実は、3月始め頃のあるイベントで、3曲ほど「独唱」を披露することになり(以前から、2年に1回開いている行事です。)、その中に、「ハナミズキ」が含まれてます。
遊びで「ただ歌う」だけならともかく、一応「人前で」歌わせていただくからには、「歌詞の内容」をしっかり吟味しなくては...というのが、「歌を勉強してきた」私の「モットー」であります。(歌を勉強している人なら、あたり前の話ですが。)
実は、以前にもこのブログにて、「さっぱりわからない」歌詞のシリーズとして、「少年時代」と、この「ハナミズキ」を取り上げました。「少年時代」の方は、「単語を並べて、そのイメージを想像する手法」という感じもするから、さほどでないにしても、「ハナミズキ」の方は、かなり「難解」です。
では、私なりに、「考えて」「分析した」内容を書きますので、ぜひ、皆様の「お知恵」も拝借したく、よろしくお願いいたします。m(_ _)m
まず、「君と好きな人が 百年続きますように」というのが、最大の問題。そもそも、この曲は、「一青 窈」さんが、例の「911」事件で亡くなった友人を思って作った歌」だということは知ってます。それにしても、この歌の主人公=「僕」が犠牲になってしまうにしても、「好きな人」と「誰か」が百年続くことを願うなんて、そんな「お人好し」が、いるんだろか? そして、なぜ「百年」なのか? むしろ「永遠に」と書いて「とわに」の方が良いのでは?
そこで、あれこれ考えました。そして、閃いたことが。 「空を押し上げて、手を伸ばす君」というのが、「好きな人」だと思ってましたが、(あるいは、「子ども」のことかと。) ここで言う「君」というのが、実は「ハナミズキ」の木そのもののことでは? こう考えると、色々辻褄が合ってきます。
「ハナミズキの木」=「アメリカ」の象徴(日本から贈った「桜」のお礼に貰った木だから)で、「アメリカの平和」と「好きな人」が「百年続く」ことを祈っている...ってことなのではないか? 「百年」というのは、「千年」や「万年」みたいに「欲かかずに」という意味かとも思ったけど、「ハナミズキ」が日本に来てから「約百年」ということから来ているのでは? ということ。
次に、「君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように」...これも難解。「夢が終わる」? 「叶う」のが本当では? そして「君のね」の「ね」が邪魔な気もする。「ちゃんと」というのも、「詩」の表現で使うには、不自然では?
まあ、それはさておき、「夢が終わる」という点。これもよくよく考えた結果、「果てない夢」というのが、「テロなどがない平和な状態が続くこと」と考えると、「終わりますように」というフレーズが生きてくる。
さて次、「夏は暑過ぎて 僕から気持は重過ぎて」.....この部分は、どうにもわからない。皆様、どうぞヨロシク。
そして次の、「一緒に渡るには きっと舟が沈んじゃう」というのは、現場に居合わせて、「逃げる」際の話かな? と考えられます。 そうすれば、次に続く「どうぞ行きなさい お先に行きなさい」という歌詞が理解できます。
「僕の我慢が いつか実を結び 果てない波が ちゃんと 止まりますように」.....ここも「テロなど」が止まって欲しい願いが込められているのかと思われます。
「ひらり 蝶々を追いかけて 白い帆を上げて」.....これもよくわからない。「蝶々」「白い帆」...ひょっとして、よく云われる「霊魂の象徴」とかの意味ですかね?
「母の日になれば ミズキの葉おくってください」.....これもわからない。ここで言う「母」とは、亡くなってしまった「僕」の母なのかな? そして、「母の日にハナミズキの葉を贈る」習慣でもあるんだろか?
「待たなくてもいいよ」 「知らなくてもいいよ」.....「何」を? 「僕」が犠牲になってしまったことを?
そうそう、飛ばしてしまったけど、最初の「どうか来て欲しい 水際まで来て欲しい」という所も、難解ですが、ネット上の質問コーナーで、どなたかが答えていた内容、亡くなっている「僕」の「霊魂」が、「庭」の近くを流れる「川」或いは「池」などにいて、そこまで「枝を広げてほしい」と願っている...というのが「しっりくる」解釈かと思われます。
そして、その「僕」の「意志」として「つぼみをあげよう」と思っている.....ということになります。
こんなところですが、皆様、よろしくお願いします。
でも、ひょっとしたら、「だいたいの内容」が決まったところで、「曲」の方が完成してしまい、そこに「後から」「言葉を乗せて、繋げていった結果」.....な~んてことも、考えられなくもないですね。