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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2024年池袋ショーに行ってきました 4

2025年01月05日 | 化石
腕足類

106 標本3 Xystostrophia sp. Alnif, Morocco デボン紀中期

 お店では、幾つかの腕足類が売られていて、全部に「Atrypha sp.」というラベルが付いていた(Atrypa属の誤り)。この標本以外は確かにアトリパ類であったが。1種類ではなく幾つかの属であった。これは全く別のグループで、Chilidiopsidae 科のXystostrophia 属ではないだろうか。参考にしたのは次の論文。
○ Halamski, Adam T. and Andrzej Baliński 2013. Middle Devonian Brachiopods from the Southern Maïder (Eastern Anti-Atlas, Morocco). Annales Societatis Geologorum Poloniae, vol. 83: 243–307. (南部Maïder (東部小アトラス山脈)からのデボン紀中期腕足類)
 小アトラス山脈は、アトラス山脈の一部で約500kmの長さがある。この論文にはXystostrophia umbraculum (von Schlotheim, 1820) という、今回の標本によく似た腕足類が報告されている。

107 Halamski and Baliński 2013. p. 255. Fig. 6. (一部)Xystostrophia umbraculum (von Schlotheim)

 属Xystostrophia は次の論文で記載されたという。
○ Havliček, Vladimír 1965. Superfamily Orthotetacea (Brachiopoda) in the Bohemian and Moravian Palaeozoic. Ústredího Ústavu Geologickéo, Vestník 40: 291-294. (ボヘミアとモラビア(チェコ)の古生層のOrthotetacea 超科腕足類)<未入手>
 資料によって雑誌名等にいくつかあるから間違いが含まれている可能性がある。Vladimír Havliček (生没年不明)はチェコの古生物学者)
 種 Xystostrophia umbraculum の記載は古く、1820年の次の論文。
○ Schlotheim, Ernst Friedrich, Freiherr von, 1820. Die Petrefactenkunde auf ihrem jetzigen Standpunkte durch die Beschreibung seiner Sammlung versteinerter und fossiler Überreste des Thier- und Pflanzenreichs der Vorwelt erläutert. Becker’schen Buchhandlung, Gotha, LXII + 437 pp. (先史世界の動植物界の化石の遺物のコレクションの説明を通じた、現在の観点からの岩石・化石学の解説)
 独特の概念に基づいた動植物の分類で、ここでは化石の種類を列記している。第1章は人類、第2章が哺乳類にあたる。問題の種類は42ページから始まる第8章 軟体動物 で、現生属のある化石の属には「-ites」という語尾をつけて区別しているようだ。ここではTerebratulites umbraculum (250ページ)としているが、この属には60種以上が並んでいる。前に触れたHalamski and Baliński 2013 の記載には、その後この種類がどう取り扱われたかのリスト(シノニムリスト)があるが、次の属に入れられたことがあるという。
Terebratulites, Streptorhynchus, Schellwienella Orthotetes, Schellwienella, Schuchertella, そしてXystostrophia。ずいぶんあちこちに転職した履歴書である。私にとっては知らない属が多く、聞いたことのあるのはOrthotetesSchuchertellaだけである。Orthotetesは大きなグループ名(Order Orthotetida など)で出てくる。Schuchertellaは、岐阜県の福地層群からコーテーション付きで報告されている。
○ Ohno, Terufumi 1977. Lower Devonian Brachiopods from the Fukuji Formation, Cenral Japan. Memoirs of the Faculty of Science, Kyoto University, Series of Geology & Mineralogy, vol. 44, No. 1: 79-126, pls. 1-11.  (大野照文:中部日本、福地層群からの下部デボン系腕足類)
 この論文は大野(後の京都大学教授;1951− )の卒業論文。

2024年池袋ショーに行ってきました 3

2024年12月25日 | 化石
 入手した化石の一部を紹介する。東京から帰ってきてから短時間で調べたので、物足りないかもしれない。

101 標本1 Kosmoceras sp. ロシア ジュラ紀 

 ここから標本写真に100番台の数字を付け直した。 
 産地はモスクワから南東約100kmのRyazanというところ。殻は何か硬い鉱物に置き換えられている。たぶん黄鉄鉱。表面には干渉色らしい虹色が見えて美しいが、中心部分がなくなっているため、安かった。あとでうまく埋めよう。内部(隔壁の間)は中空だから壊れやすい。殻口側の断面に隔壁が見えているから、住房はまだ先にあった。住房部分と内側の螺管との接合痕がずっと見えていて、あと4分の3周ぐらいあったことがわかる。
 Kosmoceras属には100種以上あって、多くの亜属に分けられている。亜属(Kosmoceras) に入れることができそうだが、他の複数の亜属に当てる資料もあってよく分からない。ラベルには属しか書いてない。ネットではCosmoceras という綴りもあるが、どうやらK で書くのがよさそう。Kosmoceras phaeinum という種類に似ている。住房のあたりで巻きが緩んで、前の螺管をあまり隠さなくなる。

102 標本1 住房の付着する線(aからb)緑色は側面のイボの列

 この図で、なくなってしまった住房が、一周前の螺管に接する線は、最後の隔壁付近では側面中央のイボの列に近い所にあるが、bのあたりではそれよりずっと外側にある。
 属の命名者はWaagen, 1869 とかなり古い。この論文はネットで手に入らない。
 Kosmoceras phaeinum という種類はBuckmanの命名で(Bucklandの命名とする資料がネットで出てくるが、Buckmanが正しい)Buckman は次の本でこの種類を記載したらしい。
○ Buckman, Sydney Savory. 1924. Yorkshire Type Ammonites: The Original Descriptions Reprinted, and Illustrated by Figures of the Types. Arthur Morley Davies. 444 pp. (Yorkshireのアンモナイトのタイプ標本)<未入手>
 その中でphaeinum という新種を記載したが、Hoplikosmokeras という属を用いた。以上は多くの資料から推測したもので、文献が入手できていないから確かではない。

 後日、ヘソのあたりを修正した。他のアンモナイトのその部分のレプリカを作って、はめ込んだが、あまりうまくいっていない。あと10個ぐらい練習すれば出来るようになるかもしれない(冗談です)。

103 標本1  Kosmoceras phaeinum(Buckman)? 修復後

二番目のアンモナイト


104 標本2 Hildoceras sp. フランス北部 ジュラ紀

 螺管の側面に溝状のラインがある。小さな標本で、高いものではない。この線のあるアンモナイトは持っていないので購入した。写真を撮ってみると、表面がなんとなくぼけていて、美しくない。そこで標本をブラッシングし、少しオイルを付けて撮影しなおした。

105 標本2 Hildoceras sp. フランス北部 ジュラ紀 清掃後撮り直し

 ずいぶん良くなって縫合線も見える。この属は1867年Hyattの命名。(Wikipedia では1876年としているが、誤り。)1867年の論文は、次のもの。
○ Hyatt, Alpheus. 1867. The Fossil Cephalopods of the Museum of Comparative Zoölogy. Bulletin of the Museum of Comparative Zoölogy at Harvard College, in Cambridge. Vol. 1, No. 5:71-102. (Harvard大学比較動物学博物館の化石頭足類)
 論文の最後に近い99ページに、Hildoceras の見出しがある。この名前は、7世紀の聖人St. Hilda of Whitby (614-680頃) に因んだもの。HildaはイギリスのWhitby 修道院の創設者で、修道院建設時にその場所の蛇を石に変えて退治したという。それがアンモナイトになり、化石を蛇除けのお守りにした。論文にはHildoceras bifronsHildoceras Walcotii の二種類が出てくるから、先に出てきたHildoceras bifrons が模式種となる。これら2種類の違いは全く書いてないが、それぞれ既に記載された種類を引用しているから、それを見ないといけない。
 ここではHildoceras bifrons は年号なしで「Amm. bifrons Brug., Eney. Math. Amm. No. 15.」としている。「Brug.」はBruguiére に違いないが、「Eney. Math. Amm. No. 15.」というのは謎。次の論文のことだろうか?
○ Bruguière, Jean Guillaume. 1789. Histoire naturelle des Vers. Tome 1. Encyclopedie Méthodique ou par Order de Matières, par une Societé de gens de Lettres, de Savans et d’artistes. Paris. pp. 29-43. (無脊椎動物の自然史;百科事典...)
 この辞典の40ページに、Ammonites bifrons が出てくる短い解説があるが、これでいいのかな? 「Encyclopedia」が「Eney.」、「Méthodique」が「Math.」に化けているが。確かにAmmonites bifronsは、15番目の Ammoniteである。2単語の1文字ずつのミスプリと判断して、この種類の学名は、Hildoceras bifrons(Bruguiére, 1789)としておく。論文には特徴がラテン語で、記載がフランス語で記されていて、図版はない。入手した標本をこの種類と考えたが、自信はない。

2024年池袋ショーに行ってきました 1

2024年12月17日 | 化石

 今年も出かけたが、例年よりもホテル代の高騰があって、歳も考えるとそろそろ止める時が近づいたようだ。
 家を出て小倉駅にきた時に、重要な忘れ物に気づいた。デジカメを机の上に置いたままだった。スマホを持っているからそれで過ごしたが、フレーミングやズーム率などに不慣れがあって、問題のある写真もできてしまった。なんといっても面白くないのは、シャッターのタイムラグがあって、しかもそれが一定ではなくばらつくから、車窓では電柱が来たりする。
 滋賀県に入って、湖北の山に今シーズン初めての積雪が見えた。伊吹山で間近に迫った。

1 伊吹山 新幹線から 2024.12.12

 東海道・山陽新幹線では、山側の方が季節感のある車窓に恵まれるから、空いていれば山側窓際のE席を取る。偶然今回は往復とも12号車5E席。岐阜県あたりでは北の方が晴れていて、北アルプスの積雪も見えたが、シャッタ〜チャンスを選べないスマホでの撮影は難しい。たぶんうっすらと槍ヶ岳が見えたと思うが、証拠がない。富士山は雲の中。
 2時過ぎに品川着。渋谷から会場のサンシャインビルへ。いつもは東口から歩くが、今回は少しでもそれを短くするために、東池袋まで地下鉄有楽町線を利用した。昔もそうしたことがあったが、今回行ってみると東池袋駅からサンシャインビルの地下二階まで地下道がまっすぐ繋がっていた。通行者もこちらが少なく、天候に左右されないからいいのだが、東池袋駅の出口は地下なのだが上が開放されていて、通路を吹き抜ける風が強いのが欠点。サンシャインビル側の出口は、池袋駅から遠い方で、今回の会場の真下だから便利。
 この日は内覧会だったから割合空いていて見やすかった。今回の付設展示は、「南フランスの恐竜の巣・卵」という題で小規模であった。

2 恐竜の卵 南フランス。大きさは20㎝ほど。

 販売されていた化石で、興味を持ったものをいくつか紹介する。撮影は許可のあったものに限った。
A 魚竜

3 Ichthyosaurus sp. ジュラ紀 ドイツ・ホルツマーデン 
 魚竜のひれで、ラベルにはイクチオサウルスとしてあるが、綴りは間違っていて疑わしい。属名と思わないで、「魚竜」というだけのラベリングかもしれない。ホルツマーデンからは他の属の魚竜もあるが、これのように生まれたばかりの幼体で判定できるのだろうか。前後どちらのヒレかは判定可能だろう。この動物は、孵化してから「出産」すると化石から推定されている。この化石は出産後間もない個体だと業者さんは言っていた。注目されるのはヒレの中の「指」の数で3本しかない。種類ごとにおおよそ決まっているはずだが、成長に伴って「指」数が増すことがあるのだろうか? 

B アンモナイトの縫合線

4 縫合線を磨きだしたアンモナイト 白亜紀 マダガスカル
 縫合線は、殻の内部を仕切るセプタが腹の内側に付着するところの線。種類ごとの変化が大きいから分類のめやすとなるし、写真のように美しいから、それが見やすいようなものをたくさん売っている。隔壁の間は生きている時には気体が入っていて浮力を生み出すが、そこに後で入った鉱物の色が、縫合線を見やすくしている。気をつけねばならないのは、殻を除かないと縫合線が見えないのだがさらに削りこんでいる標本が多いこと。一般には削り込むと縫合線の屈曲が単純になる。研究の時には殻のついた標本から殻を剥がしたところを観察する必要がある。

古い本 その182 平牧動物群 17

2024年12月09日 | 化石
 前回記した幾つかのレビューを基にしてこれらに出てくるサイの化石のうち、臼歯を伴うものをリストアップした。
標本の部位 産地 文献の順
ホロタイプ 口蓋・左右臼歯 可児市二野前山 Matsumoto 1921 写真692
左下顎骨 第1から第3大臼歯 可児市羽崎 Tokunaga 1926
左下顎骨 第4小臼歯から第2大臼歯 瑞浪市棒ケ洞 Tokunaga 1926
左下顎骨 第2から第3小臼歯 可児市東帷子 Takai, 1949
左下顎骨 第4小臼歯から第1大臼歯 可児地方 亀井・岡崎, 1974 写真690
左下顎骨 第3から第4乳臼歯 多治見市姫 亀井・岡崎, 1974
上顎臼歯破片 部位不明 土岐市妻木町 亀井・岡崎, 1974
右上顎骨 第1から第2大臼歯 可児市東帷子 以下岡崎, 1977
左下顎骨 第4小臼歯から第1大臼歯 可児市春里
左下顎骨 第1から第2大臼歯 可児市羽崎
左下顎骨 第2から第3大臼歯 可児市東帷子
左下顎骨 第2大臼歯 可児市東帷子
右下顎骨 第2小臼歯から第3大臼歯 美濃加茂市米田 のちにPlesiaceratherium sp. 写真691
右下顎骨 第2から第3大臼歯 可児市東帷子
右第3大臼歯(未萌出) 可児市東帷子


690 京都大学に古くから保管されてきた可児地方産のサイ化石 左下顎頬側 (再録)

 現在、上の表で下から3番目の標本以外は?Brachypotherium pugnator (Matsumoto) として扱われている。

691  Plesiaceratherium sp. 右下顎頬側 瑞浪市化石博物館蔵

 それぞれの標本が最初に報告された論文のうち、上に書いてないものを記しておこう。
⚪︎ Tokunaga Shigeyasu, 1926. Fossils of Rhinocerotidae found in Japan. Proceedings of Imperial Academy, Tokyo, vol. 2, no. 8, pp. 281-291. (日本で発見されたサイ科の化石)
⚪︎ Takai, Fuyuji, 1949. Fossil mammals from Katabira-mura, Kani-gun, Gifu Prefecture, Japan. 前出

 このように、サイの化石は瑞浪層群で(臼歯を伴うものだけで)14件もある。他にもいくつか標本があることは分かっている。いずれも単独の産出で、上下顎以外の骨を伴っていたという記録のあるものはない。別種と思われる右下顎骨を除く13個の標本で左下顎が9個に上るのは偶然だろうが非常に多い。ところが、奇蹄類の下顎臼歯は、種類ごとの特徴に乏しくて、属の決定には上顎の、それもできたらあまりすり減っていない臼歯が求められる。瑞浪のものは標本数の多い割にはそういうものが少ないから、属の判定が困難である。
 最初のMatsumoto, 1921の新種命名の時にはTeleoceras (Brachypotherium) pugnatorとされた。

692 Matsumoto, 1921. Pl. 14. Teleoceras (Brachypotherium) pugnator. Holotype 口蓋面

 この写真は、原記載のコピーから作成したので、解像度などに問題がある。個人所蔵の標本である。分類に有効な上顎臼歯が揃っているが、磨耗が激しい。
 5年後の1926年にTokunagaは新しく二種類を提示したが、それらの属として疑問符を付け、? Teleoceras kaniensisおよび ? Teleoceras tokiensisとした。Takai, 1949は、新しい標本の産出を報告した。Matsumotoの記載した種に含めたが、属を変更しChilotheriumに含めた。

 前に記したようにこのブログでは、1970年代の論文による分類に基づいている。現在の分類については次の論文を参照いただきたい。
⚪︎ Fukuchi, Akira and Kouji Kawai, 2011. Revision of fossil rhinoceroses from the Miocene Mizunami Group, Japan. Palaeontological Research, vol. 15, no. 4: 247-257. (瑞浪層群からの化石サイ類の改訂)

古い本 その181 平牧動物群 16

2024年11月25日 | 化石
 次の属、Palaeotapirusに進む。Matsumoto, 1921にPalaeotapirus yagiiという新種名が記載されている。めんどうなことに、この属はすでに「無効名」とされているようだ。

686 Matsumoto, 1921. pl. 13.一部 Palaeotapirus yagii ホロタイプ:右下顎P2−M2と脱落したM3

 標本の産出地は、上ノ郷村(現・御嵩町)大洞田の平である。第2前臼歯から第2大臼歯が付いた右下顎骨と、同じ個体の第3大臼歯が報告されている。その後、追加標本が幾つか発見されている。
⚪︎ Takai, Fuyuji, 1949. Fossil mammals from Katabira-mura, Kani-gun, Gifu Prefecture, Japan. Japanese Journal of Geology and Geography, vol. 21, nos. 1-4, pp. 285-290, pl. 12. (岐阜県可児郡帷子村からの化石哺乳類)

687 Takai, 1949. pl. 12. Palaeotapirus yagii 右下顎骨

 標本の産出地は、可児町(現・可児市)東帷子。これらの他にも数点のバク類化石が知られている。
 この属名が「無効名」となっているのは、Palaeotapirusの最初の標本が十分に特徴を示すものではなかったという理由である。無効と言われても、探して見なくては。この属を記載したのはFilhol で、下記の論文である。
⚪︎ FilholI, Henri, 1888. Description d’un nouveau genre de Mammifére fossile. Bulletin de la Société Philomathique de Paris, Ser. 7, Tome 12: 55-58. (化石哺乳類の新属記載)
 この論文では、パリ国立高等鉱業学校にあったBuschwiller (Bas-Rhin州・スイス国境に近い)というところ産の標本について論じている。図版はなく、長い記載(というよりも現生バク、Lophiodon(始新世・ヨーロッパ), Hyrachyus(始新世・ヨーロッパ・北アメリカ。この論文ではHyrachiusと綴られている。)との比較)が書かれているが、図がないのでイメージが湧きにくい。また専門用語でないところが多いために、若干明確さを欠いている。文章にはPalaeotapirusの名はずっと出てこないが、最後の一行でPalæotapirus Douvillei を示して命名している。なお、命名規約では連字æ はaeに直すことになっている。地質年代は始新世。
 Henri Filhol (1843-1902) フランス・Toulouse自然史博物館の学芸員で医師。
 Palaeotapirus yagii は、現在Plesiotapirus yagii (Matsumoto) と扱われているようだ。この変更を記した論文は分からなかった。Plesiotapirus はバク科(Tapiridae)に属する。一方Lophiodonは現在バクの仲間ではなくサイの仲間(Rhinocerotoidea)のヒラキウス科(Hyrachyidae)に分類されているから、Filholの比較そのものが新属を立てる論議として適切ではないことになる。なお、LophiodonはCuvier, 1822 の命名。

 次にChilotherium属に関連する論文を調べてみよう。江戸時代に瑞浪地方のサイ化石が図示されたことがあるが、それを別にして科学雑誌に最初にサイ化石が記されたのは、前出の佐藤, 1914である。「平牧村字二野(にの)」から産した「犀Rhinocerosの顎骨及び」その他の骨が上之郷村の嵯峨氏により所蔵されている、という。ここで挙げられた属名は現生のサイのもので、あまり明瞭な理由で挙げられたのではなさそう。
 Matsumoto, 1921では、Teleoceras (Brachypotherium) pugnator という新種名をつけてある。瑞浪層群の哺乳類化石のなかで、サイの標本が最も多い。いくつかの論文の記述を基にして数えてみた。使った論文はすでに記した亀井・岡崎, 1974、その続編の 岡崎, 1977 である。後者には、そのころ可児町(現・可児市)で行われた二つのニュータウン関節に伴う化石調査の報告書である次の二つのものが反映されている。
⚪︎ 奥村 潔・岡崎美彦・吉田新二・長谷川善和, 1977. 可児町産の哺乳動物化石. 平牧の地層と化石 可児ニュータウン化石調査報告書-. 21-45, pls. 1-16. (以上前出)付;可児町東帷子菅刈のカメ類化石. 同 103, pl. 1.

688 可児町報告書 1977 別刷表紙

⚪︎ 奥村 潔・岡崎美彦・吉田新二・長谷川善和, 1977. 帷子産哺乳動物化石.可児町帷子の地層と化石 可児グリンピア住宅団地内化石調査報告書-. 9-19, pls. 1-9.

689 帷子報告書 1977 表紙

 これら二つの報告書は、実質的に同じものである。二つの宅地建設に伴う学術調査を求められたために、二つの報告書を作ったものである。帷子の方が扱っている標本が少ない。