ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

次の作品集

2016-01-29 | 日記・エッセイ・コラム

 生協の「手芸・頒布会シリーズ」?にて、「ビーズのガマグチ」シリーズ作りを楽しんだ私でしたが、次のシリーズに選んだのは、これでした。

 同じ「ビーズ」手芸でも、「ネックレス」を作るシリーズ。最近、「ビーズ手芸」に「ハマって」いる人たちはけっこういて、素敵なアクセサリーなどをたくさん作ったりしているようですが、私の場合、どちらかいうと、ただ「ネックレスが欲しい~!」という気持ちの方が強いかも。

 同じ服を着ても、アクセサリーを変えるだけで、ちょっと印象が違ったりするし、「人前に出る」機会が多い場合、やはり便利。でも、買えば、それなりの値段が...。

 でも、このシリーズなら、「材料費」だけで済むし、本数が増えるのが嬉しい。

 今回は「6回コース」を頼み、既に「4作品」完成してます。(もちろん、既に使ってます。)

 3本目の「ブルー系」のは、私好みの色ではないので、娘にあげることになってます。

 そして、本日届いた、5作目の「写真」が、コチラ。

 詳しい「説明書」が付いていて、割と簡単にできるのはいいんだけど、作り始めると2~3日で「できてしまう」のが、ある意味「難点」ですナ。

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「容疑者」?

2016-01-21 | 日記・エッセイ・コラム

 ここのところ、立て続けに「バス」の事故が起きていて、心が痛むばかりです。

 思うに、ウチの近くを走ってるバスの、どの車両にも「運転手募集!」の張り紙があるから、バス業界としては、「運転手」が慢性的な「人手不足」になってるのかなァと、思われますね。

 私が一番気になるのが、運転手たちの年齢。今回の「軽井沢」のが「65歳」。「淡路島」の件は、女性添乗員の機転により「事故」に至らず済んだけど「70歳」。東京大田区の件は、軽傷のケガ人で済んだけど「58歳」。

 そういう「肉体労働系」の職種には「30~40歳代」の、いわゆる「働き盛り」の世代がいないのかなァ? と思う私。

 ところで、最近、更に気になるのが、「容疑者」という言い方。それが「泥棒」や「殺人犯」など、あきらかに、自分から「悪いことをした人」や「疑わしき人」を呼ぶには、「ふさわしい」と思うけど、今回の東京大田区の事故くらいのケースみたいに、一生懸命、真面目に「働いて」いた中で、不注意などで起こしてしまった事故の場合、「容疑者」と呼ぶのは「可哀そう」ではないのか? と思うのであります。

 その場合は、「敬称なし」で、「運転手の◇◇」を現行犯逮捕...みたいな言い方(書き方)でよいのでは?

 これは、ある自動車会社の人が言っていたことですが、「自動車税」とか「取得税」とか、そういうのを「考える」のは、「東京都心」とか「都市部」に住んでる方々なので、日頃「交通の便」で苦労することはなく、「車を持つ」ことを「贅沢」と思う人たちなんだと。

 都会をちょっと離れれば、むしろ「車が無いと生活不可能」な地域の方がはるかに多いのに、「車を買う」のに「取得税」を収めるのは、本来「おかしい」はずなんだけど、誰もそのことを言いださないんだよね...と。

 地方に暮らす者からすると、「車所有=贅沢」ではなく、「必需品」なんだけどねェ。

 車を運転するのは、想像以上に「神経を使う」ので、一人で何十人もの「命を預かる」大型バスの運転手の神経は、更に疲れて当然のこと。本来、もっと「優遇されるべき」立場だと思う。

 そのへんのこと、多くの人や「お偉い方々」も、もっと理解すべきじゃないのかなァ、と考える昨今であります。

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折り紙の「おサルさん」

2016-01-20 | 日記・エッセイ・コラム

大集合!

             (ある日の「おふじやま教室」にて。)

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「ハナミズキ」の歌詞についての考察

2016-01-13 | 音楽話

 やはり、この歌詞の意味については、難しいのかな? あまり多くのコメントはいただけないようで...。(^^;)

 コメントにも書きましたが、その後の検索で、「一青 窈」さんがどこかで語っていたという内容を書いていた記事に遭遇しました。それによると、亡くなった友人にはお子さんがいて、その子や、その他、テロなどの犠牲になった人や子どもたちのことを思って書いた...とのことです。あと、「テロ」や「報復」の連鎖がいつか「終わって」平穏に暮らせることを願っている...とも。

 実際は、もっと長く、生々しい表現も含まれたそうですが、それを「削って」「削って」ここまで短くしたそうで、だから「わかり難い」箇所も増えてしまったのかもしれないですね。

 その後、「声に出して」読んでみたり、小声で歌ってみたりしたところ、こんな解釈が見えてきました。

 「君」というのは、「ハナミズキの木」=「アメリカ」でもあり、「子ども」でもある。「君と好きな人」とは、「君」=「子ども」と、文字通り、その子の将来の「愛する人」でもあり、もしくは、「僕」の「好きな人」つまり「妻」のこと。

 「百年」というのは、「子ども」から見れば、人が「長生き」した場合の、だいたいの「寿命」をさす。

 「可愛い君のね...」この口調から、家族を置いて先に死んでいく「僕」の、子どもへの愛情が表れている表現である。

 「子どもの目線」を考えると、「ひらり 蝶々を追いかけて」というのが、幼い子の動く様子が浮かんでくるように思える。

 「僕の我慢が いつか実を結び」.....「愛する人」たちを残して「先に逝く」無念さを「我慢」するから、その代わり、「テロ」などの連鎖が、やがて「終わって」、子どもたちが安心して暮らせる状況になって欲しいと願っている...と、こういう意味でしょうかね。

 「白い帆」というのは「白い穂」の掛ことば?で、「白いつぼみ」が「上を向いて」立っているのを「帆」に見立てた...とか?

 ひょっとしたら、「気持ちが重過ぎる」のは、「作者」本人かもしれず、「言いたいこと」がいっぱいあり過ぎて、でもそれを「削ったり」「絞ったり」したから、何となく「難解な」「詩」になってしまったのかも。

 何度も読むうち、何となく「言いたいこと」が「見えてくる」ような、そんな気がしてきました。

 解釈にご協力いただけた皆様、ありがとうございました。m(_ _)m

 写真は、ウチの敷地内にある「ハナミズキ」の今の様子です。この先っぽがふくらんで、「花」になるようですね。

コメント (4)
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「ハナミズキ」の歌詞について

2016-01-11 | 音楽話

 実は、3月始め頃のあるイベントで、3曲ほど「独唱」を披露することになり(以前から、2年に1回開いている行事です。)、その中に、「ハナミズキ」が含まれてます。

 遊びで「ただ歌う」だけならともかく、一応「人前で」歌わせていただくからには、「歌詞の内容」をしっかり吟味しなくては...というのが、「歌を勉強してきた」私の「モットー」であります。(歌を勉強している人なら、あたり前の話ですが。

 実は、以前にもこのブログにて、「さっぱりわからない」歌詞のシリーズとして、「少年時代」と、この「ハナミズキ」を取り上げました。「少年時代」の方は、「単語を並べて、そのイメージを想像する手法」という感じもするから、さほどでないにしても、「ハナミズキ」の方は、かなり「難解」です。

 では、私なりに、「考えて」「分析した」内容を書きますので、ぜひ、皆様の「お知恵」も拝借したく、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

 まず、「君と好きな人が 百年続きますように」というのが、最大の問題。そもそも、この曲は、「一青 窈」さんが、例の「911」事件で亡くなった友人を思って作った歌」だということは知ってます。それにしても、この歌の主人公=「僕」が犠牲になってしまうにしても、「好きな人」と「誰か」が百年続くことを願うなんて、そんな「お人好し」が、いるんだろか? そして、なぜ「百年」なのか? むしろ「永遠に」と書いて「とわに」の方が良いのでは? 

 そこで、あれこれ考えました。そして、閃いたことが。 「空を押し上げて、手を伸ばす君」というのが、「好きな人」だと思ってましたが、(あるいは、「子ども」のことかと。) ここで言う「君」というのが、実は「ハナミズキ」の木そのもののことでは? こう考えると、色々辻褄が合ってきます。

 「ハナミズキの木」=「アメリカ」の象徴(日本から贈った「桜」のお礼に貰った木だから)で、「アメリカの平和」と「好きな人」が「百年続く」ことを祈っている...ってことなのではないか? 「百年」というのは、「千年」や「万年」みたいに「欲かかずに」という意味かとも思ったけど、「ハナミズキ」が日本に来てから「約百年」ということから来ているのでは? ということ。

 次に、「君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように」...これも難解。「夢が終わる」? 「叶う」のが本当では? そして「君のね」の「ね」が邪魔な気もする。「ちゃんと」というのも、「詩」の表現で使うには、不自然では?

 まあ、それはさておき、「夢が終わる」という点。これもよくよく考えた結果、「果てない夢」というのが、「テロなどがない平和な状態が続くこと」と考えると、「終わりますように」というフレーズが生きてくる。

 さて次、「夏は暑過ぎて 僕から気持は重過ぎて」.....この部分は、どうにもわからない。皆様、どうぞヨロシク。

 そして次の、「一緒に渡るには きっと舟が沈んじゃう」というのは、現場に居合わせて、「逃げる」際の話かな? と考えられます。 そうすれば、次に続く「どうぞ行きなさい お先に行きなさい」という歌詞が理解できます。

 「僕の我慢が いつか実を結び 果てない波が ちゃんと 止まりますように」.....ここも「テロなど」が止まって欲しい願いが込められているのかと思われます。

 「ひらり 蝶々を追いかけて 白い帆を上げて」.....これもよくわからない。「蝶々」「白い帆」...ひょっとして、よく云われる「霊魂の象徴」とかの意味ですかね?

 「母の日になれば ミズキの葉おくってください」.....これもわからない。ここで言う「母」とは、亡くなってしまった「僕」の母なのかな? そして、「母の日にハナミズキの葉を贈る」習慣でもあるんだろか?

 「待たなくてもいいよ」 「知らなくてもいいよ」.....「何」を? 「僕」が犠牲になってしまったことを?

 そうそう、飛ばしてしまったけど、最初の「どうか来て欲しい 水際まで来て欲しい」という所も、難解ですが、ネット上の質問コーナーで、どなたかが答えていた内容、亡くなっている「僕」の「霊魂」が、「庭」の近くを流れる「川」或いは「池」などにいて、そこまで「枝を広げてほしい」と願っている...というのが「しっりくる」解釈かと思われます。

 そして、その「僕」の「意志」として「つぼみをあげよう」と思っている.....ということになります。

 こんなところですが、皆様、よろしくお願いします。

 でも、ひょっとしたら、「だいたいの内容」が決まったところで、「曲」の方が完成してしまい、そこに「後から」「言葉を乗せて、繋げていった結果」.....な~んてことも、考えられなくもないですね。

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明けましておめでとうございます。

2016-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

 

 毎度お馴染みの、「大洗海岸・平太郎浜」から見た「初日の出」です。

 ここ15年くらい、毎年見に行ってますが、不思議なくらい「同じ景色」ってのはないですね。「波の様子」「風」「雲のかかり方」.....etc.

 今回は、やはり、水平線に少し雲がかかってて、「完全な」「水離れ」は見えなかったですが、なかなかの「初日の出」の様子だったと思われます。

 ということで、皆様、今年もどうぞヨロシク。

 こちらの写真も、毎年恒例の「粗塩」製の「雪うさぎ」の飾り物です。作るのは「娘」が担当です。

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