ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

大地震

2011-03-15 | 日記・エッセイ・コラム

いや~、ビックリしました。これまで生きてきて、あんなに大きな地震を味わったのは初めてです。(皆さんそうでしょうが...。) 

 その日は、夫が「年休消化」のため、偶然家にいました。(今考えると、運が強かったと思う。) お昼近くまで寝ていた夫のため、遅いお昼の用意をしようと、台所に立っている時に、揺れ始めました。徐々に大きくなりだしたので、念のためテーブルの下へ。夫は「大げさな!」と、私の様子を笑っていましたが、やがて笑っていられない事態に。

 とにかく、テーブルの下でも、足にしがみついてなければいられないくらいの揺れ。そして、長い。「いいかげん、止まって~!」と、心の中で叫んでいました。

 これは大変なことがおきたようだ...。とっさに、今後のことを考え、とりあえず、やかんやポットなど、できる限り「水の汲み置き」をしました。

 そういう間にも、次々と余震がやってくる。その度に外に飛び出ると、余震といえど、地面がグラングラン揺れるほどの大きさ。思えば、これが「茨城県沖」を震源とする大地震だったのですね。

 人間、あまりにも酷い思いをすると、「笑ってしまう」んだなと思いました。

 やがて、今度は、町の防災無線で、「大津波警報」が流れ、大騒ぎとなりました。「避難してください!」が、ついには「避難命令! 避難せよ!」という声に変わり、近所の人たちは、それぞれ安全な場所に避難したようでした。

 我が家の場合、けっこう奥まった場所であること、最悪の場合、窓を全部閉めて、二階か屋根裏に行けば大丈夫かと判断し、自宅で過ごしました。結局、道路の対岸近くまで水が来たようでしたが、我が家までは来ませんでした。

 でも、一晩中、サイレンが鳴り続け、電気も水もない暗い夜、強い余震が何度も続く中、茨城放送のラジオだけが頼りの一夜は、本当に物々しい何とも言えぬ雰囲気でしたね。

 逃げ道確保のため、窓を一箇所開けたままにし、幸い「石油ストーブ」があったので、それで暖を取り、カセットコンロで沸かしたお湯で、カップめんやお茶漬けなどで夕飯を済ませ、ラジオの声に耳を傾けながら、家族みんなで一部屋に固まって過ごしました。生協で買っておいた「非常用コップろうそく」が役に立ちました。倒れる心配がないので、安心して使えました。

 その他、子どもたちが、クリスマスイベントなどでもらってきたろうそくや、ハワイのお土産の「アロマキャンドル」も、大いに役立ちました。201103141906000

 三日間は、このままの生活かな?と思い、電気も水もない生活を送りましたが、ある意味、とても健康的な生活だと思いました。とにかく、見えなくならない明るいうちに夕食の準備をし、6時前には夕飯を食べ、やることがないので8時には就寝。お日様と共に目覚めて...という具合に...。

 こういうときは、皆さん「助け合い」の意識が生まれるようで、とにかくみんなで「声掛け合って」過ごしていました。食料品情報や、給水情報など、知恵を出し合って協力する姿は、非常時ならではなのかもしれません。

 あと、今回、とても感謝したのは、ラジオ局の人たちの活躍ぶりでした。落ち着いた明るいトーンの声で、情報を流し続けてくれました。たぶん、交代で休んではいたのでしょうが、大変だったと思います。暗い夜、地元のラジオ放送の声に、どれだけ励まされたか、本当に頭が下がる思いでした。

 それと、電力会社や水道などの関係者の人たち。「このたびは、ご迷惑をおかけしまして..」などと謝ったりしていますが、私は、あの人たちこそ、不眠不休で働き続けている皆さんだと思うのに、どうして..? と、考えてしまいます。とにかく、自然災害が原因で、それを復旧させるために、大変な思いをしてくれている。それに対して、文句を付ける人たちがいることが、私には理解困難...。

 三日目の夜中に、ようやく電気が来て、喜んだのもつかの間、テレビのニュースを見て、気分が暗くなってしまいました。あまりの被害の大きさに、言葉も出ない...。我々の困難な生活など、幸せな方でした。

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↑ 上の写真は、津波による、被害の痕。水はここまで来たようです。(高校生の息子が撮影。)

 町じゅうに電気がない暗い夜、夜空を見上げると、星の輝きが、ハンパなくキレイでした。ガソリン節約と、信号もつかない停電の道路にて、事故を起こさないために、歩きで買出しに行く道すがら、可憐に咲いている「春の花」が、ふと心を和ませてくれます。

201103141110000  今回、まさかの被災者生活をするようになってみて、改めて「水」がこんなに貴重だったとは、「電気」がなければ、こんなにも何もかもできなくなるものだとか、トイレの有り難味とか、人の優しい声かけとか、そういうものの大切さを、たくさん味わうことができました。

201103141118000  「何気ない日常」が、実は、一番幸せなことなんだと、心底思いましたね。

 まだ、当分、水は戻って来ないようで、プロパンガスの供給も底を尽きそうだそうだし、ガソリンも少ないし、大洗鹿島線もいつ開通するか不明だし、不安材料は多々ありますが、とにかく、「今、何ができるのか?」「今、ここにある材料で、できることは?」そういうことに悪知恵、じゃなくて生活の知恵を働かせながら、過ごしていきたいと思います。(「水」は、「湧き水」情報をもらい、けっこうな量を汲みに行けるようになりました。)

 この度、暖かい、応援コメントや、励ましメールをくださった皆様、ホントにありがとうございました。心に沁みる思いです。m(_ _)m

コメント (7)
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