「男命を 三筋の絲(いと)に かけて三七 賽の目 くずれ」
ご指摘いただいた流転歌詞の解釈が、頭から離れられなく、いろいろ調べているが・・・、なかなかすっきりしない。
何かヒントはないかと、先生の著書を探したら、散歩道3部作である「歌謡散歩道」「落書散歩道」「戯書散歩道」と先生がお亡くなりになった後、ご子息の知生氏が編纂した「世迷散歩道」のなかで、今手元にあったのは、世迷と戯書の2部があった。
しかし、この中では、ヒントとなるものはなかった。
もともとこれらの本は、先生のつれづれ想う所感を、1ページ4、5行の短文で表されている随筆集。
したがって、先生の作詞の個々のエピソードなどが掲載されているわけではないので、参考とならなかった。
後の残りの散歩道ははどうか調べてみるが、期待はできそうもない。
そうなると、あらためて、他の糸口を探るしかないが、そもそもこの歌は、数十年前井上靖の「流転(サンデー毎日掲載)」が映画化され、それの主題歌に作られたもの。
そうなると、糸口はこの「流転」のあらすじ。
時代をさかのぼれば、江戸時代天保十一年、歌舞伎の世界で三味線の弾き手「新二郎」が、歌舞伎俳優の成田屋と対立、そこで三味線を捨てた。
その後は紆余曲折複雑だが、ポイントを拾うと、
・お秋という旅芸人の娘の美しい踊りを見て、再度三味線の芸に打込んだ。
・お秋と寄席へ出るその初演の日、お秋を踊りから遠ざけ、成田屋の妻にしようと考えていたお秋の父親勘十は小屋に放火した。
・新二郎は勘十と争うはずみに勘十を殺し、流浪の旅に出た。
・三年後、新二郎は、九州でヤクザになっていた。
・しかし新二郎は、訳あって、三味線への愛着が戻って来た。
・新二郎は江戸へ戻ったが、勘十殺しの罪で岡っ引源三に追われる身であった。
・新二郎は、一端手放した三味線「谺(こだま)」が、めぐりめぐって手元に帰り、弾くことができた。
と、おおざっぱにいえばこんなストーリーである。
この井上靖のストーリーを読んで、藤田まさと先生は、詞を創ったのだと思うが、この筋書きと先生の歌詞を比較し言えるのは、次の点。
・三筋の絲=三味線
・賭けて=三味線の芸を極める
・賽の目くずれ=思わぬ事態から三味の芸を離れる
この辺りは、読み取れるのではないかと思う。
それにしても、やはりわからないのは、「三・七」である。
賽の目を二十一目と記述する歌詞もある。
この場合、二十一目をなぜ賽の目と読ませるのかというと、賽コロ1から6を足すと合計で21となるので、賽の目のあて字とすると、インターネットのあるブログに載っていた。
これはこれで、正しいのかもしれない。
ただし、三・七をかけて二十一とした場合、二十一と崩れとの関連性が理解できなくなる。
「かけて」は、やはり3・7をかけるのではなく、三筋の絲に対しかけるということではないのだろうか。
ここであらためて、新二郎が、三味線に芸を極めたいと思っていたところが、ある拍子に人を殺したために三味線を捨てるという筋書きから、「男命を 三筋の絲に 賭けて」までは、なんとなく理解できる。
この後は、おそらくは藤田先生の作詞家としての独自の世界。
想像するに、「三・七」「賽」「浮き世かるた」は、新二郎が身を崩した任侠の世界から創作した言葉。
また「浮き世かるた」は、花札、株札と人生の浮き世を重ねた。
流転の曲全体が、人生流転を表現するように、山あり谷ありと賭け、博打とを重ねている・・・。
私の頭では、この辺りまでである。
ちょうどコメントをいただいている方から再度コメントが寄せられた。
「僭越ですが、昨夜のコメントをもう少し詳しく述べてみます。
二十一の目と書いて「さいのめ」と読ませる事もあります。
歌の文句は意味よりも語呂合わせとリズムを重視している事が多く、三味に懸けると博打に賭けるの間に「三七=二十一」をかけたのではと思います。
作者の意図は図り難く、もしかしたら藤田氏が「ブタ」の「0」をかけた事も考えられますが、そこまで深読みしなくてもいいと私は解釈しています。」
了解しました。
ゴロ合わせもおそらく作詞の手法には重要な部分。
藤田先生がお亡くなりになり30数年がたった。
今、私に、あるいはこの曲を好きで歌うカラオケ愛好者などに、大きなミステリーを与えてくれている。
今となっては、あの世にいらっしゃる藤田先生に聞くわけにもいかず、ミステリー(!?)追及はここまでか・・・。
でも、藤田先生の遺品などが牧之原市役所にあるので、機会があったら少しそれをみさせてもらうか。
それにしても突き詰めれば、「三七」はいったい何なのか・・・!!!???