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古い本 その116 古典的論文 中生代鳥類3

2022年08月13日 | 化石
 ここまで、羽化石・ロンドン標本・ベルリン標本と書いてきた。19世紀に発見・公表された始祖鳥標本はこの3点であるが、実は羽化石が発見された1861年よりも前にすでに発見されていた標本がある。しかしこの標本は当初翼竜と考えられていて、これを始祖鳥としたのは1970年ごろとずっと後のこと。まず、翼竜とした論文が次のもの。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1857. Beiträge zur näheren Kenntniss fossiler Reptilien.  Neues Jahrbuch für Mineralogie Geologie und Paläontologie, 1857: 532-543, Tafel 3.(化石爬虫類のより深い知識の寄与)
 この論文はいくつかの爬虫類化石について記していて、まず、Warmhach 付近のBunten Sandstone からのSclerosaurus armatus (532ページから533ページ)、続いて535ページから537ページの上の方までが問題の部分で、Pterodactylus crassipesを新種記載している。そのうしろには、ワニ類の記載がある。一枚ある図版は最初の爬虫類に関するもので、翼竜(実は鳥)とは関係がない。だから、この記載を読むためには標本の写真がないとよく分からない。標本をHaarlem標本(TM 6929)と呼ぶ。最近この標本を再評価する研究が発表されたので、そこに掲載された写真を紹介する。

421 Haarlem 標本 Foth and Rauhut, 2017 Fig. 1

⚪︎ Foth, Christian and Rauhut, Oliver W. M., 2017. Re-evaluation of the Haarlem Archaeopteryx and the radiation of maniraptoran theropod dinosaurs. BMC Ecology and Evolution, 17, Art.236: https://doi.org/10.1186/s12862-017- 1076-y.(Haarlemの始祖鳥の再評価とmaniraptoran theropod dinosaursの放散)
 なおこの論文では、この化石についてArchaeopteryxとは別の属の鳥であるとし、Ostromia crassipes (Meyer)として扱っている。
 この標本によってサイズがわかる前足(翼)の骨は次のもの。中手骨I・II(印象)・III、指骨I-1、手指の末節骨I・III。翼竜の特徴的な指IVは含まれていない。Meyerの記載では、指の長さの比率を翼竜の多くの種類のそれと比較する文章が長く続くが、言い換えるとそこにしか情報がないということである。よく見ると羽の痕跡は残っているが、ロンドン標本発見以前にこれに気づくのは難しかったのかもしれない。
 この標本が鳥の化石であることを記した論文が次のもの。
⚪︎ Ostrom, John H. 1970. Archaeopteryx: Notice of a "New" Specimen. Science, vol. 170: 537-538.(Archaeopteryx:「新」標本の通知)(未入手)
 これは科学誌に簡単に記したもので、すぐに詳しい記載が発表された。
⚪︎ Ostrom, John H. 1972. Description of the Archaeopteryx specimen in the Teyler museum, Haarlem. Proceedings Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen. Biological, chemical, geological, physical, and medical sciences 1972; vol. 75: 289–305.(HaalemのTeyler博物館にあるArchaeopteryx標本の記載)(未入手)
 Haarlem標本が鳥の化石であることは発見後100年以上経ってからわかったが、同じように、発見時には小型恐竜と考えられていて、後の鳥類であることがわかったのが、Eichstätt標本である。このブログでは1923年ごろまでを対象にするから、詳しいことはしらべていない。

422  Eichstätt標本(レプリカ) 

 なお、この標本のレプリカに商業的に販売されているものがあり、その中には羽の痕跡(実物には印象が残っているが外形ははっきりしない)に色を塗ったものがある。あまり信用しないように。脚の骨も明瞭になるように黒く着色されていて、実物とは全く印象が異なる。文字通り「脚色」が行き過ぎている。

 ここまで、それぞれの標本の学名を「一種類 Archaeopterx lithographicaとしていいのだろう。」としてきたが、羽化石がホロタイプである以上、それと同一種であることの証明はむつかしそう。また各標本が別種の場合に種名をどう扱うのかが難しい。そういう事情から命名規約委員会(The International Commission on Zoological Nomenclature: ICZN)は始祖鳥に関して少なくとも3回の「OPINION」(意見書とでもいうのだろうか)を示している。それぞれ1961年、1977年、2011年の発表であった。
⚪︎ 1961 OPINION 607. Archaeopteryx von Meyer, 1861 (Aves) ; Addition to the Official List. Bulletin of Zoological Nomenclature, vol. 18: 260-261.(Archaeopteryx von Meyer, 1861 (鳥類);公式リストに追加)

423 ICZN 1861 タイトルページ 蔵書印は大英博物館(自然史)

 内容を抄訳すると次のようになる(正確な訳かどうか自信がないので、ここから引用しないで原文をみていただきたい)。
(1)属Archaeopteryx、(模式種 A. lithographica いずれもvon Meyer, 1861、 gender: feminine)を公式リストに加える。
(2)種 Archaeopteryx lithographica (von Meyer, 1861) を公式リストに加える。
(3)次の属名(6属名)を無効名の索引に加える。
(a) Griphosaurus Wagner 1862
(b) Griphornis H. Woodward 1862
他に、元の属名および上の二つの属名の誤綴りによって生じた Archaeopterix, Archeopteryx, Gryphosaurus, Gryphornis.
(4)次の種小名(5種小名)を無効名の索引に加える。
(a)(b) Griphosaurus 及びGriphornisの提示に際して用いられた種小名
(c) 1863年にOwenがロンドン標本に対して用いたmacrurus
(d) 1921年にB. Petronievicsがロンドン標本に対して用いたoweni
(5)科名Archaeopterygidae Huxley 1871を公式リストに加える。

 ここまで、Owenのmacrurusについて記してない。その論文は次のもの。
⚪︎ Owen, Richard, 1863(P). On the Fossil Remains of a long-tailed Bird (Archeopteryx macrurus, Ow.) from the Lithographic Slate of Solenhofen. Proceedings of the Royal Society of London, vol. 12: 272-273.(Solenhofenの石版石からの尾の長い鳥(Archeopteryx macrurus, Ow.)の化石について。)
 これは、1862年11月20日に開催された王立学会の講演要旨で、翌年1863年1月1日に発行された。このブログ「その115」で引用した論文(Transactionに掲載された方)も同じ年の同じ日付の発行だからややこしい。どちらも同じ講演の記録という形をとっている。「OPINION 607」では原記載としてProceedingsの方を採用しているから、多分先に発行されたのだろう。同じ日に発行された記載論文1863(T)では本文では種名の提示を避けているが、33ページの脚注に語幹が同一の名前 Archeopteryx macrura, Ow.が出てくる。この辺りは文章の読み方が難しくてよく分からない。また、種小名「macrurus」は、属が女性形であるので正しくなく、「macrura」に訂正される。命名規約では「性語尾が不正であるときには適切に変えなければならない(34.2.1)」としている。最初の種類「lithographica」が女性語尾だからすぐに気づいて訂正したのだろうか。

424 1863年のOwenの二つの講演記録

 上のコピーは、上半分が Proceedongsの一部(p. 273)、下の方は Transactionの脚注(p. 33)で、どちらも下の方に学名が出てくる。
 この決定は、始祖鳥の(羽の)命名からちょうど100年に記録された。次回は二つ目のOPINION(1977)について。

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