「父は、仕事がなくても国営工場に行って、給料をもらっていた。
さからわずに、工場にいれば給料がもらえるし、解雇はなかった」
これは、チェコ人、ロマーンが、共産政権下にあったときの、
チェコについて、話したものである(2002年)。
ソ連が崩壊した原因は、ミハイル・ゴルバチョフの政治改革、
ペレストロイカと情報公開グラスノスチによる民主化である。
共産主義体制が崩壊した遠因は、“経済戦争”である。
東西が、ドンパチの“武力戦争”をしたのではない。
“計画経済”が、“市場経済”に負けたのである。
「計画経済が市場経済に負けた」ことを示す事例はないか?
ソ連の車“ラーダ”と、チェコの車“シュコダ”がある。
ソ連の車“ラーダ”をポーランドで見た(2006年)。
――まだ使っている!
と、カメラを向けると、警察官と目が合った。
違反切符をきっていたが、違反や警察官を撮ったのではなく、
ラーダに興味があることがわかったのだろう、なにごともなかった。
ラーダはがんじょうだ。塗装がはがれれば、上塗りしている。
イタリアのフィアットがエンジンほか、主要部品を供給して、
ソ連でつくった。このノック・ダウンは、1980年代から始まった。
ソ連のラーダをチェコでも見た(2006年)。
塗装のムラがあり、サビがあるが、まだ堂々の現役だ。
右後方の黄色の車は、チェコの新しい“シュコダ”である。
チェコは、1989年の無血革命(ビロード革命)で、共産政権が倒れた。
チェコのビロード革命は、ベルリンの壁が崩壊したことによって、
勢いがついて成功し、民主主義国家、チェコ共和国が生まれた。
1989年は、チェコにとっても、劇的な変化が起きた年である。
そして、シュコダは西ドイツのフォルクスワーゲンの子会社となった。
その新技術で製造された新しいシュコダである。
――赤のラーダを買うか? 黄色のシュコダを買うか?
シュコダがフォルクスワーゲンの子会社になったことが回答である。
ラーダには、技術力がないことは、明らかである。
前回、東ドイツが消滅すると、トラバントは生産中止になり、
チェコは、民主主義陣営に入ると、シュコダは、
西ドイツのフォルクスワーゲンの子会社となった、
ことを書いた。
共産主義体制の計画経済で、いくら優れた指導者が、
企画・開発した製品でも、世界規模の市場経済では、
まったく競争力がなかった。
国には売れるものがない。売れない。
それで、共産政権は立ち行かなくなった。
一党独裁による硬直、内部の腐敗、無気力、
それに、計画経済の破綻で国は破滅状態になった。
「父には、利益を生み出して、給料を稼ぎ出そう、という意識や、
能力を向上して、実績を上げれば、給料が上がる、という発想には、
なじめないでいる」
と、ロマーンは言う。
言われるままにやっていればよかった、国家公務員に共通するとまどいだろう。
「共産主義から民主主義になったが、生活はちっとも良くならない。
仕事がなくても国営工場に行って、給料をもらった昔の方が良かった、
と言うのです」
市場経済に移行したから、きょうから生活が良くなる、
とはならなかった。たまった半世紀分の垢(あか)を、
これから、そぎ落としていく。
チェコは、“ヨーロッパへの回帰”を目指して、
2004年5月に、EUヨーロッパ連合に加盟した。
しかし、その前にすることがある。
西の北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟に加盟することである。
西への忠誠心を誓う“踏み絵”である。
「学校で、きのうまで“敵”だ、と教えられていたNATOに、
加盟することには抵抗がありました」
と、ロマーンは複雑な気持ちであったことを話す。
市民までが感じる“屈辱”だ。
「それまでは、ソ連を盟主としたワルシャワ条約機構に加盟していた。
1991年にソ連が崩壊して、当然、ワルシャワ条約機構も解消となった。
1999年にNATOに加盟して、ワルシャワ条約機構の軍事秘密を、
NATOにオープンにした」
「今では、NATOから軍事指導を受け、NATOに積極的に協力して、
ミサイルを配備する防衛計画にも取り組んでいます」
と言う……ロマーンの屈辱もとまどいも、吹っ切れている。
「チェコが市場経済で世界と競合していくには、無気力状態から、
活力を取りもどさなければならないが、世代があと2回くらい、
代わらないとダメだ。半世紀も続いた共産政権の習慣や意識は、
すぐには変えられない」
と、ロマーンは言う。
チェコ人が体験した、歴史上の劇的な変化について、
自費出版した、『世界がみる日本の魅力と通知表』で、
「世界のだれも助けてくれなかったプラハの春」、
「チェコ・フィルハーモニーの援助」などで、
記載したので、参考にしてください。
「計画経済が市場経済に負けた」ことを示す事例は、
ソ連の車“ラーダ”と、
チェコの車、新旧の“シュコダ”に見た。
それに、ロマーンの言葉がある。
「チェコが市場経済で世界と競合していくには、
無気力状態から、活力を取りもどさなければならない」
半世紀のツケをとりもどして、国を復興させていく。
“ビロード革命”を成功させ、NATOに加盟し、
EUに加盟し、国の生き残りをかけていく。
さからわずに、工場にいれば給料がもらえるし、解雇はなかった」
これは、チェコ人、ロマーンが、共産政権下にあったときの、
チェコについて、話したものである(2002年)。
ソ連が崩壊した原因は、ミハイル・ゴルバチョフの政治改革、
ペレストロイカと情報公開グラスノスチによる民主化である。
共産主義体制が崩壊した遠因は、“経済戦争”である。
東西が、ドンパチの“武力戦争”をしたのではない。
“計画経済”が、“市場経済”に負けたのである。
「計画経済が市場経済に負けた」ことを示す事例はないか?
ソ連の車“ラーダ”と、チェコの車“シュコダ”がある。
ソ連の車“ラーダ”をポーランドで見た(2006年)。
――まだ使っている!
と、カメラを向けると、警察官と目が合った。
違反切符をきっていたが、違反や警察官を撮ったのではなく、
ラーダに興味があることがわかったのだろう、なにごともなかった。
ラーダはがんじょうだ。塗装がはがれれば、上塗りしている。
イタリアのフィアットがエンジンほか、主要部品を供給して、
ソ連でつくった。このノック・ダウンは、1980年代から始まった。
ソ連のラーダをチェコでも見た(2006年)。
塗装のムラがあり、サビがあるが、まだ堂々の現役だ。
右後方の黄色の車は、チェコの新しい“シュコダ”である。
チェコは、1989年の無血革命(ビロード革命)で、共産政権が倒れた。
チェコのビロード革命は、ベルリンの壁が崩壊したことによって、
勢いがついて成功し、民主主義国家、チェコ共和国が生まれた。
1989年は、チェコにとっても、劇的な変化が起きた年である。
そして、シュコダは西ドイツのフォルクスワーゲンの子会社となった。
その新技術で製造された新しいシュコダである。
――赤のラーダを買うか? 黄色のシュコダを買うか?
シュコダがフォルクスワーゲンの子会社になったことが回答である。
ラーダには、技術力がないことは、明らかである。
前回、東ドイツが消滅すると、トラバントは生産中止になり、
チェコは、民主主義陣営に入ると、シュコダは、
西ドイツのフォルクスワーゲンの子会社となった、
ことを書いた。
共産主義体制の計画経済で、いくら優れた指導者が、
企画・開発した製品でも、世界規模の市場経済では、
まったく競争力がなかった。
国には売れるものがない。売れない。
それで、共産政権は立ち行かなくなった。
一党独裁による硬直、内部の腐敗、無気力、
それに、計画経済の破綻で国は破滅状態になった。
「父には、利益を生み出して、給料を稼ぎ出そう、という意識や、
能力を向上して、実績を上げれば、給料が上がる、という発想には、
なじめないでいる」
と、ロマーンは言う。
言われるままにやっていればよかった、国家公務員に共通するとまどいだろう。
「共産主義から民主主義になったが、生活はちっとも良くならない。
仕事がなくても国営工場に行って、給料をもらった昔の方が良かった、
と言うのです」
市場経済に移行したから、きょうから生活が良くなる、
とはならなかった。たまった半世紀分の垢(あか)を、
これから、そぎ落としていく。
チェコは、“ヨーロッパへの回帰”を目指して、
2004年5月に、EUヨーロッパ連合に加盟した。
しかし、その前にすることがある。
西の北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟に加盟することである。
西への忠誠心を誓う“踏み絵”である。
「学校で、きのうまで“敵”だ、と教えられていたNATOに、
加盟することには抵抗がありました」
と、ロマーンは複雑な気持ちであったことを話す。
市民までが感じる“屈辱”だ。
「それまでは、ソ連を盟主としたワルシャワ条約機構に加盟していた。
1991年にソ連が崩壊して、当然、ワルシャワ条約機構も解消となった。
1999年にNATOに加盟して、ワルシャワ条約機構の軍事秘密を、
NATOにオープンにした」
「今では、NATOから軍事指導を受け、NATOに積極的に協力して、
ミサイルを配備する防衛計画にも取り組んでいます」
と言う……ロマーンの屈辱もとまどいも、吹っ切れている。
「チェコが市場経済で世界と競合していくには、無気力状態から、
活力を取りもどさなければならないが、世代があと2回くらい、
代わらないとダメだ。半世紀も続いた共産政権の習慣や意識は、
すぐには変えられない」
と、ロマーンは言う。
チェコ人が体験した、歴史上の劇的な変化について、
自費出版した、『世界がみる日本の魅力と通知表』で、
「世界のだれも助けてくれなかったプラハの春」、
「チェコ・フィルハーモニーの援助」などで、
記載したので、参考にしてください。
「計画経済が市場経済に負けた」ことを示す事例は、
ソ連の車“ラーダ”と、
チェコの車、新旧の“シュコダ”に見た。
それに、ロマーンの言葉がある。
「チェコが市場経済で世界と競合していくには、
無気力状態から、活力を取りもどさなければならない」
半世紀のツケをとりもどして、国を復興させていく。
“ビロード革命”を成功させ、NATOに加盟し、
EUに加盟し、国の生き残りをかけていく。