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経済戦争で、計画経済が市場経済に負けた

2009-04-08 02:32:46 | Weblog
「父は、仕事がなくても国営工場に行って、給料をもらっていた。
さからわずに、工場にいれば給料がもらえるし、解雇はなかった」
これは、チェコ人、ロマーンが、共産政権下にあったときの、
チェコについて、話したものである(2002年)。

ソ連が崩壊した原因は、ミハイル・ゴルバチョフの政治改革
ペレストロイカと情報公開グラスノスチによる民主化である。

共産主義体制が崩壊した遠因は、“経済戦争”である。
東西が、ドンパチの“武力戦争”をしたのではない。
計画経済”が、“市場経済”に負けたのである。

「計画経済が市場経済に負けた」ことを示す事例はないか?
ソ連の車“ラーダ”と、チェコの車“シュコダ”がある。

ソ連の車“ラーダ”をポーランドで見た(2006年)。

――まだ使っている!
と、カメラを向けると、警察官と目が合った。
違反切符をきっていたが、違反や警察官を撮ったのではなく、
ラーダに興味があることがわかったのだろう、なにごともなかった。

ラーダはがんじょうだ。塗装がはがれれば、上塗りしている。
イタリアのフィアットがエンジンほか、主要部品を供給して、
ソ連でつくった。このノック・ダウンは、1980年代から始まった。

ソ連のラーダをチェコでも見た(2006年)。

塗装のムラがあり、サビがあるが、まだ堂々の現役だ。
右後方の黄色の車は、チェコの新しい“シュコダ”である。

チェコは、1989年無血革命(ビロード革命)で、共産政権が倒れた。
チェコのビロード革命は、ベルリンの壁が崩壊したことによって、
勢いがついて成功し、民主主義国家、チェコ共和国が生まれた。
1989年は、チェコにとっても、劇的な変化が起きた年である。

そして、シュコダは西ドイツのフォルクスワーゲンの子会社となった。
その新技術で製造された新しいシュコダである。

――のラーダを買うか? 黄色のシュコダを買うか?
シュコダがフォルクスワーゲンの子会社になったことが回答である。
ラーダには、技術力がないことは、明らかである。

前回、東ドイツが消滅すると、トラバントは生産中止になり、
チェコは、民主主義陣営に入ると、シュコダは、
西ドイツのフォルクスワーゲンの子会社となった、
ことを書いた。

共産主義体制の計画経済で、いくら優れた指導者が、
企画・開発した製品でも、世界規模の市場経済では、
まったく競争力がなかった。

国には売れるものがない。売れない。
それで、共産政権は立ち行かなくなった。
一党独裁による硬直、内部の腐敗、無気力、
それに、計画経済の破綻で国は破滅状態になった。

「父には、利益を生み出して、給料を稼ぎ出そう、という意識や、
能力を向上して、実績を上げれば、給料が上がる、という発想には、
なじめないでいる」
と、ロマーンは言う。
言われるままにやっていればよかった、国家公務員に共通するとまどいだろう。

「共産主義から民主主義になったが、生活はちっとも良くならない。
仕事がなくても国営工場に行って、給料をもらった昔の方が良かった、
と言うのです」

市場経済に移行したから、きょうから生活が良くなる、
とはならなかった。たまった半世紀分の垢(あか)を、
これから、そぎ落としていく。

チェコは、“ヨーロッパへの回帰”を目指して、
2004年5月に、EUヨーロッパ連合に加盟した。
しかし、その前にすることがある。
西の北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟に加盟することである。
西への忠誠心を誓う“踏み絵”である。

「学校で、きのうまで“”だ、と教えられていたNATOに、
加盟することには抵抗がありました」
と、ロマーンは複雑な気持ちであったことを話す。
市民までが感じる“屈辱”だ。

「それまでは、ソ連を盟主としたワルシャワ条約機構に加盟していた。
1991年にソ連が崩壊して、当然、ワルシャワ条約機構も解消となった。
1999年にNATOに加盟して、ワルシャワ条約機構の軍事秘密を、
NATOにオープンにした」

「今では、NATOから軍事指導を受け、NATOに積極的に協力して、
ミサイルを配備する防衛計画にも取り組んでいます」
と言う……ロマーンの屈辱もとまどいも、吹っ切れている。

「チェコが市場経済で世界と競合していくには、無気力状態から、
活力を取りもどさなければならないが、世代があと2回くらい、
代わらないとダメだ。半世紀も続いた共産政権の習慣や意識は、
すぐには変えられない」
と、ロマーンは言う。

チェコ人が体験した、歴史上の劇的な変化について、
自費出版した、『世界がみる日本の魅力と通知表』で、
「世界のだれも助けてくれなかったプラハの春」、
「チェコ・フィルハーモニーの援助」などで、
記載したので、参考にしてください。


計画経済が市場経済に負けた」ことを示す事例は、
ソ連の車“ラーダ”と、
チェコの車、新旧の“シュコダ”に見た。

それに、ロマーンの言葉がある。
「チェコが市場経済で世界と競合していくには、
無気力状態から、活力を取りもどさなければならない」

半世紀のツケをとりもどして、国を復興させていく。
ビロード革命”を成功させ、NATOに加盟し、
EUに加盟し、国の生き残りをかけていく。
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