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三十年戦争のはじまりとなったプラハ城の窓

2009-04-25 10:59:45 | Weblog
前回、“三十年戦争”は、プラハ城を襲ったプロテスタント派が、
フェルディナント2世(後の神聖ローマ帝国の皇帝)の補佐官3人を、
プラハ城から放り投げた。
これが、三十年戦争のはじまり(1618年)であることを書いた。

窓の位置は、正面の城(ルドヴィーク翼)の左の端、上から2番目。

地面に、とがったモニュメントが見える。

今回は、宗教改革の運動家ヤン・フス像の話。
プラハの旧市街の広場には、天文時計のある旧市庁舎がある。

ヤン・フスの像は、この旧市庁舎がある旧市街の広場にある。

1618年に三十年戦争がはじまるがその前に、ヤン・フスによる、
宗教改革運動があった。プロテスタント運動の先駆けで、
ヤン・フスは、1415年に火あぶりの刑になっている。

ハプスブルク家の支配下にあったチェコは、
ドイツ語が強制されて、チェコ語が禁止された。
チェコ語が許されたのは、“人形劇”の中だけだった。

チェコは、国民一人当たりのピルスナー・ビールの消費量が世界一である。
これは、ウサを晴らすため?
三十年戦争を経験し、チェコ語が禁止され、
第2次世界大戦後では、共産政権下でプラハの春、
ビロード革命を経験した。大変な忍耐が要求されてきた。
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