温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2011今年は台風の当たり年!?No3

2011-09-29 20:24:54 | 日記・エッセイ・コラム

続きから。

前回↓

http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20110928

Rickの不安を取り払うように、まずは腹をすかしていると思って、ドッグフードを与える。

もう喜ぶように飛び跳ね、食べていた。

それにしても、暗闇。

電気がないとはこんなにも不安で、不便なものなのかと、あらためて認識した。
あまりにも、今までが電気にとっぷりと浸かり、電気が来ていることさえ感じない毎日であった。

夜の暗さの中で、お袋が探しておいた懐中電灯2本では不足なので、確かあったと思いながら、懐中電灯を照らしながらの懐中電灯さがし。
何とか探し出し、電池を補充。

東海地震が予想されるこの地域では、電池の買い置きは当然。
家族4人分4本の懐中電灯を用意し、次はロウソク。
食卓にはロウソクが必要。
懐中電灯では、一方向のみを照らすだけ。
食卓全体を照らすには、やはりロウソクが一番。

仏壇のロウソクを持ってきて、このぐらいの準備で、夕飯の支度。
幸いにも、ガスと水道は正常だ。
電気が止まっている冷蔵庫を開けるとまだひんやりとはしていたが、おそらく冷凍室の冷凍物は、溶け出しているだろう。
あまり冷凍室は開けないようにして、野菜室で使えそうなものを出して娘が味噌汁を作る。
あとは、冷蔵庫にあった残り物で、主食はパンとなった。
まあまあその場しのぎの割には、品数がそろった。

私は、停電にはなっていなかった職場の近所の魚屋で、つまみの刺身を買ってきていたので、それとなんとかまだ冷えていたビールで晩酌。
ただし、次にウイスキーの水割りと思ったが、これは氷がなくて断念。
それにしても、電気がきていない夕飯というものは、なんとさみしいものか。P1060565

普段なら、新聞を見ながら、あるいはテレビを見ながら食事を摂る。
そこにはなんかしらざわついた音が充満している。
しかし、電気がないと、なにもない。音もなければ、視界も極端に狭くなる。
あるのは目の前の食べ物と家族の顔。
そうなると、普段はテレビに、新聞に夢中になり会話もなく食べ物を口に運んでいたことが、いやおうなく(!?)会話をすることとなる。

話す会話の内容は、いつごろ電気が来るのだろうかとか、あの地域は電気がついていたんだが、なぜここは、とかといったたわいないもの。
しかし、話を続けないと、真っ暗い中のシーンとした食事は、それこそ味気ない、なにか異常な場面となる。

それにしても、普段電気がある生活での行動が、電気がなくてもついつい出てしまうのには、自分ながら笑ってしまう。
たとえば、トイレに行って入口の前まで来ると、つい電灯のスイッチを押している。懐中電灯を照らしながらである。
また、画面が暗くなっているパソコンの前で、ついついマウスを持とうとする。普段ディスプレイは、スリープ状態に設定しているので、いつも画面は暗くなっているからいつもの調子でマウスを触ってしまうのだ。

食事は何とか食べることができた。
ところで、食事の後。さあ、これから何をするか、と考えたが、できることが思い浮かばない。
風呂はダメ、パソコンも、テレビも。
本を読むのも結構ロウソクや懐中電灯では暗い。
昔の人はこの暗さで本を見たと思うが、今は無理である。
そうなると、何もすることがない。

今回の停電で一番苦痛を思い知らされたのが、何もすることがない、何もできないということ。
食事を満足に取れないとか、風呂に入れないとかは、なんとか我慢できる。
しかし、何もすることがないという状態は、長続きできない。

女性陣は、電気が来ている親戚に風呂を借りに行ったので、時間をその分つぶすことができた。
しかし私は、風呂は明日の朝電気が来てからでいいと、風呂を借りにはいかなかった。
真っ暗な家の中で何もすることがない時、ソファーにだまって座っているのも様にならず、やはりこんな時は布団の上。
しかし、幸いなことに(!?)晩酌もちょうどよく利いてきて、そのまま寝ることができた。

夜中には、もう電気が来ているかと、2、3度目が覚めたがだめ。結局朝になっても通電しなかった。

朝食は、あるもので済ませ、風呂も仕方なく今の時期には少し冷たい水シャワーで済ます。
まだ電気が来ていない家にお袋とRickとももを残していくには心苦しいが、なんとか早く電気が来てくれることを祈って家を出た。
後で聞くところでは、私の出た後まもなく電気が来たようで、女房と娘は、普段通り身支度できて家を出たようだ。

 

電気のありがたさをあらためて感じた。
この電気は、中部電力管内では、いままで浜岡原子力発電所が一部を賄っていた。
しかし今、浜岡原発は、すべて止まっている。

 

浜岡原発の再稼働については、私の地元では永久停止と意志表明をした。
電気のありがたさと原発停止は、相反するところがあるが、だからこそ、原発に頼らず、新たなエネルギーの開発を進めていただきたい。
そして安定した電力供給に努めていただきたい。

電気が全くないと、何もしようがないことを知らされた今回。
今回は台風での停電であったが、東海地震も予想される今、発電機や蓄電池をこれから一台でも用意しておいたほうがいいかもしれない。

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