まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

京都上花山六條山のまつたけ狩り(続き)

2005年08月17日 |  マツタケの林地栽培 
マッタケ山(続き)
                阪本 寧男
              (京都大学名誉教授)  

 マッタケがよく出るための条件は、いつもマッタケ山に手が入っている必要がある。アカマツの枯れ枝を落とし、適当に落ち葉をかき集め、雑木も適度に切って、山の中が明るくて向こうが見える状態にしておくことが大事である。子供でも自由に山の中を歩いたり走ったりできるぐらいでないとアカンのである。山の麓の村のオバサンたちが閑を見ては山に登ってきて手入れを行なう。そうしないともうマッタケは出なくなる。
 六条山は渋谷道の南側の一寸深い感じのする淋しい山である。日頃は誰一人ここまで登ってくる人はいない。すぐ南の谷合に花山火葬場があるからだ。しかし、マッタケの季節になると、この山の尾根筋に所有者の高田はんの番小屋ができる。ある時のこと、山の尾根から見下ろすと、はるか下の谷にガサゴソという微かな音が聞こえてきた。「マッタケ泥棒や」と横にいた高田はんの若い衆が僕の耳のそばでそっとささやく。若い衆の目付きが急にけわしくなった。途端に僕の小さな胸はドキドキし、体がこわばってしまった。ネザサの茂ったアカマツの斜面を誰かがササを別けながら、ゆっくりと尾根の方に登ってくる。その音がだんだんはっきりしてくる。その音をたよりに二人はそろそろと音のして来る方へ移動してゆく。男がガサガサと最後のササをかき分けて、フット顔を出した。「コラッ!」という怒声とともに棒を振り上げた若い衆はその男を殴り始めた。びっくりした男はヘナヘナと座り込み、哀れな目付きで二人を見上げる。僕の心臓は割れ鐘のように鳴り響く。マッタケ泥棒は片手に風呂敷包みを持っている。そこからマッタケの香りがプーンと漂ってきた。
 マッタケ山が近づくと、山の境界線に沿って“縄張り”が張り巡らされる。そうなると持ち主以外、何人もその山に入れない掟になっている。山に入った者は自動的にマッタケ泥棒とみなされる。しかし、マッタケ泥棒は後を絶たない。山を見渡せる尾根に小屋を作り、日中は交代で番をする。マッタケ泥棒は捕まればどんな仕打ちをされても文句が言えないのが決まりである。細縄で括られたマッタケ泥棒を引っ張って、二人はやや陽の傾きかけた秋の山をそろそろと下り始めた。(完)
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