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OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その180 平牧動物群 15

2024年11月17日 | 化石

 Anchitherium の最初の二つの種がいずれもPalaeotheriumに由来することまで調べた。Palaeotherium は1804年にCuvierが提唱した属で、その折にPalaeotherium magnum, Palaeotherium medium, Palaeotherium minus の三種を記載しているようだ。しかしその論文は見つけられなかった。見つかったのは8年後のこの論文。
⚪︎ Cuvier, Georges, 1812. Recherches sur les ossemens fossiles de Quadripèdes, Tome 3, Sur les Espèces d’animaux dont proviennent les Os Fossiles. 1-28, Pl. 1-7. (四足動物の化石骨の研究、3. 化石骨が由来する動物の種類について)
 ここでは、先ほどの3種類に加えてその後記載されたいくつかが記録されている。それにしも、最初に記載した種類がmagnum, medium, minus つまり大・中・小というのはシンプルというか安易な命名である。これら3種のうちどれが模式種なのだろう? ある資料のリストではPalaeotherium magnum が最初に出てくるから、これが模式種としたのだろうか。

680 Cuvier, 1812. Pl. 1. Palaeotherium medium 左下顎

 元の属はあまり興味がないからこれくらいにして。種の方については、Anchitherium aurelianenseの記載論文は次のもの。
⚪︎ Cuvier, Georges, 1825. Recherches sur les ossemens fossiles. Dufour et d'Ocagne editions Paris, 4,514 pp. S. 255. (化石骨の研究)<未入手>
 この本は当時有名なものだったらしく, 多くの文献で省略して引用してある。非常な大作で、4,514というのはページ数らしい。
 もう一つのAnchitherium ezquerrae の記載は、Anchitherium属の記載されたMeyer, 1844である。論文のデータは前回書いたのでここでは省略する。Ezquerraはスペイン北部の内陸の都市名で、Madridから200kmほど北にある。これで、登場した属や種の由来はだいたい判明した。

 平牧では、Matsumotoが記載した標本の後、しばらくは同じような標本は見つからなかった。40年後、前のものよりもずっと良い標本が報告された。
⚪︎ Shikama, Tokio and Shinji Yoshida, 1961. On a equid fossil from Hiramaki formation. Transactions and Proceedings of the Palaeontological Society, Japan, New Series, no. 44, pp. 171-174, pl. 26. (平牧層からのウマ類の化石)
 この標本はMatsumotoで報告されたのと同じ可児市山崎で発見されたもので、左右の下顎(一部欠損)である。

681 Shikama and Yoshida, 1961, Pl. 26(一部)Anchitherium hypohippoides 下顎

 写真は、原図からアレンジしたもので、上から右下顎咬合面拡大、背面、右側面、である。
 その後、上顎も良好な標本が産出した。報告されたのは次の論文。
⚪︎ 奥村 潔・岡崎美彦・吉田新二・長谷川善和, 1977. 可児町産の哺乳動物化石. In 平牧の地層と化石 可児ニュータウン化石調査報告書・岐阜県可児町教育委員会. 21-45, Plates IV-1 - IV-16.

682 奥村・他, 1977, Plate IV-2. Anchitherium hypohippoides 左上顎

 この標本が発見されたのは、ホロタイプや下顎標本の産地から350メートルほど南東に当たる可児町大森である。標本は左上顎の頬歯列で、論文では第3全臼歯から第3大臼歯までとなっているが、これは誤りで、第2前臼歯から第2大臼歯であり、後にこの後の第三大臼歯が埋もれていることがわかった。写真は第3大臼歯が見えない状態で撮られたもの。
 これらの報告後20年以上経って、Anchitherium hypohippoidesを疑問種と扱う意見が公表された。その論文は下記のもの。
⚪︎ Miyata Kazunori and Tomida Yukumotsu, 2010. Anchitherium (Mammalia, Perissodactyla, Equidae) from the Early Miocene Hiramaki Formation, Gifu Prefecture, Japan, and its implication for the early diversification of Asian Anchitherium. Journal of Paleontology. Vol.84. No.4: 763–773. (岐阜県の下部中新統平牧層からのAnchitherium(奇蹄類ウマ科))
 論文では、ホロタイプの二本の歯は同一の個体でなく、特に上顎歯は別の動物のものと推測されることや、下顎の歯には種を区別できるような特徴がないことなどからこの種類を疑問種とした。一方で大森産の上顎臼歯列の標本と、山崎産の下顎標本を、Anchitherium aff. A. gobiense Colbert, 1939 として扱っている。提唱された学名の保全という意味では、この取り扱いはあまり勧められない。私はhypohippoides の使用を続けたい。
 Anchitherium gobiense の記載は、次の論文。もちろんMatsumotoのhypohippoides の記載(1921年)よりもだいぶん後のこと。
⚪︎ Colbert, Edwin Harris, 1939. A new Anchitheriinae horse from the Tung Gur Formation of Mongolia. American Museum Novitates 1019: 1-9. (モンゴル・Tung Gur層からのAnchitheriinae亜科新種)
 標本は、モンゴルのTung Gurから産したもの。文中図がある。ここに示した上下の顎の図の他、四肢骨の図(Fig. 3)がある。

683 Colbert, 1939. Fig. 1. Anchitherium gobiense holotype: 右上顎歯列

684 Colbert, 1939. Fig. 2. Anchitherium gobiense paratype: 左下顎と歯列

 これらの骨(と四肢骨)は同じ場所で採集されたもので、たぶん同一の個体のものとしている。図には計測値の表から計算したスケールを書き込んだ。
 Edwin Harris Colbert (1905−2001)は、このブログで1年ほど前に紹介した。1977年2月にお会いした。奥様とご一緒に、京都から日帰りで奈良に行ってきた。夜は祇園でしゃぶしゃぶのご馳走にご相伴させていただいた。私の役割は案内人+通訳だったが、恐れを知らない頃だったからできたのだった。

685 Dr. Colbert. 1977年2月 奈良公園

古い本 その179 平牧動物群 14

2024年11月09日 | 化石

 Matsumoto, 1921にもどって、残りの種類の属名の由来などを題材にする。次は、奇蹄類に入る。まずウマの仲間のAnchitheriumである。Matsumoto, 1921では、可児町(現・可児市)山崎産の2標本を報告し、新種Anchitherium hypohippoides を記載した。ホロタイプは、第4前臼歯と考えられる左下顎の臼歯と、破損した第3前臼歯と考えられる右上顎の歯であった。この類の大きい頬歯は、各顎に6本あって、両端のものでは端側が他の歯と接しないから形状が違うが、中間の4本は区別が難しい。前臼歯と大臼歯は少々違うから、結果として遊離した1本の歯の場合、二本の前臼歯の区別、それに2本の大臼歯が分けにくいことになる。ただし、Matsumoto, 1921本文で「・・と考えられる」とした標本の歯種は図版説明では確定して記してある。

676 Matsumoto, 1921, Pl. 13 (一部)配列を変え、スケールを入れた。

 上の写真はMatsumotoの図版のコピーで、原本は5枚の図が横一列だったのを二段に配列を変えてある。ここで、Anchitheriumの原記載と模式種を調べたいのだが、資料によって記載年がふた通り(1834年と1844年)あり、模式種も資料によりAnchiterium aurelianenseAnchitherium ezquerrae が出てくる。さらに他の論文の引用文献も誤りが多くて混乱してしまう。適切なレビュー論文を知らないからなのだが。
 属の提唱者はMeyerで、この点はどの資料も一致している。可能性のある論文はいくつかあって、一つ目の候補論文は次のもの。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1834. Die fossilen Zähne und Knochen und ihre Ablagerung in der Gegend von Georgensmünd in Bayern. Frankfurt am Main,verlag v. 1. D. Sauerländer. I-VIII, 1-136, Taf. 1-14. (バイエルンのGeorgesmünd 地域の化石歯・骨とその堆積)
 論文は「Odontologie」(歯学)の章からはじまり、29ページでやっとGeorgensmünd の骨化石を包含する地層の解説に入る。33ページから種類ごとの記載に進む。Mastodon (p. 33)Deinotherium(p. 42)Hyotherium(猪豚類)(p. 43)Rhinoceros類(p. 62)Palaeotherium (p. 81)Palaeomeryx(p. 92)と進み、107ページあたりからは歯ではなく骨の話に入る。したがって、Anchitherium に関係しそうなのは81ページから92ページあたり、それに図版。しかしこの論文にAnchitheriumという語は検索で出て来ない。二名法は適用されていて、後で出てくるAnchitherium aurelianensePalaeotherium Aurelianense という名前で何度も出てくる。文末に図版があるが、その解説は文中に散らばっていて、その文には種ごとの見出しがないから、それぞれの図の種は書いてあるとしても非常にわかりにくい。たぶんPalaeotheriumの下顎と思われる化石の図がある。

677 Meyer, 1834, Taf. 7, Figs. 53, 54.(一部で、配列を変更)たぶんPalaeotherium属のもの。

 入手したデータは図の状態が悪い。上(Fig. 54)は左下顎P3−M3舌側、中央と下はFig. 53で、中央は左下顎P2−M3舌側、下は右下顎P1−M3頬側と思う。Anchitherium という語が見当たらない以上この論文は属の命名をしていない。
 次に可能性があるのが同じMeyer が10年後に書いた論文。こちらには図がない。
⚪︎ Meyer, Hermann von, 1844. Über die fossilen Knochen aus dem Tertiar-Gebilde des Cerro de San Isidro bei Madrid. Neues Jahrbuch für Mineralneralogie, Geognosie, Geology und Petrerfakten-Kunde, 1844: 289-310. (Madrid近くのCerro de San Isidroの第三紀堆積物からの化石骨について)
 Madridの中心部近くにYacimiento paleontologica de San Isidroという施設名が見られる。その解説はスペイン語であるが、「Hispanotheriumという角のないサイが発掘された場所」を保存している、という。ストリートビューで見ると記念碑のようなものが立っている。HispanotheriumElasmotherium亜科の属で、1947年に記載された中新世の属だからここがMeyer, 1844年の文の場所だろう。Cerroというのは丘の意味で、確かに記念碑は展望台にあってマドリッドの街が見下ろせる。それほど有名ではない動物名の命名場所に記念碑まであるのは、Hispanoと言うのが「スペインの」という意味だからに違いない。ではスペインから遠く離れたドイツのMeyerが、ここの研究をしたのは何故だろう? まず、ここを研究していたCuvier(フランス)が1832年に亡くなったこと。それにナポレオンの後フランスは穏やかではなかったことが原因か。1844年は王政に戻っていた頃である。
 私は化石以外の歴史にはまるで弱いので、化石の話に戻る。論文の初めにイントロがあって、2ページ目に Mastodonという見出しがあり、文中にMastodon angustidensが出てくる。時代は確かに中新世である。他にもMastodonの別の種類が出てくる。294ページに「Schweins-artigeThiere」(ブタに・近い動物)という項目が始まる。Sus属やHyotherium属が出てくるが、ここもパスしよう。
 298ページにやっとAnchitheriumの項が始まる。305ページからは、偶蹄類のPalaeomeryxの項(これが最後)が始まるから7ページ半ほどがAnchitherium に関係しそうな部分。

678 Meyer, 1844. p. 298一部. Anchitheriumの見出し

 ちょっと気になるのはMeyerはここで、この属を「命名した」「・・と呼ぶ」という表現をしていないし、模式種の指定もないこと。ただ、298ページの最後あたりにそれらしき記述がある。

679 Meyer, 1844. p. 299−300の一部. Anchitherium属の命名?

 私にはその構文がよくわからないが、その場所ではAnchitherium ezquerraeが、強調されている。資料によってAnchitherium の模式種を Anchiterium aurelianense (Cuvier, 1825)とするものと、Anchitherium ezquerrae とする文献が出てくるが、それも不思議ではない。どちらの種も、原記載はPalaeotherium属として記載された。次回、これらの種類の履歴を遡ってみよう。

古い本 その178 平牧動物群 13

2024年10月21日 | 化石

 もう一度「平牧動物群」についてまとめておく。平牧動物群(他に平牧化石動物群・同動物相など)の用語は、松本, 1916に初めて使われたらしい。鹿間(1964)は「日本化石図譜」の45ページに「日本化石脊椎動物群集表」を掲載した。そこに日本の中新世の陸生哺乳類の動物群として平牧動物群があり、それに含まれる種類を列記してある。これは日本全体の同時代(と当時考えられた)の種類である。その根幹をなす可児地方のものについては、1921年にMatsumotoが著した下記の論文でまとめられた。
⚪︎ Matsumoto, Hikoshichiro, 1921.  Descriptions of Some New Fossil Mammals from Kani District, Prov. of Mino, with Revisions of Some Asiatic Fossil Rhinocerotids.  Science reports of the Tohoku Imperial University. 2nd series, Geology, vol. 5, no. 3: 75-91, pls. 13-14. (美濃国の可児地域からの新種化石哺乳類の記載、付 アジアの化石サイ類の総括)
 これより前に単独で報告された長鼻類Gomphotherium annectensと鹿類Amphitragulus minoensisについては「古い本」のここまでの記事ですでに記した。1921年の論文で記載されたのは、次の種類である。
奇蹄類 ウマ上科 Anchitherium hypohippoides
奇蹄類 バク上科 Palaeotapirus yagii
奇蹄類 サイ上科 Teleoceras (Brachypotherium) pugnator
 この他にリスのなかまが記録されているが、属・種未定とされている。平牧動物群」というのはこれら5属を最初のメンバーとしたものであった。その後追加された種類もあったが、約50年後の1974年に瑞浪市化石博物館が建設された時までがその研究の第一段階だった。この博物館は、中央道の建設時に、瑞浪市内に化石産出地が天然記念物となっていたために、学術調査を行い、そこでの成果などをもとにして創立された。2024年はその50周年にあたる。

671 中央高速道建設工事 1972年

 中央自動車道の名古屋側の建設工事は、まず小牧ジャンクションから多治見インターチェンジが1972年10月に開通。一年後の1973年9月に瑞浪インターチェンジまでが開通した。瑞浪市内に化石・地質調査の作業場が置かれて、各工事現場を回って多くの標本を採取し、調査の報告者を作成するとともに、来たるべき博物館の建設の準備がされた。

672 作業所に置かれたヒゲクジラ類の脊椎骨列 1973年

 この時の調査は、名古屋大学の糸魚川教授の指導で多くの専門家の協力で進められた。その結果は、瑞浪市化石博物館の研究報告1号として出版された。

673 「瑞浪の地層と化石」=瑞浪市化石博物館報告 第1号 開館記念号 1974

 この中に亀井・岡崎の共著で下記の論文が含まれている。それまでに発見された平牧動物群の標本をできる限り取り上げたものである。もちろん陸上の平牧動物群に対応する海の戸狩動物群も含まれている。
⚪︎ 亀井節夫・岡崎美彦, 1974. 瑞浪層群の哺乳動物化石. 瑞浪市化石博物館研究報告. No. 1: 263-291, pls. 86-97. (すでに紹介したので重複している)
 さらにそのうちの岡崎は、1977年に上記論文の補遺として、1974年論文で抜けていた標本や、その後発見された標本を記した。
⚪︎ 岡崎美彦, 1977.  瑞浪層群の哺乳動物化石(その2).  瑞浪市化石博物館研究報告. 4: 9-24, pls. 3-11.
 この二つの論文はそれまでに公表された標本をレビューするとともに、高速道路工事や、博物館建設にともなって収集された魚類以外の脊椎動物化石をリストアップしたもので、分類群などについては、従来の研究をなぞったものである。したがって属名には問題があるものが多い。この点についてはこれより後に幾つかの論文で議論がされている。そういうものはまだ総括されていないし私にはその知識がないので、ここでは50年前の知見について記す。
 なお、上の著者のうち岡崎は当時大学院の修士課程に在学中で、このテーマは亀井教授との面談の上与えられたもの。報告書に関して求められたのはそれで良いが、修士論文の内容としては以前の論文及び未公表標本のレビューだけでは不十分で、その先に「北部太平洋の周辺の海の中新世の動物地理区を設定する」ことを目指したものだった。当時(たぶん今も)沿岸性の脊椎動物群に対して動物地理区を設定するという考えはないから面白いかもしれない。それについては岡崎の修士論文(未公表:下記の私的印刷をしたものがある)では十分にまとめることができなかった。
○ Okazaki, Yoshihiko MS, 1976. On Some Vertebrate Fossils from the Miocene Mizunami Group.  京都大学大学院理学専攻科修士論文(非公開)
 少しだけアイディアが出ているのと、のちのいくつかの講演録的な印刷物があるが、あまり他の研究者に引用されていない。
⚪︎ 岡崎美彦, 1978. 自然史研究会講演集録 V. 日本の中新世哺乳動物群. Acta Phytotaxonomica. Geobotanica 29(1-5): 138-144.
 その欠点は、構成動物を沿岸性の哺乳類に限定したこと, 遠洋性の動物との関係を示さなかったことと、その周囲の沿岸動物地理区の定義や命名を行わなかったことが挙げられる。

674 岡崎, 1978. 図4. デスモスチルス類の化石の産出地(after VanderHoof, 1937)
 
 この図を見ると、環北太平洋沿岸性化石動物群のおよその範囲がわかる。日本列島側とメキシコ側の限界はおおよそわかるが、北極海側については不明瞭。もちろん、遠洋側と陸側にはさまれた帯状の区域である。
 1974年5月1日に瑞浪市化石博物館が開館した。手元に「地学研究」に掲載されたそのことを宣伝する記事が残っている。

675 博物館の開館記事 1974.

○ 岡崎美彦 1974 瑞浪市に化石博物館 地学研究 vol. 25, nos. 7-9: 310-312.

古い本 その177 平牧動物群 12

2024年10月13日 | 化石
 では長澤, 1932で用いられたPalaeomeryxという属について調べてみよう。Wikipedia では、Palaeomeryx, von Meyer 1834 となっている。文献は明記されていない。色々調べると、おそらく次の論文であろう。
⚪︎ Meyer, Hermann, von, 1834. Die fossilen Zähne und Knochen und ihre Ablagerung in der Gegend von Georgensgmünd in Bayern. Museum Senckenbergianum. Abhandlungen aus dem Gebiete der beschreibenden Naturgeschichte von Mitgliedern der Senckenbergischen naturforschenden Gesellschaft in Frankfurt am Main. Supplement zu Band I: i-viii, 1-126, Taf. 1-14.(BayernのGeorgensgmünd地域の化石歯牙・骨とその堆積物)
 この論文はドイツ語でかなり長いから全部読んでいない。面倒なことに、pdfが画像になっていて、テキストでの読み込みが私にはできなかったから、自分で打ち込んでから翻訳ソフトにかける必要がある。120ページというのは遠慮したい。

666 von Meyer, 1834. タイトルページ

 論文の構成は、まず一般的な文章がある。内容はドイツのババリアのGeorgensgmünd(ニュールンベルグの南10kmのあたり)の第三紀哺乳類化石について。現在の地質図を見てもこの辺りには第三紀層の色に塗ってあるところがないが、狭い分布域があるのだろうか。図には後で記すようにGomphotheriumと思われる長鼻類があるから、中新世の地層があることに間違いはない。
 92ページの下の方に見出し「Palaeomeryx」が来る。102ページの上の方に次の見出し「Fleischfresser」(食肉類)が来るから、その間の約10ページがここで読みたい部分である。この部分のほとんどは、頬歯の形態の記載のようだが、形態ごとに他の多くの偶蹄類と比較しているから、めんどうで解読はあきらめた。この中で97ページに二つの種名が小さな見出しとして出てくる。Palaeomeryx Bojani(Taf. IX. Fig.75 und Taf. X. Fig. 79)とPalaeomeryx Kaupii(Taf. X. Fig. 77)である。
 論文の最後に14枚もの標本スケッチの図版があるから、それと比較して読めそうなのだが、詳しい「図版説明」はない。その代わりに文末の125ページから126ページに「Hinweisung der Abbildungen auf die Beschreibung」(図版と本文の参照)という簡単なリストがあって、例えば「第10図のFig. 77は本文の93, 95 97ページ」というように対応はつく。これらから、ここで問題のPalaeomeryxにかかわる標本スケッチはTaf. IX. Fig.75 ・ Taf. X. Fig. 77・Fig. 79となる。
 一応、各図版に示されている化石の部位や種類について、一見してわかることを記しておこう。
図版1 長鼻類 臼歯 今でいうGomphotheium angustidens ?・Deinotheriumもあるかも。
図版2 長鼻類 臼歯 同上。偶蹄類 臼歯・切歯 イノシシ類
図版3 不明 食肉類 犬歯?
図版4 奇蹄類 サイ 下顎臼歯・不明 指/趾骨
図版5 奇蹄類 サイ 上顎臼歯
図版6 奇蹄類 サイ 上顎臼歯
図版7 偶蹄類 下顎骨・下顎臼歯
図版8 偶蹄類 下顎臼歯・上顎臼歯
図版9 偶蹄類 上顎臼歯
図版10  偶蹄類 下顎・下顎臼歯・他
図版11 偶蹄類 上腕骨
図版12 奇蹄類 サイ? 足根骨・他
図版13 不明 奇蹄類足根骨? 他
図版14 幾つかの種類の指/趾骨・他

667 von Meyer, 1834. Pl. 1(部分) 長鼻類化石

 上のスケッチは、左がGomphotherium、右はたぶんDeinotheriumで、もしDeinitheriumというのが正しければ、中新世の中期頃の化石も含まれていることになる。なお。この論文中ではDinotheriumという綴りが用いられている。

 本題に戻って、Palaeomeryxの図を見てみよう。まずPalaeomeryx Bojani(Taf. IX. Fig.75 und Taf. X. Fig. 79)だが、このうち第9図は何かスケッチがはっきりしないので、Taf. X. Fig. 79を示す。

668 von Meyer, 1834. Pl. 10. (部分) Fig. 79  Palaeomeryx Bojani.

 左が前方で、後ろの歯(第3大臼歯)の前後長29ミリ。
 そしてPalaeomeryx Kaupii

669 von Meyer, 1834. Pl. 10. (部分) Fig. 77  Palaeomeryx Kaupii

 右が前方で、一番後ろの歯(第3大臼歯)の前後長23ミリ。
 以上のように、Palaeomeryx属については、次のように命名されていることがわかった。
Palaeomeryx, von Meyer, 1834. Typespecies; Palaeomeryx Bojani von Meyer, 1834.
産出地:Georgensgmünd、ドイツ。中新世

 二つのことを追記しておく。一つは「meryx」という名前の語源。これについては、Palaeomeryx 属の命名論文であるvon Meyer, 1834の92ページの脚注にあって、古代の反芻性の魚類の名前に由来するという。しかし、インターネットではそれに当たる魚類名は見つからなかった。よく知られているMerycoidodon属の名前の由来は反芻性のという言葉から来た、とされているが、どういう言葉かは書いてない。しかも(由来とは関係ないが)この動物の反芻性はのちに否定されてしまった。
 もう一つはこの辺りの原始的な偶蹄類の分類でよく出てくる歯の解剖学的用語の「Palaeomeryx fold」という名称。下顎の大臼歯の頬側の側面にあるエナメル質の襞のこと。

670 von Meyer, 1834. Pl. 10. (部分) Fig. 79  Palaeomeryx Bojani

 この図は、二つ前の図の咬合面側だけにトリミングした上でコントラストなどを変更したもの。図の赤丸の中にある襞がPalaeomeryx foldである。この歯は左下顎の第2大臼歯と第3大臼歯で、左が前方。襞は歯の下方に向かって斜め内側に続くから、磨耗すると内側に位置が変わる。

古い本 その176 平牧動物群 11

2024年10月05日 | 化石

 平牧の鹿類に関してもう一つの論文がある。
⚪︎ 永澤譲次, 1932. 美濃国可児郡平牧村出土鹿化石に就きて. 地質学雑誌、vol. 39, no. 464: 219-224.
 ちょっと後になるが、永澤は平牧から鹿類の左上顎臼歯化石一個を報告した。かなりすり減っていて、歯冠の長さ(近心・遠心径)20ミリというから、かなり大きなもので、サイズだけの比較では松本が記載した下顎と釣り合う。

661 永澤, 1932. 220ページのスケッチ

 永澤は歯種を明記していないが、近心側と遠心側に接触面があるようだから、左上顎第一もしくは第二大臼歯ということになる。永澤はいくつかの近似属をあげた上で、「本標品を假にMioceneに其の出土普通なるPalaeomeryx属に含有せしめ Palaeomeryx minoensis n. sp. と命名し置かんとす。」としている。同じ種になる可能性のあるものに、別属の同じ種小名の新種を作るのは避けて欲しかった。
 永澤譲次(?-1961)は、東京学芸大学の古生物学者で、海生貝類についての論文がある。この論文の1932年にはおそらく東北帝国大学に在学していて、同年に次の論文がある(こちらが先)。
⚪︎ 永澤譲次, 1932. 洪積期以後に於ける日本鹿類の大臼歯の大いさの變異に就いて. 地質学雑誌, vol. 39, no. 461: 71-84.
 この論文で扱っている標本は表題には「洪積期以後」としているが、表の中には鮮新世(中国山東省)の化石も出てくる。しかし平牧の化石は出てこない。
 最近、これらの標本について研究した結果が次の論文に記録された。先に記したように、このブログでは昔の論文を見直すことを目的にしているから、その学名についてだけ記す。
○ Nishioka, Yuichiro and Yukimitsu Tomida, 2023. Taxonomic revisions of lower Miocene pecorans (Mammalia, Artiodactyla) from Japan, with a new fossil record of srem Cervidae. Paleontological Research, vol. 27, no. 2: 182-204. (日本の下部中新統の反芻類の再検討と、シカ科祖先種の記録)
 この論文では、平牧のシカ類が複数種であるとし、そのうちMatsumotoが記載した種と、長澤の記載した標本を ? Palaeomeryx minoensis (Matsumtoto, 1918) として扱った。ここで言いたいのは、恐れていた通り、二つの種類を同属としたために、シノニムリストではPalaeomeryx minoensis (Matsumoto) と Palaeomeryx minoensis Nagasawa というややこしいことになってしまった(それぞれに?マークをつけるべきところがあるが、ここでは除いた)。

 ここで、平牧の鹿類に対して1974年ごろまでに挙げられた属名を調べてみた。Amphitragulus 属の命名文献は、資料によって異なっていて、Pomel, 1846、Pomel, 1847、それにCroizet in Pomel, 1846となっている。おそらく元のジャーナルは、フランスの地質学会のBulletinで、掲載巻の年号が1846・1847というのがあるからこんな混乱が起こったのだろうと推測した。Amphitragulusが出てくる次の論文があるからそれだろうか。
⚪︎ Pomel, Auguste, 1846a.  Mémoire pour servir à la géologie paléontologique des terrains tertiaires du départementde l’Allier. Bulletin de la Société géologique de France, Ser. 2, Tome 3: 353-373.(Allier地方の第三紀層分布地の古生物学的地質学に関する記録)

662  Pomel, 1846a ジャーナルのタイトル

 この論文には同じジャーナルのすぐ後のページに次の追補がある。
⚪︎ Pomel, Auguste, 1846b. Note sur des animaux fossiles découverts dans le département de l’Allier (addition au Mémoire sur la géologie paléontologique, etc. Bull., 2^ série, t. III, p. 353).  Bulletin de la Société géologique de France, Ser. 2, Tome 3: 378-385, Planche 4.(Allier地方で発見された化石動物に関するメモー上記論文の追補)
 インターネットで見ることのできるこのジャーナルの原本はTexas大学の図書館の所蔵。下中央やや右に打ち抜きの小穴が開けてあって、「LIBRARY UNIV. OF TEXAS」と読める。
 Allierは、フランスの中央部にある県名で、Allier川の流域。中新世の地層が分布する。
 「Amphitragulus」という属名は、1846aの369ページに出てくる。そこには「Amphitragulus: (数種類ある)ジャコウジカなどの新属で、すでにM. Croizetにより引用されている...」としてあるから、命名者がCroizetであるかもしれないが、Croizet文献の題やジャーナルは書かれていない。新属と言っているから、一応このPomel, 1846aを初出としていいのだろう。しかし、ここ(1846a)には図はないし特徴らしいものは書かれていない。それに二名法は用いられていない。たしかに属の命名を「Croizet in Pomel, 1846」とするのもわかる。1846b 論文で図示されていて第4図にスケッチがある。また、部分的に二名法が用いられている。

663 Pomel, 1846b. Planche 4.

 本文の最後385ページに図版説明がある。Fig. 1から順に書かれているが、Fig. 8が重複している。しかしこれは簡単なことで、説明にFig. 9がないから、二つ目のFig. 8を9に読み替えていいだろう。Fig. 9は亀の腹甲で、図もそうなっているから間違いない。

664 Pomel, 1846b. Planche 4の図を、図版説明に従って分割したもの

 問題はその後で、説明にはFig. 8がAmphitragulus elegansで、標本は犬歯と下顎となっていること。なんとFig. 7のスケッチがまさにこの組み合わせ。Fig. 7の説明は下顎だけになっているから、Fig, 8のスケッチに対応する。本文ではどちらの種類に犬歯があったのかは判明しない。ただし、「Dremotherium Amphitragulus は非常に近いが、Amphitragulusには下顎の最も前の前臼歯があるがDremotheriumにはない。としている。スケッチのFig. 7では、第一前臼歯の歯槽がある(歯は抜けている)どうやら図版解説が入れ替わっているようだ。
 間違いはこのように推測できるが、模式種の問題もある。A. elegansという種がこの図版説明で初めて使われているようだ。それで、Amphitragulus Pomel, 1846: type species Amphitragulus elegans, Pomel, 1846. というのが一般的に用いられている。厳密に言うと、属の提唱と、模式種の提唱は同じ年ではあるが別の論文でそれぞれ1846a、1846bと区別するべきであろう。地質年代は中新世。

665 Pomel, 1846b. Planche 4の図をここでの判断で変更したもの。二種類の図の間隔を空けてある。上がFig. 7. Amphitragulus elegans, 下がFig. 8. Dremotherium Feignouxi.

 この図の標本のサイズについては、図中に1分の1としてある。もとのpdfファイルの縦の長さが232.7ミリとなっているのが正しければ、上の図のAmphitragulusの下顎のサイズは110.8ミリとなる。AmphitragulusDremotheriumの第1から第2臼歯の近心・遠心径は25ミリぐらいとなる。先に書いたように、ニホンジカのその長さは32ミリ程度、松本が記載した平牧のシカでは37ミリだからそれらより大分小さい。それでも松本がAmphitragulus属に含めたのは、第一前臼歯の歯槽が存在するからであろう。
 Nicolas Auguste Pomel(1821-1898)はフランスの地質・古生物学者。フランス領アルジェリアの上院議員をつとめた。