まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

24日(水)の作業は予定通りです!

2005年08月23日 |  マツタケの林地栽培 
皆さん!
 第9回まつたけ十字軍運動は、24日の降水確率は低いようなので、予定通り
朝10時30分、岩倉の現地もしくは京都バス「村松集会所前」集合です.
 午前は読売新聞社系列の「読売・ザKANSAI」の取材.昼からはKBS京都の「京都!ちゃちゃちゃつ」の取材があります.ご協力のほど願いあげます.写真は岩倉での作業風景です.
                         
                         まつたけ十字軍運動 代表
                             吉村 文彦
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マツタケは栽培できる(1)

2005年08月22日 | マツタケの生理生態

 「マツタケは栽培できる」(8回シリーズ)と題して、もちろん里山林の保全をも提唱する「まつたけ十字軍運動」だから、当然、「まつたけは、林地栽培が出来る」ことを意味する.

 この上に立って、専業のまつたけ栽培林家を育成する方法を労働力や資金面からも真剣に考えていきたい.このことが進めば、里山林の保全問題は、所謂、民活方式で飛躍的に前進することと思われる.

 皆さんのあらゆる支援をお願いしたい.

                        まつたけ十字軍運動 代表
                            吉村 文彦


マツタケは栽培できる(1)

マツタケとホストとの共生関係
マツタケはカビの仲間で、カビは、その生活様式などから腐生性や菌根性や病原性のものに分けることができる.マツタケは腐生性のカビから進化したと考えられ、生物遺体を分解する能力を遺伝的に欠いた菌根菌の仲間である.

菌根菌は生きた植物(宿主あるいは寄主)の1mm未満の細根に感染し、光合成産物である糖類を宿主から摂取する.逆に宿主は菌根を介して土壌中の水やミネラル類を受け取る.

マツタケは菌根になると、抗生能のある物質を分泌し土壌微生物の攻撃から自らや根を守る.アカマツの細根を菌糸マットで覆い根の乾燥を防いでいる.

マツタケにとってはアカマツのようなホストが、アカマツにとってはマツタケのような菌根菌が、それぞれの生物が生き残るために獲得した戦略的パートナーなのである.

アカマツ林を構成する樹種間に菌根菌の菌糸マットが仲立ちしたネットワークが林内に形成され「情報の伝達」があることが最近わかってきた.菌根菌は,同種あるいは異種植物同士の物質の移動の仲立ちもする.

マツタケの宿主は日本においては、アカマツ、クロマツ、ハイマツ、エゾマツ、ツガ,コメツガなどであるが、台湾ではタイワンアカマツやタイワンツガ、朝鮮半島ではアカマツやチョウセンゴヨウ、アメリカではダグラスファーやツガの仲間、コントルタマツ、地中海沿岸ではレバノンスギである.そのほか、広葉樹をホストにするマツタケが日本にもある.

日本で、マツタケの生産量の多い宿主はアカマツであり、日本のマツタケはアカマツの存在抜きには考えにくい.

人の生活がアカマツ林を育てマツタケを発生させた
マツタケがいつから日本に発生していたのかはっきりしないが、キノコについては、日本書紀(720年成立)に茸(タケ、クサビラ)のことが記されている.これがマツタケかヒラタケか知るよしがないといえる.

花粉分析によると、日本にマツ属の花粉が急増した時期は、500年頃と考えられている(長野県野尻湖、大阪府羽曳野市(1)).奈良時代になると、照葉樹林での人間の活動が激しく、アカマツ林が増え始めたようである.

マツタケは内陸の山の尾根筋に侵入してきたアカマツ林に登場し、珍重されている様子が万葉集にうかがえる(高松のこの峰もせに笠立ててみち盛りたる秋の香のよさ.万葉集2233 巻第十秋 雑歌).

平安時代になると、飛躍的に人口が増加し、住居や道具のための材(5)や毎日の燃料や肥料などの需要も飛躍的に多くなった.そのために、平安京周辺の原生林が破壊されアカマツが都周辺にも登場し、マツタケも増えてきた(都まつたけ).

当時の平安京周辺の山には、ほとんど木がなく、公家達も入浴がこの上ない贅沢であった.平安~室町時代になると、天皇や公家がマツタケ狩りを楽しみ、盛んに贈答しあっている(三条実房 愚昧記; 藤原定家 明月記; 近衛政家 後法興院日記).

徒然草(吉田兼好、14世紀の初め)に、「きじ、松茸などは御湯殿の上にかかりたるもくるしからず、その外は心うきことなり」とあって、マツタケが高級食材であることがうかがえる.

秀吉も相当マツタケ狩りが好きだったようである(翁草).江戸時代にも、“下郎の口にはかなわない”しろものであったが、京都の錦小路にマツタケの市がたち、町衆が買っていたようである(本朝文鑑、支考編).与謝蕪村に言わせると “松茸や食ふにもおしい遣るもおし”いものであったようだ.

時代が下って、昭和10-20年代は、マツタケが「蹴飛ばすほど生えた」とか言われたが、昭和16年(1941)の12,222tの生産量を最高に、昭和35年(1960)頃からその生産量が減少し、最近はその250分の1に激減している.
(続く)

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研究所を訪れた筆者の藤郷さん

2005年08月20日 |  マツタケの林地栽培 
 「マツタケの碑」と題して一文を寄せていただいた藤郷さんが、仲間と一緒に岩泉まつたけ研究所を訪問されたときに写したものです.
 研究所の試験林内です.
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マツタケの碑

2005年08月19日 |  マツタケの林地栽培 
マツタケの碑 

藤郷 誠(盛岡市)
東北農業研究センター職員

その昔、私はキノコ研究に憧れる一人の大学生でした。読み漁ったキノコに関する書籍の中に出てきた故濱田稔博士のマツタケ研究フィールド・尼吹山に立つ顕彰碑“マツタケの碑”。私にとっての憧憬でした。
夢破れて(?) キノコ研究とは異なる職業に就き、とある研修で長期上洛する機会を得ました。マツタケの碑が見たい。幸い、懇意にしていただいている京大の大月さんに案内してもらうことになりました。
マツタケの発生はとうに過ぎた11月末の休日。紅葉もすっかり落ちた晩秋。二人で叡山電鉄に乗り、尼吹山に向かいました。こんな所から登るのか、と思う民家の脇から尼吹山へ入山。私にはこの時、ただの雑木林にしか思えぬくらい下草は茂り、倒木が行く手を阻んでいました。
ここがかつてマツタケ研究の中枢であったとはにわかには思えぬくらいの荒廃ぶりでした。藪を漕ぎ、蜘蛛の巣を払い、行くこと30分余。少し拓けた場所に、そのマツタケの碑が鎮座していた。思っていたよりも小振りなマツタケを模した石に、抱いていた崇高な印象がほのかな親しみに変わりました。
このマツタケの出ることのない尼吹山でマツタケの碑と浜田博士の思いは、どう駆け巡っているのだろうと暫し感慨に耽る。下山する時、大月さんがとても印象深い事を語っておりました。「今はこんなに荒れ果てていますが、この山からは数多くの博士を世に出したのですよ」。
さもありなん。今、その一人の吉村先生がまつたけ十字軍として尼吹山近隣の里山の復活に動き出している。マツタケの碑の思いが“発生”する日を願いながら。私は居住地の関係からまつたけ十字軍運動に「参戦する」こと叶いませんが、遠くから応援しています。(完)

 写真は、藤郷さんが撮ったもので、大月さんに案内されて訪れた濱田先生顕彰のマツタケの碑です

 尚、次回の作業日は、8月24日(水)10時30分から岩倉です.
 スカイパーフェクト TV(726ch)の取材が入ります.
 放映は、8月30日正午から、スカパーTV726chと京都テレビであります.
 
 作業体験談、マツタケ、里山林など生物保全などのご意見をご寄稿ください!!
 
 マツタケ十字軍運動 本部
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第9回まつたけ十字軍運動作業日への参加お誘い

2005年08月18日 |  マツタケの林地栽培 
 この暑さの中、皆さんに置かれましては、いかがお過ごしだったでしょうか?
 京まつたけ復活・里山林再生活動に、週1回のペースで、多大なる力を発揮戴き感謝に耐えません.

 私達の試験林岩倉のアカマツ林も作業以前とは、打って変わって本来の姿に戻りつつあります.其処で生活する生き物は喜んでいることでしょう.

 今頃、アカマツの根とまつたけの菌糸の集団であるシロは、アカマツの根の伸張がストップし、シロは成熟過程に入ろうとしています.シロ表面の温度が19℃を下回ると、マツタケの子実体原基(芽みたいなもの)がシロ表面に沢山作られます.
 その時期に残暑のぶり返しがなく雨が適当にあると豊作です.

 サァー、いよいよ岩倉のマツタケ発生整備作業の再開です.

第9回まつたけ十字軍運動 実 施 要 領
1)実施日    2005年8月24日(水)
2)集合時刻 午前10時30分(午後4時作業終了)
3)集合場所 京都市左京区岩倉村松町 京都バス「村松集会所前」バス停
4)服装等 山で軽労働できる服装、運動靴、タオル、手袋、など
5)用意するもの 飲料水、弁当、交通費.お持ちならノコ・ナタ、熊手、ヘルメット. 
6)アクセス 京都バス:出町柳から(41系統、所要時間25分)
   四条河原町から(41系統、所要時間38分)
         叡山電鉄:出町柳駅-岩倉駅(12分)から北へ徒歩10分

 都合の良い時間帯だけの参加も大歓迎です. 尚、参加費は、無料

9月の作業予定日は以下の通りです.
作業地は岩倉村松団地奥のアカマツ林.集合は京都バス「村松集会所前」に午前10時30分.作業開始時刻はいずれも午前10時50分より 午後4時終了.

 9月3日(土):第10回作業日
 9月9日(金):第11回作業日
 9月17日(土)第12回作業日
 9月23日(金):第13回作業日
 10月1日(土):第14回作業日

参加申込は吉村までお願いします.
 
主 催 団 体
吉村 文彦(連絡先;担当責任者)
まつたけ十字軍運動 本部(fy1130@hera.eonet.ne.jp :http://blog.goo.ne.jp/npoiroem)    
607-8166京都市山科区椥辻番所ヶ口町173 075-581-3210(Fax兼用)、090-6227-4305
大月 健(nodoka@kais.kyoto-u.ac.jp) 090-4280-3334
京都大学マツタケ研究会(京大農図、大月 健気付; 飯塚弘明)  

共 催 団 体
NPO国際環境微生物応用研究機構、香川理化学研究所、NPO市民環境研究所
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京都上花山六條山のまつたけ狩り(続き)

2005年08月17日 |  マツタケの林地栽培 
マッタケ山(続き)
                阪本 寧男
              (京都大学名誉教授)  

 マッタケがよく出るための条件は、いつもマッタケ山に手が入っている必要がある。アカマツの枯れ枝を落とし、適当に落ち葉をかき集め、雑木も適度に切って、山の中が明るくて向こうが見える状態にしておくことが大事である。子供でも自由に山の中を歩いたり走ったりできるぐらいでないとアカンのである。山の麓の村のオバサンたちが閑を見ては山に登ってきて手入れを行なう。そうしないともうマッタケは出なくなる。
 六条山は渋谷道の南側の一寸深い感じのする淋しい山である。日頃は誰一人ここまで登ってくる人はいない。すぐ南の谷合に花山火葬場があるからだ。しかし、マッタケの季節になると、この山の尾根筋に所有者の高田はんの番小屋ができる。ある時のこと、山の尾根から見下ろすと、はるか下の谷にガサゴソという微かな音が聞こえてきた。「マッタケ泥棒や」と横にいた高田はんの若い衆が僕の耳のそばでそっとささやく。若い衆の目付きが急にけわしくなった。途端に僕の小さな胸はドキドキし、体がこわばってしまった。ネザサの茂ったアカマツの斜面を誰かがササを別けながら、ゆっくりと尾根の方に登ってくる。その音がだんだんはっきりしてくる。その音をたよりに二人はそろそろと音のして来る方へ移動してゆく。男がガサガサと最後のササをかき分けて、フット顔を出した。「コラッ!」という怒声とともに棒を振り上げた若い衆はその男を殴り始めた。びっくりした男はヘナヘナと座り込み、哀れな目付きで二人を見上げる。僕の心臓は割れ鐘のように鳴り響く。マッタケ泥棒は片手に風呂敷包みを持っている。そこからマッタケの香りがプーンと漂ってきた。
 マッタケ山が近づくと、山の境界線に沿って“縄張り”が張り巡らされる。そうなると持ち主以外、何人もその山に入れない掟になっている。山に入った者は自動的にマッタケ泥棒とみなされる。しかし、マッタケ泥棒は後を絶たない。山を見渡せる尾根に小屋を作り、日中は交代で番をする。マッタケ泥棒は捕まればどんな仕打ちをされても文句が言えないのが決まりである。細縄で括られたマッタケ泥棒を引っ張って、二人はやや陽の傾きかけた秋の山をそろそろと下り始めた。(完)
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京都上花山六條山のまつたけ狩り

2005年08月16日 |  マツタケの林地栽培 
  マッタケ山
                                                                                                阪本寧男(京都大学名誉教授)
 
 秋になってマッタケ山の季節がやってくると、にわかに山へ入れなくなる。縄が山裾に張り巡らされると、所有者以外は誰でもそこへ入った人間はマッタケ泥棒ということになった。僕の家はマッタケ山の中にあったので、僕の家族は例外であり、自由に山に入ることができた。
 休みの日には、京の街から渋谷道の峠を越えてマッタケ山にやってくるお客が多い。見晴らしの良いやせ尾根にゴザをひいて、スキ焼きが始まる。お酒が入ると三味線の音や酔客のダミ声の歌が秋風に乗ってはるか彼方の尾根まではっきり聞こえてくる。マッタケ山に来る人は街の人だ。街の人はマッタケがどんな場所にどんな風に生えているかまったく知らない。マッタケ山の持ち主が、前の日に採ったマッタケを、お客さんの喜びそうな場所に埋め込んでおき、その辺だけへお客さんを案内するのである。街のお客さんはそんなことは何もわかっていない。
 山の中に住んでいた僕は、マッタケのことはよく知っている。マッタケは毎年大体決まった場所に生える。山の湿った場所には出ない。やや乾いているが、アカマツの枯れ葉が一寸溜まったような所がよい。一寸僕の家の周りのマッタケのスイバを廻るだけで、十本ぐらいのマッタケは簡単に採れた。まだ傘の開いていないマッタケを掘るには注意がいる。無理に引っ張るとポッキと折れてしまう。注意して周りの土を掘ってゆき、ゆっくりと柄の根元を引っ張るのがコツである。傘の開いたマッタケは立派であるが、時々虫がくっていたりしてあまりよくない。傘がまだ十分開いていないのが、香りも強く、美しくて立派なのである。
 僕の家ではマッタケの季節には、ご飯にも、汁にも、何にでもマッタケが入っていて、僕には憂鬱な季節なのである。マッタケ採りは得意中の得意であったが、食べるのは大嫌いなのである。あのカビくさい香りとぬるっとしたぬめりが何とも好かないのである。しかし、毎日学校から帰ると、マッタケ採りに行き、それで自分の首を絞めているようなものだった。家の者は皆大好物だから文句を言うわけには行かない。
                                   続く
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京北ツアー写真(杉山さん撮影)

2005年08月15日 |  マツタケの林地栽培 
皆さん!
紹介したいもので、まつたけ十字軍運動の趣旨に合うものを、どんどん投稿ください.まつたけ、マツタケ、里山林、生物保全など・・・
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京北吉野山と清流に遊ぶ 写真投稿-2

2005年08月15日 |  マツタケの林地栽培 
杉山廣行さん撮影の写真2枚目です.
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京北吉野山と清流に遊ぶ 写真投稿-1

2005年08月15日 |  マツタケの林地栽培 
京北吉野山と清流に遊ぶ ツアー参加者の杉山廣行さんから写真が届きました.
転載して御礼といたします.
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