季節の変化

活動の状況

プラハの春からビロード革命まで、21年の悲惨

2009-04-15 08:00:18 | Weblog
黒い服の婦人の足もとに見えるのが、プラハの春のおもかげ

小さい、地面だから、注意しないと、見落としそうだ。
奥は、馬にまたがるヴァーツラフ像、その奥は国立博物館である。

IN MEMORY OF THE VICTIMS OF COMMUNISM
共産主義の犠牲者たちを記念して
――しかし、重い意味の言葉だな!
共産主義との決別で、悲惨さを体験したチェコ人でなければ、
出てこない言葉だ。

歴史の劇的な変化パラダイム・シフト言葉で表すと、
“IN MEMORY OF THE VICTIMS OF COMMUNISM”
「共産主義の犠牲者たちを記念して」
になる。

この小さな記念碑から、
世界のだれも、助けてくれなかった!
どうしようもない、つらい時期だった。
この悲惨な状況は、21年続いた」
と言う、チェコ人、ロマーンのやりきれない気持ちが、
ひしひしと伝わってくる。

「世界のだれも、助けてくれなかった!」
と、ロマーンが言うのは、つぎである。
アメリカは、ソ連のチェコ侵攻は国連憲章に反する内政干渉で、
即時撤退をすべきだ、としたが、ソ連は国際連合安全保障理事会で、
拒否権を行使して、葬(ほうむ)り去った。

そのとき、アメリカはヴェトナム戦争が泥沼状態だったから、
共産主義陣営の内輪もめには、これ以上、手出しができなかった。
身内の共産主義陣営からも、民主主義陣営からも、チェコには、
援助の手は差し伸べられなかった……世界から見捨てられたと感じた。
「世界のだれも、助けてくれなかった!」
と、ロマーンの悲痛になったのである。

「この悲惨な状況は、21年続いた」
と、しぼり出すように言った。
21年続いた悲惨な状況とは、
1968年の“プラハの春”から、
1989年の“ビロード革命”までである。

――希望が持てない生活、生命が脅かされる生活が、
21年も続くとは、絶望になる。

ロマーンは30代だから、チェコ事件は生まれる前のことだ。
実際に体験したわけではないプラハの春が、どうしようもない、
つらい時期として彼の口からでるということは、この時代の苦悩が、
すべてのチェコ人に染みついているということだろう。


冷戦の最前線にさられた西ベルリンの結婚年齢は高い。
これからどうなるか? 先が見えない状況では、
家庭を持つ希望が抱けなかったことによるが、
ロマーンは結婚したばかりで、新妻は27歳。

ドイツが東西に、半世紀、分断した結果、
東ドイツ人の平均身長は、西ドイツ人よりも低かった。
男性は2センチメートル低く、女性は3センチメートル低い。
現在、ドイツ人の平均身長は、男性が180センチメートル、
女性が168センチメートルある。

ロマーンの新妻は、どんな女性だろう? 背は高い?
悲惨な状況をすごし、共産主義陣営から民主主義陣営に移行する、
歴史の激的な変化を、体験したわけだが、感想はどうだろうか?
ピルスナー・ビールは飲む? それで、
――奥さんも、いっしょに食事をどう?
「今晩は、日本人と外出するから、妻の妹が家に来ている」
と、いっしょに食事は、実現しなかった。


1969年の2人の学生の死の抗議が、
20年後のビロード革命につながった。
それまで、口をつぐんでいたチェコ人が口を開いたのは、
1989年11月17日のデモ行進である。それは、第2次世界大戦で、
ナチスに殺害された学生の、追悼(ついとう)50周年のデモ行進だった。

それが民主化運動と重なって、学生に市民が加わり、
日ごとに広がって、1週間後には80万人にふくれた。
ロマーンは、ビロード革命は体験している。
「私たちは、素手なんだ」
勝利すべきは、真実自由だ」
と、掛け声をあげた。
1968年チェコ事件で、ソ連の戦車が占拠したヴァーツラフ広場は、
民主化を要求するチェコ人で埋め尽くされた。

この無血革命で共産党体制は崩壊した。
ビロードのようにやわらかかったことから、ビロード革命とよばれ、
そのとき、イギリスに赴任していたから、ニュースは身近に伝わってきた。

ビロード革命に先立つ1985年に、ソ連では、ミハイル・ゴルバチョフが、
書記長になって、政治改革ペレストロイカを進めた。
東ドイツでは、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊する、
歴史上の劇的な変化があって、ビロード革命を勇気づけている。
1989年は“東欧革命”の年で、東欧の共産党体制が次々と崩壊した。

ビロード革命は成功して、
言論は自由になり、出版物の検閲は廃止され、
国外旅行の規制はなくなり、市場経済に移行した。
ヨーロッパへの回帰”を目指して、EUに加盟した。

生活に“希望”が持てないとは、“不幸”であり、
生命”が脅(おびや)かされるとは、“平和”ではない。

プラハの春からビロード革命まで、21年の悲惨を体験したチェコは、
もう、あともどりはしない。したくはない。
ヨーロッパへ回帰し、EUに加盟して、国を復興させていく。

母子の写真を撮らせてもらった。カレル橋。遠方はプラハ城(2006年)。

2人の子どもの、おそろいの帽子がいい。
――幸せに、なれよ!
コメント
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