よく「地図が読めない女」という言葉を聞きますが、私は「地図が大好き」です。(・・;) 「自分は、女じゃない?」なんて、悩んだことも。(^^;
私が「地図好き」になったきっかけは? と、よ〜く考えてみると、たぶん、私が小学校高学年の頃、何かで頂いた、大きな「茨城県の地図」を、いつも食事をする「ダイニングキッチン」の壁に貼ってあったから、かと思われます。(^.^)
私はそれを、暇さえあれば、細かく隅々まで、よくよく眺めておりました。
また、その頃、学校で、教材として「地図帳」をもらい、「世界地図」の載った箇所を眺めるのも好きで、学校では、遊びとして「地図当てゲーム」も流行りました。(^-^)
「地図当てゲーム」とは、そこに集まった数人が、地図帳の「同じページ」を開き、中の1人が問題を出します。その際は、なるべく「わかりにくい」「見つけにくい」地名を出題し、それが「どこにあるか?」を、他のメンバーは、夢中で探して、早く見つけた人が「勝ち」となるルールです。
「ブータン」「チチカカ湖」…など、ユニークな国名や地名を、この当時に色々と憶えた記憶がありますネ。(^。^)
この遊びには、担任の先生も「感心」して、「ドンドンやると良い!」みたいに推奨してくれてました。
中学に入ると、もっと専門的な「地理」の学習をするようになり、「地図帳」も、本格的な感じになりました。そして、教材に「白地図」が登場し、よく宿題に出たので、元々「塗り絵好き」でもあった私としては、恰好な「遊び道具」感覚のモノとなりましたネ。(^_^)
更に、時は流れ、大人になって、給料をもらうようになってから、茨城新聞社より「茨城県万能地図」なるモノが、売り出されました。( ^ω^ )
第一号は、「市町村別」になっていて、巻末には「広域ロードマップ」のコーナーもあり、各地域の「名物」や「土産物」なども紹介されてました。
私は、早速購入し、その後、第二弾、第三弾…と数年おきに発売され、私はそれらを、たぶん全部購入したと思います。(๑˃̵ᴗ˂̵)
ところで、そういうわけで、昔から「地図好き」なので、茨城県内の、私が車で行く範囲ならば、地図さえあればなんとかなるので、「カーナビ」や「スマホのナビ」とかは、必要を感じません。むしろ「右に行け!」だの「直進しろ!」だのと「指示される」のが、煩わしくてしょうがない。なので、長年乗った車が、ついに壊れ、新しいのに買い換える際には、「カーナビ」などの機能は、いっさい付けませんでした。♪( ´θ`)
例えば「配達のお仕事」とか、常に「新しい土地」を走らねばならぬ立場だったりとか、そういう場合は「必需品」なんでしょうけど、私の場合は、そんなことも無いので。(^^;
ところで、「地図好き」が高じて、地図に関して、ある素敵な「出会い」がありました。^o^
それは、このブログにて、最初の頃から度々登場する、ある「古地図」のことです。
それは、「昭和14年版の町(かつての旧町名「磯浜町」)の地図」。その当時は、私の行きつけの医院の待合室に掛けられていました。
私は、それが、大のお気に入りで、その医院に行く度に、じっくりと眺めておりました。
その当時、院長先生に、その古地図の経緯を尋ねてみたことがありました。先生のお話では、「片付けをしていて、その古地図を見つけたので、業者に頼んで、キレイにしてもらい、専用の額縁に入れてもらった…。」とのことでした。
時は流れ、そこの院長先生が他界されて、医院の建屋も解体される運びとなり、私が気になっていた、その古地図を、知り合いのツテで、いただけることとなりました。( ^ω^ ) それ以降は、我が家で保管させていただいております。
実は、その地図の中には、私が6歳の頃に廃線となった、かつての「路面電車」である「水浜(すいひん)電車」の線路地図も載ってます。(°_°)
その線路は、時代によって、敷かれていた場所に変化があり、「戦前」だった、この頃は、今の「ゴルフ場」のある場所も通って、「祝町」まで続いていたのでした。
この度、私が先日、コンサートに行った「幕末と明治の博物館」にて、この「水浜電車」に関する展示会が開かれるそうで、この「古地図」を、展示協力させていただく運びとなりました。(^-^)v
期間は、今週末〜来月の「勤労感謝の日」まで。お近くの方で、興味のある方、ぜひご覧くださいませ。^_−☆ 私も、行ってみるつもりです。