たいそう仰々しいタイトルだが、今の私の心境はまさに、そんな気持ち。
昨日午後N藤氏が練習会場である私の家の作業場に、日ごろ保管している機材等を引き取りに来た。
ちょうど私が不在であったので、会えないままN藤氏は持ち帰り。
その後帰ってきてN藤氏分の資機材が少なくなった資材置き場をつくづく眺め、一抹の寂しさが・・・。
これで、しばらく茶レンジバンドの活動も休止。
もちろん決して終わり、解散さんとは言わない。
私はこの頃、定年後の茶レンジバンドを思い描き始めたところ。
その時には、みんなが毎週のように集まり練習して、ワイワイやりながら、その後はもちろんお疲れの飲み会。
そして、いろんなところに演奏活動に出かけるのを思い浮かべている。
しかし、そうはいっても、それまでにはまだまだ数年先。
その間をどうしようか・・・。
今それが思い浮かべられないため、ネガティブなタイトルとなってしまう。
一通りの技術を持っているなら、ベースマンとして、いろんなバンドに顔を出すかもしれない。
しかし、ズブの素人、自分でブンブン弾いているのがセイゼイ。
ちょうどN藤氏が浜松の転勤先から帰ってきて茶レンジバンドが再活動しはじめたのが3年前。
その時集まったメンバー構成が以前と変わったため、急きょ今まで触ったことがなかったベースというものを弾くようになった。
しかも、吉田高校の学園祭である「香蘭祭」に再び出場することとなり、あわてて毎日のようにベースの練習をしていた。
しかし、結構ベースが面白く、また私の性格(!?)にあっているような楽器であったので、いつしか夢中になっていった。
そうして、幸運にも、メイドインJapanのベースの中で、名器と言われるYAMAHAのBB2000を手にすることができ、一段とベースに対する熱は上昇。
しかも、再活動のその年に、静岡おやじバンドコンテストに出て、つま恋のエキシビジョンホールのステージで演奏することに。
そして、特別賞のつま恋賞をいただいて、もうバンドメンバーともども有頂天に。
その後は、障害者家族会や老人ホームでのボランティアコンサートも回数を重ね、演奏曲もだいぶ増えていった。
その中にはオリジナルの振り込め詐欺防止ソングや新型インフルエンザ予防ソングなどもあり、一丁前のバンドのつもりでいた。
しかし、レパートリーが増えれば増えるほど、メンバーの音楽志向もさまざまなベクトルを持ち始めてきた。
N藤氏からコメント。
「ご無沙汰しています。松山千春です!チト違うか。
こちらは引っ越し、転勤、そして計画停電と、慌ただしい毎日で、ゆうべ一旦帰省したところ。
最終の荷物まとめを終えたら、また沼津に戻ります。
今、自分にできること。
元気を出して仕事に打ち込んで、そして、人の気持ちを想い、祈ること。あとは献血と、節約と。
県内、富士川以東のみんなは、計画停電により一時的に不便な生活をしているけれど、想いをひとつにして、お互いにがんばりましょう!!!」
N藤氏も次の多難なステップに、心はすでにシフトチェンジ。
しかし、次の現実に立ち向かおうとするその裏腹に、茶レンジバンドとのしばらくの決別に、一縷のさみしさを払しょくしようとしているようにも見えるのは私だけか・・・!!??
でも、いつかひょこっと皆さん都合がつき、急きょ集まることができた時、いつでも音合わせができるよう、日ごろの自主トレは欠かさないようにしたい。
レパートリーは増えないが、かえって、今の持ち歌をじっくり高められる。
少なくとも、今年の暮れには、恒例の高次脳機能障害者とのコンサート、また、今年大盛況であった牧之原市手をつなぐ育成会は、目標としたい。
楽しさを知ったおやじバンドは、青春を呼び戻し、それがこれからの糧になる。
なんとか茶レンジバンドを続けていきましょう!