まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ「十字軍」運動NEWSLETTER-442-

2009年09月22日 |  マツタケの林地栽培 
山の手入れをするまつたけ十字軍運動の仲間達



まつたけ復活・里山再生市民運動

次の開催日は9月25日(金)岩倉に10時です.
 すっかり秋の始りという装いの京都である.アウトドアを楽しむには、雨もなく暑くもなく最高だが、ことマツタケに携わっている身には雨がいつ降るか気になって仕方が無い. 
 マツタケの子実体(食用部)の発生には、温度と降水量が大きな要因となる.気温は大きな残暑のぶり返しが無く、久方ぶりに理想に近いと見える.しかし、北海道ではそのために早く発生期間が終わってしまった.岩手、山形、長野の産地では、雨が不足してきている.
暦通りに、気象が推移しないのも気候変動の現れであろうか?


里山再生まつたけ十字軍運動
はじめに
 日本ではまつたけは秋を味わう食品としてあり、人は固有で日本独特のまつたけ食文化を作り上げていったと思える.
日本人以外のアジア人、ロシア人、ヨーロッパ人、アメリカ人、アフリカ人達は香りを嫌うようだ.スウェーデンで日本と同じ遺伝子を持つきのこに「嫌なにおい」という学名を付けている.韓国では慶州の人はマツタケを食べたといわれるが他は興味を示さない.中国の雲南では、イ族が焼いてあるいはスープで食べたりする.古くは,フランスのニースで食べた記録があるが喜んで食ったものではない.ところで、中国雲南省では、マツタケの自国内消費を高めることを考えていて、中国らしいと思うが「マツタケどんぶり」の需要に一定の成果が出ていると聞く.
 マツタケの起源は、チベットからシャングリラに掛けての高原にあり、その伝搬は,南下コース、北東アジアコース、地中海・北欧コースそしてアメリカ大陸へと遺伝的変異を伴いながら広がっていったように考えている.
まつたけの産地は日本、中国、朝鮮半島、ロシア東北部で、現在輸入されているマツタケやマツタケ臭のある類縁種の産地は北半球に限られていて、ラオス、ブータン、トルコ,モロッコ、アルジェリア、スペイン、スゥエーデンやフィンランドなど北欧、北米大陸などである.

マツタケの登場は奈良時代
日本では、まつ-たけと言うように松と茸という両生物をセットで考えている.英語圏でも日本の呼名の訳語としてMatsutake Fungi、Matsutake MushroomあるいはPine Mushroomと表現:学名はTricholoma matsutake (S. Ito et Imai) Sing.
マツタケの生活史は、アカマツなど宿主(寄主)になる植物がないと完結しない.マツタケには適切なホストが必要であるが、その逆は成り立たない.すなわち、アカマツはマツタケを必ずしも必要とせず、そのパートナーは、マツタケモドキ、シメジ類、テングタケの仲間、イグチ類、ハツの仲間、クロカワなどのキノコのどれでもよい.
 マツタケがいつから日本に発生していたのかはっきりしない.キノコについては日本書紀(720年成立)に、茸(タケ、クサビラ)のことが記されているが、それがヒラタケなのかマツタケであるのか、今では知るよしがない.
 マツタケの化石もないのでホストたる植物の分布で調べることにする.マツタケの宿主は日本においては、アカマツ、クロマツ、ハイマツ、アカエゾマツ、トドマツ、ツガ,コメツガ、ヒメコマツ、シラビソなどであるが、台湾ではタイワンアカマツやタイワンツガ、朝鮮半島ではアカマツやチョウセンゴヨウ、アメリカではダグラスファー、ツガの仲間やコントルタマツ、地中海沿岸ではレバノンスギ、ヨーロッパではマツ属の仲間である.そのほか、広葉樹林で発生するマツタケが日本、ヨーロッパや中国などにある.日本で、マツタケの生産量の多い宿主はアカマツであり、日本のマツタケはアカマツの存在抜きには考えにくい.
 花粉分析によると、縄文時代には、瀬戸内沿岸にのみマツ科の花粉が見られる.弥生時代の終わりに(卑弥呼の頃)、魏志倭人伝は日本の植物を記載しているが、その中にマツがない.日本にマツ属の花粉が急増した時期は、西暦500年頃と考えられている(長野県野尻湖、大阪府羽曳野市).
 奈良時代になると、照葉樹林の活用が激しさを増し、アカマツ林が、内陸の山の尾根筋に侵入したであろう.その林に、マツタケは発生し、まつたけ狩りの様子が万葉集(8世紀)にうかがえる(高松のこの峰も背に笠立ててみち盛りたる秋の香のよさ. 2233、巻第十 秋 雑歌).現在の高円山あたりである.
 794年、都が京都に移った.寺院、住居や道具のための材や毎日の薪炭・柴や肥料としての刈敷や落ち葉などの需要をまかなうために、平安京周辺の原生林が破壊され、アカマツが都周辺にも登場し、やはりまつたけ狩りが行われている(905年;古今和歌集).材や炭などは亀岡や京北周山から調達せねばならないほど、当時の平安京周辺の山には木がなく、公家達も入浴がこの上ない贅沢であったらしい.

鎌倉から室町時代に増える
平安末期以降、ますますアカマツ林が増えたのであろう、天皇や公家がまつたけ狩りを楽しみ、盛んに贈答しあっている(三条実房 愚昧記; 藤原定家 明月記).
徒然草(吉田兼好;鎌倉時代の終わり)には、「こいときじ、松茸などは御湯殿の上にかかりたるもくるしからず、その外は心うきことなり」とあって、マツタケが高級食材であることがうかがえる.外国産まつたけが大量に輸入されているが、国内産の商品価値が下がらないという不思議な商品である.
 関白近衛政家は、「1467年9月28日宇治に行って椎の実を拾わせてまつたけをとったが、大層面白かった・・・・、一献かたむけて夕方帰参した」と記している.応仁の乱の最中であるが、季節感を大切にした公家衆を讃えるべきか、いつの世も実際に戦うのは「庶民」ばかりなのかと心中複雑.10月11日にも紅葉狩りに出かけて「余以外みな泥酔.正体も無く前後覚えなし(後法興院日記)」とある.

江戸時代にはブランド化
 秀吉も伏見の稲荷山でまつたけ狩りを大いに楽しんでいる(翁草:18Cの終わり).江戸時代も、“下郎の口にはかなわない”代物であり、与謝蕪村に言わせると “松茸や食ふにもおしい遣るもおし”いものであったようだ.でも、京都の錦小路にまつたけの市がたち、町衆が買っていたようである(本朝文鑑、支考編).この頃には、「嵯峨の産がよいとか北山の産がよい」などと文献で見られ、マツタケもブランド化している(重修本草綱目啓蒙、1803、小野蘭山,他).もっとも京まつたけの中でも、それを紹介する作者によって一押しの産地が異なっている.味や姿にどれほどの違いがあったか知りたいのだが・・・・・.

今のマツタケ生産量は?
 明治以後の砂防工事によって、はげ山がマツ林に置き換わり (千葉徳爾;はげ山の研究)、生産量が増えたと思われる.林野庁の統計でマツタケ生産量の推移を見ると、1905年から増加の一途をたどっていて、昭和10-20年代には、マツタケが「蹴飛ばすほど生えた」とか言われた.昭和16年(1941)の12,222tの生産量を最高に、昭和35年(1960)頃からその生産量が減少しはじめ、2000年代の生産量(85t/年)は、1930年代(7582t/年)の90分の1である.輸入物も一頃は3000tを越えていたが今は半減である.中国も朝鮮半島も生産量が落ちていて、気候の変動と林の状態が問題視されている(次号に続く).

作業区と作業内容の紹介
山づくりエリアや作業内容を変更するときは、事前に連絡下さい.
1)香川山皆伐区も予定どおりに再生が進み、アカマツ幼樹の群落が美しい.斜面の
地掻など補整作業を実施している.マツのザイセンチュウ病による枯損木が周辺に目立っている.伐倒焼却の要あり.

2)澤田山は、この秋にでも、まつたけの発生調査をするつもりであるが、アカマツ林でマツタケの生息地を再生するというエリアとコナラ林を整備するエリアとがある.各整備地ごとにネライを定めて各班ごとに独自に作業を進めている.

第1整備地は、村上班(第1整備区)と阿閉班(第2整備区)で精力的にマツタケ山づくりが行われている.第1整備区は京都府のホンシメジ接種試験が相当前に行われ、そのとき整備もされたが、菌根性のきのこの発生には土壌上の問題があるのかもしれない.補整の手入れが必要な状態になってきている.
 その南側は、やはりアカマツ林帯で、阿閉班の担当で第2整備区と呼んでいる.やがて第1整備区につなげるという.エスケープした檜・杉など大径木の処理が進んでいる.

第2整備地は、ヤマガラの里と新しく愛称がついた.以前から整備を始めているところは「ヤマガラの里A地区」と呼び整備が完了している.その西に当たるところを尾根部(アカマツ林を再生)、傾斜地部(コナラ林にする)など3区に分け、それぞれ生態的特徴を生かした整備を進めている.ここは「ヤマガラの里B地区」と呼ばれる.分からないことなどは前田・小原さんにお尋ね下さい.

第3整備地の作業エリアでは、アカマツ林再生を考え、適切なエリア探しが続いているように見える.どのような林づくりがなされるのか注目をしているところである.

3)玉城山は、昔は、山全体がマツタケの発生に適したアカマツ林であったが、林道が造られたためにその下のエリアからマツタケが消えた.岩泉まつたけ研究所の向林試験林内で、全く同じことを経験している.林道を一つ通すだけのように考えがちだが、周りの環境ががらりと変り水の流れも変化する.
尾根筋には、アカマツ林密度が比較的高く残っているので、榎本班と三品班で上部と下部からマツタケの生活するアカマツ林の再生作業に取り組んでいる.
地表の堆積物を堆肥化し、冬には水田に鋤き込む.マツのザイセンチュウ病害木の伐倒焼却活動が一旦終了したように見えたが、再開している.
ここは、市民によるマツタケ山づくりのお手本として有名になった.今まで、プロによる
手入れで、マツタケ発生の復活は、「有から有は簡単である」と実証されている.
しかし、市民による手入れでマツタケ発生の成果が出たケースはここが日本初の地
である.撒水実験にも取り組むという意欲的作業が見られる.

<お知らせ> 
1)10月1日 読売新聞夕刊、10月20日フジテレビ系列 19時~「わかるテレビ」、
11月8日 午後11時30分 テレビ朝日系列「素敵な宇宙船地球号 リニュ―ワル
版」 にまつたけ十字軍運動の活動が紹介されます.

2)近藤高弘展 金と銀 をテーマに開催される
   新宿展  9月30日~10月6日    高島屋新宿店10階
  名古屋展 10月14日~10月20日   JR名古屋高島屋10階 

<メール便り>
1)会津の星 賢さんから
お久しぶりですです.昨年は松茸が、いっぱい出ました。今年は遅れています、でも、少しづつ出てきました。そちらの方はどうですか?

2)三木 恵子さんから
 随分涼しくなり、過ごし易くなりました。岩倉では何時も楽しませて戴いております。有難う御座います。先日のポスト民芸岩倉焼きに10人参加して戴き、丁度良い人数でしたがこれから先段々人数が減って行くと心細く、近藤先生にも悪く、少なくとも常に7,8人は参加戴けるとうれしいですね。
 先日高弘先生の美術部創設百年記念作品展にナンバ高島屋に行って来ました。上品で落ち着いた金、銀、幾何学模様の使い方、まるで伝統工芸の着物の帯を思わせる繊細な織りの様な金銀彩の作品の数々。蓋を開けると染付けが生きており、これが陶芸の表現方法かと― ― 。
 この作品は世界中誰にもまね出来ない独特の目を見張る素晴らしい近藤ワールドでした。感性の豊かさ。さすが高額ですが赤印が沢山ついておりました。岩倉に来られる近藤先生のTシャツ姿とは大違い- -。感動した1日でした。今後共よろしくお願い致します。

<カンパ! お願い>
ヤマガラの里グループが薪の売却代金を戴く! ありがとう!

氏名: まつたけ十字軍 代表 吉村文彦 
銀行名: 京都銀行 山科中央支店 口座No. 普通預金 3698173

<まつたけ十字軍運動に参加するには>
下記の1から7を了承の上、参加下さい.また、 “まつたけ十字軍運動とは?”も併せてご理解下さい.尚、初めての方は事前に連絡が必要(連絡先は下記主催者).
1)参加資格は問わない. 参加時間は自由、ただし、コアタイム(昼食時)の参加は必須.
2)事故を起こさないように各自勤めること.傷害保険等は各自加入のこととし、事故の責任は当事者に帰するものとする.

3)服装等:山で軽作業できる服装(運動靴か長靴か地下足袋、雨具、タオルなど).ノコ・ナタを持参が望ましい.
4)降水確率(京都府南部、午前7時)が60%以上の日は、原則的に山づくり作業は中止.しかし、山や畑にも、「雨の日には雨の、雪の日には雪の景色がある」といって、皆さんは補修や軽作業などされます.
5)持参するもの:昼食は作るので、MY皿と椀と箸、コップなど、料理の持ち帰り容器、飲料水(お茶があるので水筒)など.
6)道具類や備品は、個人購入のものや皆さんのカンパで購入したものです.大切に扱うよう願います.汚れは洗った後、保管場所に戻すこと.また、使用した食器やコップ類は洗って戻すこと.出したゴミ等は各自持ち帰ること.

7)参加費は無料;ただし、消耗品費は皆さんの浄財カンパで成り立つ、或いは必要に応じて徴收.食材費(実費)+消耗品費として現在 400円を徴収.

<活動拠点へのアクセスなど>
8)集合場所:京都バス「岩倉 村松」行き終点「村松」.あるいは現地アカマツ林(京都市左京区岩倉村松町138-20バス停「村松」から北東へ450m徒歩6分).
叡山電鉄「岩倉」駅から現地アカマツ林へ2.3Km(徒歩30分)
アクセス:
京都バスの「岩倉 村松行き」に乗車.このバスに乗車するには、
ア)JR京都駅七条口から(バス停「C6」番、所要時間約60分)
イ)阪急京都線四条河原町駅から(四条河原町交差点河原町通り北へ上ル東側(40分)
ウ)京阪本線出町柳駅から(加茂大橋東詰め北へ上ル西側、約30分)
エ)京都地下鉄烏丸線国際会館から(3番出口からバスターミナル 1番、約10分)
(地下鉄烏丸線はJR京都駅、烏丸四条、烏丸御池、国際会館などに停車) 

9)<皆さんの活動の様子を見ることができる>
ブログ画面左下ブックマーク(Bookmark)中のNikonまつたけ復活・里山再生運動を左クリックすると、Nikon Onlinegalleryにはいる.akamatsurinさんのホームとなっている.アルバム一覧からお好きなものを左クリックすれば写真一覧が出てきます.スライドショーなどお楽しみ下さい.写真を印刷したり保存したりできます.

開催予定日 2009年9月―12月
活動場所は岩倉香川山. 活動開始は、午前10時頃.終わりは午後4時頃.
第208回09月25日(金)ブログ報告:宮崎
第209回10月03日(土)ブログ報告:三輪
第210回10月09日(金)ブログ報告:榎本
第211回10月17日(土)ブログ報告:池内
第212回10月23日(金)ブログ報告:三輪
第213回10月31日(土)ブログ報告:吉村
第214回11月07日(土)ブログ報告:榎本
第215回11月13日(金)ブログ報告:宮崎
第216回11月21日(土)ブログ報告:三輪
第217回11月27日(金)ブログ報告:榎本
第218回12月05日(土)ブログ報告:池内
第219回12月11日(金)ブログ報告:宮崎
第220回12月19日(土)ブログ報告:三輪 大忘年会 感謝祭
年末年始で休み
第221回01月09日(土)ブログ報告:榎本

まつたけ十字軍運動とは?
今、1年間に40,000種もの生物が絶滅(約13分に1種)していると推測されている.生き物1種の絶滅は、10種から30種の生き物の絶滅を呼ぶという.
日本で、802種の動物が絶滅危惧種とされ、7000種の維管束植物の24.1%(4種に1種)が絶滅危惧種に挙げられている(2007年).
環境省によれば、絶滅危惧種の50%強に当たる生物の生息地は、人里離れた奥山でなく里地里山と呼ばれる私たちの生活の場である.緑が豊かになって生き物が追われている!
私達の周りにありふれた生き物であったフクジュソウやヒメシャガなど、メダカやチョウ類やニホンウサギなど、またオオタカやイヌワシなどが、消え続けている.マツタケも、京都府では絶滅危惧種に指定されている.
生物の保全・多様性上危機に瀕する里山(アカマツ林)をマツタケ山に戻すことが目的である.私たちのマツタケ山づくりは、山-川-畑・水田(-海)のつながりを重視する.マツタケ山づくりで生まれるバイオマスの利用を、「自然」との共生型すなわち徹底した有機物循環型「農林業」に組み込む.また、我々の成果は、情報として正しく発信し、全国に230万haあるアカマツ林に普及させることを願っている.
近代マツタケ学発祥の地、京都市左京区岩倉を活動拠点として、我々は循環型農林「業」を楽しむ.「楽しむ」ということにおいて、いわゆる農林業的作業と異なる.
時折のイヴェントや開催日のコアタイムに集まることによって、作業の情報などを共有し、互いの知恵や技術を学び、また、里山復活の喜びをともにする.
運動は、食事を作る人、木を伐る人・運ぶ人、薪をつくる人、病害木を焼却する人、畑や水田を守る人、設備を造る人、道具類を整備する人、多機能窯を守る人、拠点を整備する人、道路を補修する人、バイオトイレを守る人などすべての参加者が、互いに対等で支え合い助け合って維持運営されている.
まつたけ十字軍運動全体は、アリストテレス風に言えば、個の参加者の総和以上の意味を持つ.それ故、参加者はこの運動の全体性を見失わないようにしたい.

主 催 
まつたけ十字軍運動
代表 吉村 文彦(マツタケ生態学者)  
京都市山科区御陵岡ノ西町38-27
090-6227-4305

共 催 
京都大学マツタケ研究会
代表 大石 高典
携帯 080-6123-4706

香川理化学研究所
代表 香川 晴男
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする