「百人一首」のカルタについて、私の記憶にある「1番古い」モノは、お正月に、叔母の家へ遊びに行った際、叔母の家族と一緒に、よく遊んでいた光景ですかね。(^^)














もっとも、私が小さかった頃は、なぜ「取り札」に書いてあるのが「文字ばかり」なのか? なぜ、読んでいた叔母が「歌うように」読むのか? 疑問ばかりでした。(・・;)
でも、私より10歳近く歳上の従姉弟たちは、けっこう「取って」いたし、書いてある文字も、「全部ひらがな」なので、私もそのうち「読める」ようになっていきました。
そんな感じでも、ほぼ毎年やっていれば、耳もなれてきて、「これは、聞いたことあるゾ」なんて、思うようになってきました。(^.^)
私が1番先に憶えたフレーズは「ももしきや…」でした。(^-^) 本当は「ももしき」とは「百敷」=「宮中のこと」の意味だそうですが、当時の私は「モモヒキ屋」だと思っていて、「昔は、’モモヒキ’を売り歩く商売人がいたのかなァ〜?」なんて、妙な想像をしたりしてました。(๑˃̵ᴗ˂̵)

そして、1番先に「取れる」ようになったのが、「いにしえの 奈良の都の八重桜 今日九重(ここのえ)に 匂いぬるかな」という札。(^-^)
なぜかというと、取り札は、全部「ひらがな」で書いてあるため、「けふここのへに にほいぬるかな」の文字の並びが、視覚的に特徴があって、見つけ易かったから。^_−☆
その後、少し慣れてくると、取り札が並べられた時に、まず、その札がどこにあるか?を探して、見つけたら、常にその札に注目していたのでした。

やがて、お正月の度に、叔母の家で「百人一首カルタ」をやっていたお陰で、私も、けっこう「取れる」ようになり、自宅でもやりたくなって、「百人一首」のカルタを買ってもらいました。(^。^)
その後、家に遊びに来た友人たちとやってみても、まず「読める人」がいない。しかたなく、私が、叔母が読んでいたように、読んでみても、なかなか上手くいかず、しばらくは、「読み札」を使って遊ぶゲームの「坊主めくり」ばかり、やってましたね。(^^;)
その後、時は流れ、結婚して、子どもが生まれ、実家に帰った時など、実家に置いてあった「百人一首」を使って、子どもたちと「坊主めくり」をして遊ぶようになりました。(^.^)
更に、子どもたちが、小学生になった頃には、「百人一首のカルタ取り」でも、遊ぶようになりました。(^-^) その頃には、私も、ちゃんと「読める」ようになっていました。
その後、子どもたちが「百人一首」で遊んでいるから…と、母が遊びに来た時に、お土産に、新しい「百人一首」を買って来てくれました。(^。^)
それを使って、我が家でも「遊ぶ」ようになりました。
意外なことに、遊びに来ていた「近所の子たち」も、「百人一首のカルタ取り」を、割と「面白がって」やるので、感心したものです。(・・;)
更に、時は流れ、子どもたちが通った小学校にて、「PTA役員」の流れで、「放課後子ども教室」のスタッフをやるようになり、そこに、かなり「古くなった」ウチの「百人一首」を持って行き、やはり「坊主めくり」や「カルタ取り」などを紹介してみると、小学生たちが、けっこう「面白そうに」遊ぶ姿が、意外でした。
そういう状況の時に、「生協」のカタログ
にて、こんな本を見つけて、購入してみました。(^^;)
「まんが・百人一首・なんでも事典」
購入した当時は、「歌の意味」とか、「背景」とか、「詠んだ人」の情報などを調べるのが興味深くて、重宝したものです。
でも、最近は、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」が、「紫式部」の話なので、思い出して、ページをめくってみたところ、ドラマに出てくる「登場人物」たちのことが、けっこう「載っている」ことに気付き、別の興味が湧いてきました。(^。^)

「紫式部」である「ちひろ」が、上流?のお嬢様方のサロン的な所に行った時に、「教師役」を担当していた「赤染衛門(あかぞめえもん)」も載っているし、「右大臣」(「藤原道長」の父親)の「正妻」ではない「妻の1人」である女性で、「蜻蛉(かげろう)日記」の作者である女性は、「右大将道綱の母」という名前で載ってます。


「光る君へ」によると、「紫式部」は、平安時代の「貴族」の中では、「身分の低い」立場のようでしたね。♪( ´θ`)
同じ頃に活躍した「清少納言」も登場して、ドラマの中で「父親」と並んでいるシーンがあつたので、早速、この本に当たってみると、なんと、「父親」と、その「祖父」まで紹介されていて、共に、作品が「百人一首」の中にあることもわかりました。(^^;)




そして、「紫式部」の作品はもちろん、その「娘」の作品も入っていたことに、驚きました。(・・;)



ところで、これも、今回、改めてこの本を眺めていて知ったことですが、私が、1番に取れるようになった札の、歌の作者「伊勢大輔(いせのたいふ)」は、なんと「藤原道長」の娘だったんですネ。(*´∀`)♪
☆この「伊勢大輔(いせのたいふ)(いせのおおすけ)」について、ネットで調べてみると、別の情報が出て来ました。(・・;) なので、この「事典」は、あまり「当てにならない」のかも? (*_*)

