(以前から欲しかった「タチアオイ」の花が、今や「花盛り」となっております。^_^)
「花の美しさ」は、「命があるから」「生きているから」こその「美しさ」だと思うけど、そんな「花びらを染める」やり方で、「花の美しさ」が「増す」とでも思うのか?
以前よく「お花が好きなんですネ」と言われることがありました。^_^ え? 私自身は、特に意識したこともなかったけど、そうなのかな?
(「ギボウシ」の花が、咲き出しました。)
(「南天」の花の蕾が、膨らんできました。)
まあ、自分から「華道教室」を探して通い、「看板を取る」ところまで進んだので、まあ「好き」なんでしょうね。(^^; 結局、就職して直ぐに通い始めて、産休に入るちょっと前まで続けたので、7〜8年ってところでしょうか?
先生は、その段階で、たぶん、御歳80歳は超えていらしたかと? (・・;) その後、お花を習いながら、お喋りを通して、先生のこれまでの人生を色々知って、まあ様々なご苦労も乗り越えて、その当時は、ご主人も亡くされて、親戚の経営する戸建てアパートに身を寄せていらしたようでした。
「教室」である、先生のお宅に行って、最初に感心したのは、「トイレがキレイなこと」でした。(°_°)
その当時だし、「古いタイプの住宅」なので、「ボットン」タイプのヤツでしたが、とにかく「床はピカピカ」、便器を覆う蓋がしてあって、「紙置き」は、素敵な竹細工で、「四角いちり紙」が置かれてました。室内は、むしろ「良い香り」も漂っていたような。
そのことを先生に告げると、ニッコリとして喜んでくれて「私はね、トイレ掃除は、1番にするの。」とのこと。なんでも、昔、「行儀見習い」のような「お手伝い」の仕事をされていたそうで、そもそも「華道」に興味を持ったのも、そこの奥様が、いつも素敵に「お花を生けて」いらしたから…なんだそうな。
(「ギボウシ」の花が、咲き出しました。)
そういえば、私が「お花を習いたい」と思ったキッカケも、義姉が習い出して、家の中に「いつもお花がある」状況が「ステキだな」と思ったからでした。(^^;
教室では、他の生徒さん同士でも、さりげない「お喋り」も出来て、中には「同じ職種」で、違う職場の方なんかもいらして、情報交換も出来たりして、そういうひと時も、なかなか楽しかったですね。(^-^)
話が逸れましたが、お花を習い始めて、1年が経つと、だいたい「どの季節には、どんな花が使われるか」が、わかるようになりました。(^_^) 「花の名前」は、とにかく「憶え」ますね。
私の場合、「看板」をいただいて、その後「研究会」みたいな行事に、毎月行くようになりましたが、その辺りで、産休に入ったりして、「教室」にも行かなくなり、そこでストップしたので、実力もそこで止まった感じですが、義姉などは、更に進んで、かなり「上級者」となり、実際に「教室」を開いたり、「凄い所」のお花を飾る担当になったりしてました。
ちなみに、義姉が習っていたのは「安達流」で、私が習ったのは「池坊」でした。(^^)
華道の場合、本来は「花器」を選び、そこに「剣山」を置いて、刺して、花を生けていきますが、私の場合、今は「壺型」の花器に、ただ「入れる」だけの飾り方になってますね。(^^) でも、玄関の花を「欠かしたことが無い」状態は、ずっと続いてます。それは、「お花を習った」ことによる「良い習慣」ですかね。
(「南天」の花の蕾が、膨らんできました。)
ところで、前置きが長くなりましたが、今回、書きたかったのは、どうも最近「妙な花」を売り出していることが、私としては「気に入らない」からです。(*_*)
それは何か?というと、本来の「切り花」に、下から「色水」のようなものを「吸い上げ?させて」花に「色を付けて」いる手法があるらしく、それを売っているんですネ。
「1本ずつ」買う場合は、「選ばなければ」よいわけですが、「仏花」としてまとまっているのを、仏壇用に買おうとすると、その「色付け花」が混じっていることがあり、ちょっと憤慨してしまう私です。(*´-`)
「花の美しさ」は、「命があるから」「生きているから」こその「美しさ」だと思うけど、そんな「花びらを染める」やり方で、「花の美しさ」が「増す」とでも思うのか?
「お花屋さん」自らが、そんなことをしている…それが「流行」なのか?
どうなんでしょうね? ♪( ´θ`)
最近、Twitterでのやりとりで「黒ネコのタンゴ」の話題が出たので、来月の「うたごえ広場」のメニューに入れようかな?と、少し調べてみました。(^^)
作詞・作曲は「マリオ・パガーノ」のいう方で、歌詞の内容も、日本語バージョンのとは、違うんですネ。(^^;
イタリア語の方の歌詞の内容は、「本物のワニをあげるから、代わりに‘黒ネコ‘を欲しいと言ったのに、君がくれたのは‘白ネコ‘だった…」みたいな内容が延々と続く感じです。
日本語の歌詞を書いたのは「見尾田みずほ」さんという方で、歌った「皆川おさむ」さんは、なんと、当時「ひばり児童合唱団」を主催していた方の甥っ子さんだったんですね。(・・;)
まず、手元にある「1001曲」収録の楽譜集をあたってみたけど、楽譜は無い。次に、よく購入している「アット・エリーゼ」で検索してみたところ、ここなら、ほとんどの楽譜が入手できるはずなのに、なぜだか無い!
そこで、ググってみると、今まで知らなかったことが、多々出てきて、私自身も驚いたので、これはブログの記事に書いてみようか?ということになりました。(๑˃̵ᴗ˂̵)
そういえば、この曲の作曲者は? 今まで調べたこともありませんでした。(・・;) そしたら、なんと、この曲はそもそも「日本の曲」ではなかったんですね。(°_°)
原曲は「イタリアの曲」らしいです。
作詞・作曲は「マリオ・パガーノ」のいう方で、歌詞の内容も、日本語バージョンのとは、違うんですネ。(^^;
そもそも、この歌が生まれた背景は、1959年から、毎年、イタリアのボローニャで開かれている「ゼッキーノ・ドーロ」という、12歳以下の子ども向けの歌のコンテストにて、上位入賞したことなんだそうな。^_^
このコンテストで、上位入賞した曲は、やがて日本語の歌詞を付けてカバーして、NHKの「みんなの歌」で紹介されるパターンが多いらしいです。
イタリア語の原曲を聴いてみたところ、「黒ネコのタンゴ」とは、歌詞の内容が違うけど、こちらも、実に「楽しい」曲であることは確かなようで。(^-^)
イタリア語の方の歌詞の内容は、「本物のワニをあげるから、代わりに‘黒ネコ‘を欲しいと言ったのに、君がくれたのは‘白ネコ‘だった…」みたいな内容が延々と続く感じです。
日本語の歌詞を書いたのは「見尾田みずほ」さんという方で、歌った「皆川おさむ」さんは、なんと、当時「ひばり児童合唱団」を主催していた方の甥っ子さんだったんですね。(・・;)
「おさむさん」も、3歳から、その合唱団に所属していたそうで、この話が来た時に、特にオーデションなどを行うことなく、彼がうたうことになったそうです。
さて、楽譜が入手できないので、「耳コピ」を頼りに、自分で書くことにします。^_−☆
今月の「うたごえ広場」では、季節がら「カエルの合唱」を選曲したので、恒例の「三部輪唱」を試みました。(^.^)
参加者の皆さま、かなりノリノリで、とても楽しそうに歌ってました。やはり、「ただ歌ってる」よりも、色々と「意識して」歌う必要があるので、その方が刺激にもなって、良いのかもしれないですね。
ラストソングに選んだのは、「しあわせなら手をたたこう」。(^-^) これも、歌いながら「手」「足」「肩」「ほっぺ」とたたいて、最後に「全部を順番に」たたいてらもらうので、なかなか面白く出来ました。(^。^)
そういえば、母がお世話になっていた高齢者施設に「歌のボランティア」に通っていた頃は、毎回、ちょっとした「手遊び」メニューを用意して行ったものでした。
先月は、「茶摘み」を選曲してあったので、完璧な「せっせっせ」は出来ないまでも、途中に「手拍子」を「チョンチョン!」と入れる「リズム遊び」をしたところ、こちらも大好評でした。(^_^)
更に「お座敷小唄」を歌っていたところ「これこそ、手拍子だ!」と言った方がいたので、それじゃあと、まるで「宴会?」のような手拍子を、みんなでたたきながら歌ったところ、大いに盛り上がりました。
今後も、「手遊び」とか、何か「体を動かす」ゲーム感覚のネタを、用意した方が良さそうですね。^_−☆
(写真は、記事の内容に関係なく、「タチアオイ」の花。^^; 実は、一昨年に頂いた種を蒔いたモノが、今年は伸びてきたけど、まだ花は咲かず…。
でも、昨年、実家の庭に咲いていたモノを、義姉が無造作に抜いて、それを貰って植えたモノが、先に咲き出しました。^_^)