季節の変化

活動の状況

トラバントは生産中止に、シュコダはフォルクスワーゲンの子会社に

2009-04-05 02:28:11 | Weblog
東ドイツが消滅する2年前の1988年に、東ベルリンに入って、
――東ベルリンの第一印象は、活気がない。
と、前回書いたが、それでは、このときの、西ベルリンは?

西ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム教会。
第2次世界大戦の空襲で廃墟となった。
新しい教会が右に建設され、廃墟は戦争の記念としている。
付近は、人でにぎわい、新しい車がある。

西ベルリンのショッピング街(1988年)。

廃墟から、新たに建設されたショッピング街。
いずれも西ベルリンの中心街だが、人のにぎわいがある。

これらの西ベルリンの街を見てから、東ベルリンに入ったのが前回の写真である。

ブランデンブルク門から東に延びる大通り。
左が歴史博物館、中央にそびえるのはテレビ塔。
この先は博物館島になる中心街だが、人のにぎわいがない。


1989年は、ベルリンの壁が崩壊した年。そして、
東西ドイツが統一し(1990年)、ソ連が崩壊した(1991年)。

イデオロギー”戦争は終わり、“先端技術”の競争になった。
東西のがなくなって、“地球規模(グローバル化)”になった。
歴史の劇的な変化“パラダイム・シフト”である。

パラダイム・シフトを写真で表現すると、
東西ドイツの統一」としては、ベルリンの壁の崩壊がある。
ベルリンの壁が崩壊する前年(1988年)の状況をお伝えした。

――「地球規模での先端技術の競争」を写真で示すことができないか?
東ドイツの国民車“トラバント”は、生産中止になった。
チェコの国民車“シュコダ”は、ドイツのフォルクスワーゲンの、
子会社になった。その技術を導入した新製品を、見かけた。

ベルリンの壁が崩壊する1989年に、東ドイツのハレを訪問した。
ベルリンの壁が崩壊する8か月前の3月である。
ハレの中心街を一歩外れて、居住区に入ってみた。

東ドイツの国民車“トラバント”が駐車している。
廃車置場”ではない。等間隔にならんでいるし、
ちゃんと、ナンバー・プレートがついている。

居住区は、荒れていた。修復するのか? 壊すのか?
しかし、予算がない。荒れるがままであった。
右はアパートメントで、母子と乳母車が見える。
東ドイツという国が消滅する1年7か月前である。
――人が少ない。ハレの市民はひっそりと暮しているのだろうか?

トラバントは、混合ガソリンを使用する2サイクルのエンジンで、
パラパラと音をたて、有害な排出ガスをまき散らしながら走っていた。
――よく使うもんだ!

東ドイツでは、競合メーカーもなかったし、
西側から、車を輸入することもなかったから、
技術革新公害対策も、する必要がなかった。
同じものを、何年もつくっていればよかった。
それに、製造能力がなかったから、購入は5年~6年待ちだった。
顧客の要望やサービスについては、後回しにされた。

それが、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一し、ソ連が崩壊すると、
トラバントは、地球規模での先端技術の競争にさらされた。

東ドイツの国民車、トラバントは、
西ドイツの国民車、フォルクスワーゲンと、
くらべられることになったのである。

石器と鉄器の比較である。
設計思想”と、それを実現する“技術”の差は歴然である。
デザインや性能、塗装、内装、材料、装備の一つ一つが、
トラバントは遅れている。それに、安全や公害対策では、
ヨーロッパ基準を満足していなかった。

――どちらを買うか?
結果がでた……東ドイツが消滅すると、トラバント生産中止となった。
トラバントは市場経済では勝ち目はなかった。競争力も魅力もなかった。


同じことは、チェコの国民車“シュコダ”でも見た。

2006年にチェコを訪問すると、シュコダが走っていた。

――よく走るもんだ!
サビサビ、ボコボコ。それに、もとはなに色?
左の乳母車のほうが、ちゃんと部品はある。

チェコは、1989年無血革命(ビロード革命)で、
共産政権が崩壊した。民主主義陣営に入って、
計画経済から市場経済に移行した。
1989年は、歴史の劇的な変化が起きた年だ。

シュコダは、東ドイツのトラバントと同じ運命だった。売れない。
シュコダは1990年に、ドイツのフォルクスワーゲンの子会社になった。
そして、新しい技術を導入した新型のシュコダを、街で多く見かけた(2006年)。

後方、赤の車はソ連のラーダ。

歴史の劇的な変化“パラダイム・シフト”を写真で表現すると、
東西ドイツの統一」として、ベルリンの壁の崩壊を見た。

地球規模での先端技術の競争」として、
東ドイツの国民車“トラバント”の生産中止と、
チェコの国民車“シュコダ”が、ドイツのフォルクスワーゲンの、
子会社となって、新しい技術を導入した新製品を見た。

計画経済終焉(しゅうえん)であり、
市場経済で、生き残りをかけた新たなスタートである。
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