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ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「大きな古時計」の話

2021-02-27 | 音楽話
 ♪ 大きなノッポの古時計〜 お爺さんの時計〜… ♪ で始まる「大きな古時計」の歌。名曲だし、私も大好きな曲の一つです。(^^)
 NHK「みんなの歌」みたいな子ども番組の定番曲だと思っていたら、平井堅がカバーして大ヒットしたりと、しっかりと大人のハートも掴む名曲のようですネ。
 
 今回、「フジパン・スナックサンド」のCMソング→「源兵衛さんの赤ちゃん」→「ジョージア行進曲」→「東京節(パイノパイノパイ)」…と調べて行くうち、偶然にも、作曲者が「同じ人」という事実に行き当たりました。(^^;
 そういえば、「大きな古時計」の作詞・作曲者について、意識したことが無かったのも不思議…。(・・;)
 この曲の作詞・作曲者は「ヘンリー・クレイ・ワーク」氏で1876年に発表されたそうで、当時アメリカでは、その楽譜が100万部以上売れたそうな。
 調べてみると、ワーク氏がその曲を作るには、あるエピソードがあったそうです。


 そして、この曲が日本で広まったのは、2段回あるようで、初めは「吉本興行」所属の子どもダンサーが歌う曲として「お祖父さんの時計」という曲が作られたそうです。(1940年)
 この曲の場合、歌詞は全く別モノで、「シンデレラ」をモチーフにしたものだったそうです。
 その後、NHK「みんなの歌」で紹介されたのが、我々のよく知っている「大きな古時計」で、こちらは原作を訳詩する形で作られたそうです。(1962年)
 この時、歌を担当したのが、バリトン歌手の立川清登(たちかわすみと)さん。これで、日本じゅうの人々に浸透し、やがて「おかあさんといっしょ」などでも歌われるようになっていったようです。
 立川清登さんの歌声、私はテレビで度々聴いてましたが、素晴らしかったですネ。(´∀`) 何かの歌番組で歌った「イヨマンテの夜」は、今だに印象に残ってます。

 ということで、今回、偶然出会った?「大きな古時計」の曲の生い立ちに、改めて感心した私でした。^_−☆
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「ジョージア行進曲」の話

2021-02-25 | 音楽話



 前回の記事にて、「源兵衛さんの赤ちゃん」の話を書いたところ、コメントを書いてくれた方から、色々と情報が集まりまして、私も引き続き調べてみたところ、更に色々とわかってきたので、書いてみたいと思います。(^^)

 まず私は、大学時代のサークル活動で「源兵衛さんの赤ちゃん」という曲を知りました。(^.^) その曲は、関西学院グリークラブの指導者だった方が、編曲されたそうです。(昭和24年頃)
 でも、その男声合唱バージョンを知ってる人は、関係者くらいみたいで、より多くの人が知ってるのは「東京節(パイノパイノパイ)」の方らしいですね。
 検索すると、「なぎら健壱さん」たちが歌ってるバージョンの動画が出てきます。
(^.^) 





 その歌を作ったのは「添田知道」さん
という方で、「添田唖蝉坊」という演歌師の御子息で、やがてはその方も「演歌師」として活躍したそうです。




 その添田知道さんが「東京節」を作ったのが1918年(大正7年)だそうで、解説によると、彼が19歳の時だそうですが、私の計算では17歳…。(・・;)
 それが巷で大流行し、要望に応じて、別の歌詞の「平和節」ってのも作ったそうです。それが1919年(大正8年)。
 その後は、関西方面でも、色々なバージョンが作られたとか?
 後半の歌詞の「♪ ラメちゃんたら、ギッチョンチョンで パイノパイノパイ〜」の「ラメちゃん」とは、父親の人生観だった「どうせ浮世は出鱈目だ!」のフレーズから取ったとのことです。「デタラメ」→「ラメ」

 その添田氏が「東京節」作る前に、そのメロディは知っていたそうです。それは、明治時代に流行っていた「軍歌」の「ますらたけお」という曲で、幼少期に周りの子どもたちから、囃し立てられた時に、そのメロディで言われた記憶があり、それを使ったそうです。
 その「ますらたけお」は、国文学者の「東宮鉄真呂」という人が、1892年(明治25年)に作詞した作品。






 では、そのメロディの方ですが、作ったのは、アメリカの「ヘンリー・クレイ・ワーク」(1832〜1884)という方。



 この方、調べてみると、なんと、アメリカでは「フォスター」と並ぶ人気作曲家だそうで。(^^;
 他の作品を見て、ビックリ! 「調子をそろえてクリック・クリック・クリック」という曲は、昔よく、給食の時間にかかっていた思い出があります。そして、なんと、あの「大きな古時計」も、この方の作品だったとは! (°_°)
 この曲に関しても、色々と情報が出てきたので、この件に関しては、また次の記事にアップしたいと思います。(^.^)

 さて、この「ジョージア行進曲」(1865年)は、その後も、ドリフターズとか、色んな方々にカバーされ、CMソングにも多数使われてきているようです。(^_^*) 今回、私が「気になった」のも、元々「人気のメロディ」だったから、なんでしょうネ。
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「権兵衛(ごんべえ)さん」と「源兵衛(げんべえ)さん」

2021-02-19 | 音楽話
 最近、Facebookの方のネタにも書いたのですが、テレビCMの歌で、懐かしいメロディが聞こえてきました。^_^ え〜っとこれは、何だっけ? 色々考えて、そうだ!、思い出した! 「源兵衛さんの赤ちゃん」だ! (^。^)
 「♪ 源兵衛さんの赤ちゃんが 風邪ひいた〜…」という歌い出しで始まるので、その歌詞だけ言うと「♪ 権兵衛さんの赤ちゃんが 風邪ひいた〜…」と同じですが、メロディが違います。
 私がなぜ、そんな歌を知ってるのか? というと、あれは大学生時代、所属していたサークル「混声合唱団」の、男子メンバーたちが、よく「カルテット」などで歌っていたから。(^^) どなたの編曲なのかは知りませんが、とても良くできていて、聴いていても楽しい気分でノリノリになる感じでした。
 ちなみに、今回、テレビCMで使われているのは「フジパン・スナックサンド」です。(^.^) この「スナックサンド」、よく某ヤマザキの「ランチパック」の隣りに並んでる類似品?かと思ってましたが、実はなんと、この「フジパン・スナックサンド」の方が、「ランチパック」よりも、9年も早く売り出していたそうですネ。(・・;) なので、フジパンの方には「元祖」という表示があるそうです。(^^;

 「権兵衛さん…」の方は、元の曲が「リパブリック賛歌」で、替え歌も限りなく存在します。(^-^) 有名なところでは「♪ オタマジャクシはカエルの子…」「ともだち賛歌」「♪ ま〜るい緑の山手線、真ん中通るは中央線、新宿西口〜駅の前…」etc.
 それに対して、「源兵衛さん…」の方は、「替え歌」は少ない感じですが、調べてみたところ「ロッテ・パイの実」のCMソングにも使われているそうです。(^。^) そういえは、確かに、あのメロディですね。でも、今回の「スナックサンド」のCMに、私が反応したのはたぶん「フルコーラス」のメロディが使われているから、でしょうネ。
 こちらの元の曲は、「ジョージア・マーチ」と言う曲だそうです。実は、「替え歌は少ない」と書いたばかりですが、その昔、この曲の替え歌が、花柳界?で流行ったことがあるそうで、アメリカの軍楽隊が、この曲を演奏した際に、「こんな曲を演奏するとは、何事か!」と、本末転倒なことを言った人がいたとか…? (๑˃̵ᴗ˂̵)

 ということで、「フジパン・スナックサンド」のCMソング、とっても楽しい曲なので、もし聴く機会があったら、気に留めておいてくださいナ。^_−☆
 もちろん、男声合唱の「源兵衛の赤ちゃん」も、ぜひ聴いてみて欲しいですけどね。( ◠‿◠ )





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♪ 男と女〜…(「夢芝居」のメロディで…:^^;)

2021-02-16 | 日記・エッセイ・コラム
 今、世の中のは「女性蔑視発言」の問題で、騒がしい感じですが、私の場合、政治的な話題が苦手なので、そういう話ではない「男性」「女性」の話を書きたいと思います。^_^
 私は、いわゆる「末っ子長女」で、親たちにとって「初めての女の子」ということで、「顔が…(*_*)」と言われながらも、まあ、可愛がって育ててもらいました。(^^;
 なので、「女だから」とか「女のくせに」とか、そういう差別的な言葉を言われた記憶も無いです。
 更に、私の生まれ育った茨城県は「北関東」全般に云われるように、どちらか言うと「カカア天下」の傾向があり、「女の方が強い」感じがします。というより「心優しい男性」が多いような…。(^.^)
 でも、私が見てきた感じでは、女性たちが「威張りくさる」よりも、むしろ、「女性たちが仕切る」けれど、肝心な所では「男性を立てる」というか、「花を持たせる」?「頼りにする」? そんな感じで事を進める場面が多かったように思います。
 
 あと、そういう「男女」の感覚は、世代の差で、ずいぶん違うのでは? と思います。
 まず、我々の中学時代の科目は、女子が「家庭」なのに対し、男子は「技術」。学ぶ内容も、女子は「料理」「縫い物」「保育」等で、男子は、木工、金工、製図等(たぶん)。男女で、習う内容が違ってました。
 でも、私が教員になって数年経った頃以降は、ほぼ同じことを学ぶようになったのでは?
 私の嫁ぎ先の義母は、「男が台所に立ってるようでは、外でまともな仕事は出来ない!」と言い切る人でした。(^^; あの世代では、けっこうそういう主張の人は、多かったように思います。
 でも今では、料理のできる男性は、むしろ「カッコいい」と持てはやされてる風潮がありますよね。

 私の記憶では、学校関係や、色んなことのちょっとした役職の場合、「○○長」は男性が、「副○○長」は女性が担当するのが普通の流れだったと思います。
 その事で、今でも憶えている印象的なエピソードがありました。(^.^)
 あれは、私の大学時代の話。私の所属した「専攻会」は、各学年20名。1年〜4年生までで計80名。そこで「専攻会長」を3年生になる学年から選んで、組織される仕組みでした。
 私が1年生だった年度末の頃、その話し合いの場が設けられました。当時「2年生」だった学年から「専攻会長」を選出することになります。
 それまでの流れだと、「音楽科」なので、どうしても女子学生が多いのですが、男子学生が、各学年に2名くらいはいて、そのどちらかが選ばれている感じででした。
 でも、その学年の男子学生は1名で、性格的にもリーダーには向かないタイプの方でした。(・・;) その代わり、女子学生の中に、誰もが認める「良きリーダー」的な存在の方がいました。
 同学年からも、上級生たちからも、後輩の我々からも、その女子学生が相応しいと、推薦されましたが、肝心のご本人が遠慮して、なかなか決まりませんでした。ご本人曰く「男性がいるのに、女の私が‘長‘を引き受けるのは気が引ける」とのこと。
 でも、見たところ、その男子学生は「やりたくない」感じでしたが、「男なら、やるしかないのか?」と悩んでいる感じにも…。
 周りの我々としては、彼よりも、やはり、その女子学生にやってもらった方が安心する感じでした。
 そんなこんなで、けっこう長く押し問答をしてました。(*´-`) なかなか決まらない…。でも、その沈滞した空気を破ったのは、捌けた性格の4年生女子の方の発言。
 「○○さんの気持ちもわかります。でも、明らかに、リーダーに相応しいのは○○さんの方だと思う。80年代は女性の時代です! もうこれからは、男とか女とか、そういうことにこだわるよりも、相応しい人がやるべきだと思います!」
 そこまで聞いて、そこにいた全員が拍手喝采。満場一致で決定した瞬間でした。(^。^)
 今では、考えられない話かと思うけど、そういう時代でした。♪( ´θ`) 昭和も戦後の「高度経済成長期」に生まれ育った我々ですら、こんな感じだったので、大正生まれの母の時代など、もっと「男女格差」は露骨だったのでは? と思われます。
 なので、今回の「女性蔑視発言」を擁護する気持ちは無いですが、現在80歳を超えている方の場合、男女に関する捉え方は、やはり「今の世代の感覚」とは、大きく違っていることが想像できるのであります。^_−☆







写真は、記事の内容に関係無く、ウチの庭で見つけた「フキノトウ」と、満開になった紅梅。

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今度は、30枚のCDセット

2021-02-04 | 日記・エッセイ・コラム
 「100枚のレコード」「20枚のCD」と聴いてきまして、今度は「30枚のCDシリーズ」に突入?しました。(^.^)
 今度のシリーズは、全て「合唱曲」。前のシリーズが、少しは聴いていた状況なのに対し、今回のシリーズは、買ってから「一度も」聴いていないのは、我ながら呆れます。(*_*)
 著名な合唱曲を録音した物と、楽譜がセットになったモノで、楽譜は、既に半分以上無くなっている状況。(๑˃̵ᴗ˂̵)
 でも、せっかくなので、この流れに乗って? この際、全部きいてみようかと、思っております。
 さて、感想は、その後ボチボチ書いて行こうと思います。(^.^)



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