った都道府県は次のところ。愛知県(出生地)岐阜県・三重県・奈良県・京都府・滋賀県・静岡県(以上小学校の旅行で訪問)長野県・神奈川県・東京都・埼玉県・茨城県・栃木県(以上中学校の旅行)大阪府・岡山県・香川県・広島県・山口県(以上高校の旅行)。主に修学旅行による訪問であった。
1965年から1968年までのたった4年間に、沖縄県を除く都道府県のほとんどに足を踏み入れた。1969年に北海道、1970年には8月にグリークラブの夏季合宿で山梨県の清里へ、次いで同9月には呉線の蒸気機関車撮影に行ったついでに、山陰本線を通って京都に帰ったから島根・鳥取県を通った。

旅221 本州最後になった鳥取県に入った時の写真 大山(米子付近で山陰線から撮影)
この後30年近くも一つだけ残った沖縄県に行く機会がなかった。2000年にやっと沖縄県を訪問して、全都道府県に足を踏み入れた。沖縄県が遅くなったのは、私が鉄道旅行を好んでいるから。

旅222 1965年4月までに訪問した都府県(青色)と1970年初めに訪れていなかった県(緑色)
なお、この地図は島については色をつけていない。青線は修学旅行で行ったコース、橙色の線は、1965から1968の間の主な旅行コースで、どちらもおおよそのラインである。
この間にどこを通って各県に行ったかは、正確な記録がない。特に修学旅行は貸切バスでの移動が多くて、どの道を通ったかを推定した。長野県だけは修学旅行ではなく「夏の教室」としていった蓼科に行った。
高校卒業後は、自分で企画した旅行であちこちをまわった。それらの経路の一部を記入したが、二回の東北旅行で北海道以外の北の空白を埋めた他、四国は化石採集旅行、九州は大学の教室からの現地実習旅行で訪れた。このように、学生時代に沖縄以外の都道府県を訪れた。

旅223 初めて遠征した東北地方 荒砥浜のジュラ紀層 1965.7.21

旅224 荒砥浜で拾った砂岩転石。黒いのはトリゴニア類二枚貝の断面
こういうデータを取るためには、旅行の記録がしっかりしていないと正確な数字はわからない。現在「旅行リスト」というのがあるが、記録が完全でない。わずかに残る鉄道乗車に関するリストの他に、保存している乗車券や、撮影フィルムのコマの順序などからデータを集めているが、まだ不明なことがある。いくつかの項目は、具体的な日時がわからない。例えば、アルバイトとして大阪の高校生の家庭教師を務めた年があり、毎回大阪府に行ったわけだが、日時も回数もわからないから記入していない。
次に、各県にいた日数を調べてみた。その県に短い時間でも存在した日を数えたもの。在住したことのある愛知県・京都府・福岡県以外をカウントした。条件は、鉄道で降りていなくても1日と数え、夜行列車で通過した場合には真夜中をまたいでも1日とした。飛行機と船で行動した時はノーカウント。2023年末現在で、訪問日数の多い都道府県は次の通り。
1位 岐阜県 629日: 2位 滋賀県 480日: 3位 山口県 336日: 4位 広島県 336日: 5位 広島県 294日、以下 岡山県 大阪府 兵庫県 東京都 (ここまで200日以上) 静岡県 神奈川県(139日)北海道(114日)。

旅225 2023年末の訪問・滞在日数
神奈川までと、在住した愛知・京都・福岡を合わせるとそのまま東海道・山陽新幹線の全都府県で、おもしろくない。これ以外のところに行くにしてもこれらの県を通らねばならなかったから、当然である。それ以外では北海道の健闘が目立つが、それでもこの東海道・山陽新幹線のどの都府県よりも少ない。岐阜県が異常に多いのは、卒業論文と修士論文が岐阜県の化石を扱ったものだったことと、その縁で大学院生の頃夏休みなどに旅館で案内人のアルバイトをしていたから。

旅226 夏休みにアルバイトをしていた旅館 現在は建て替えられている。1972.7
逆に日数の少ないのは次の県。
1位 沖縄県(5日): 2位 山梨県(6日): 3位 愛媛県(8日)(ここまで10日未満)以下 鳥取県・島根県(11日):奈良県(12日):秋田県(13日):群馬県(18日):徳島県(19日)ここまで20日未満。
少ないところは、経路として在住のところからの経路として通らない奈良県や山梨県がある。なお、海外の訪問日数は合計約80日、最多はニュージーランドの30日、次いでアメリカ・韓国・中国の順。他はほんのわずか。
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