私が今の家に嫁いでから、義母が商売をやっていた関係で、買い物する「店」も、「できたらここを...」という所を紹介され、町内の店は「ほとんど」決まっている状況でした。
美容院、肉屋、おもちゃ屋、雑貨屋、お茶屋、花屋...etc. しかも、行った時には、「いつもお世話になっております。○○屋です。」と言わねばならない。
最初の内は、どのタイミングで言えばいいのか? よくわからないし、気恥かしいし、嫌でたまらなかったけど、これが、慣れてくると、いろいろ便利で、むしろ「心地よく」なってくるから不思議。お店の店主たちに、「○○屋のお嫁さん」として顔を憶えてもらえるため、その後の会話が慣れてくるんでしょうね。
そんなお店の一軒に、ある花屋さんがありました。私は、小学校高学年頃から、近所のお姉さんたちが「お花」を習い出すのを見て、ちょっと羨ましく思っていました。私も興味があったものの、既に長年ピアノを習わせてもらっていて、一時期は、ソロバンや習字も習っていたので、これ以上、親に負担はかけられないと思っていたので。
やがて、同居した兄夫婦の義姉が、「安達流」のお花を習い始めると、毎週、家の中に素敵なお花が飾られるようになりました。これが、なかなか「いい」んですよね。「生け方の良しあし?」みたいなのはわからなくても、「家の中に花がある」のは、子ども心にも「いいもんだ」と思えたのでした。
就職してから、すぐに、念願の「お花」を習い始めました。職場の先輩に紹介してもらい、職場近くのお宅で開いている先生の元に、毎週土曜日の午後通いました。流派は「池坊(いけのぼう)」。(先生によると、「池坊」だけが「華道家元」なんだとか。)
家の玄関は、義姉が飾るので、私のは「床の間」に飾り、飾る場所がなくなると、叔母の家に飾ってみたり...。
その後、「看板を取る」とこまで行き、出産を機に退職するまで続けました。
そういう訳で、「家の中に花を飾る」のが習慣になってしまっていた私にとって、「お花屋さん」は重要でした。仏壇の花を買うついでに、玄関に飾る花を買うため、月に2回のペースで通い続けました。お彼岸やお盆には、お墓用の花もたくさん買うし、友人知人のコンサートなどには、フラワーアレンジなども頼んだし、すっかり「お得意様」状態になってからは、行くたびに珈琲を入れてもらったりして、私の「癒しスポット」?にもなっていました。
そういうお店が、最近無くなってしまいました。ご主人が突然亡くなられたのです。
まあ、見かけよりもけっこうなお歳だったようだし、最近「お疲れ気味かな?」という感じはしていたのですが、ある日突然倒れて、それっきりだったようです。
「花屋さん」の他に、社交ダンスの先生もされていて、むしろ、どちらが「本業」なのか?わからない感じでしたが、お話好きで、オシャレな感じのオジサマでした。
「悲しい」というより「淋しい」気持ちでいっぱいの私。シャッターの降ろされた店舗の前を通る度に、いつも色とりどりのお花が並んでいた光景が思い出されます。
ご冥福をお祈りいたします。(-人ー)