温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2017 静岡県立高等学校再編計画(No2)

2017-12-14 22:06:04 | 気になるニュース
PTAや地元は、高等学校の存在がその地域にとってどんなに重要なものか知っている。
高校の存在は、地域の活性、明るさの創出ばかりでない、最近では、高校生と地元、高校生と地元自治体との様々な場面でのコラボレーションが実践され、成果がいたるところで表れている。

しかし、もっと大事な高校の存在というものを感じる。
要は、地元の小中学校を卒業し、地元の高校に入ることは、地元意識をさらに高揚させるものであり、地元への愛着を醸成し、その後大学や専門学校など都会へ行っても都会に残る連中はいるが、大抵は地元を目指し、就職先を見つけようとするその基礎となる。

それでなくてもこの静岡県は東京に近く、若者が気軽に都会に出ていく傾向にある。
小中学校は地元だが、高校は地元から離れた他の市町の高校、さらにそこから都会に出ていけば、帰趨本能は薄れるばかりである。

静岡県自体が人口流出で悩み、若者を出身地に何とか戻らせようと必死に取り組んでいるが、これに逆行する高校の再編計画がここまで深く議論されているのか、今までの経験上疑問に感じる。
少なくとも数の論理で単に統廃合の方向性を決めたとは信じたくないが・・・。

おそらく、県教育委員会はいったん決めたら変更はしない。
変更せず、この計画をスケジュール通り進めることが忠実な職務遂行だという特異体質の組織が、県教育委員会というところだ。

計画の俎上に載せられた掛川市も、御前崎市も大変なことになったことだ。
よっぽどの覚悟を決め、計画変更の戦略を練る必要がある。

私は、計画自体を責めるつもりはない、生徒が減っていく中で効果的な教育の場の提供と、環境整備を考えるのは、県教育委員会の責務である。

ただ、いつの間に議論されてきた計画策定までに至るプロセスと議論の情報提供と今後の十分な地元との協議を持つ義務があると県教育委員会は認識すべきだ。

それを前提に、地元と県教育委員会が、丁々発止議論すべきだ。
私たち吉田高校の関係者は、この議論すらできなかった。

単にインターネットによるパブリックコメントで、十分意見をいただいたなどと錯覚されては困る。
地元にじかに足を運び、ひざを交えた話し合いを何度となく重ね、説得するという決意と労力を惜しまない姿勢が必要だ。

地元は廃校になることを恐れ必死の議論を攻めたてる。これは致し方ないこと。
それを正面から受け入れ話し合うことが県教育委員会の責務。

私たちのような後味の悪い、いつまでも引きずる結末は、私たちだけにしてほしい。

おわり・・・。



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