ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「採血」の話

2023-09-30 | 日記・エッセイ・コラム
(見出しの写真は、記事の内容に関係無く、道端で取ってきた「ススキ🌾」と、花屋で買ってきた「吾亦紅(ワレモコウ)」です。)

 最近の私の記事のタイトルは「〇〇の話」ってのが、増えてますネ。(^^;

 先日、毎年行っている「健診」に行ってきまして、その中に「メニュー?」として入っている「採血」も、当然、行いました。

 実は私、「健診」のメニューの中で、この「採血」が、1番「苦手」なのであります。(・・;)
 別に、「アルコール」でカブれるわけでもなく、採血の後に「気分が悪くなる」わけでもなく、それよりも前に「血が取れない」状況…が大きな理由です。
 思えば、子どもの頃や、若い頃は、特に問題無く採血出来ていたはずなのに、あれは、3人目を出産した後辺りだったか? その頃から、「血管が見え難い」「取り難い」…などと言われることが多くなりました。(・・;)


(「中秋の名月🌕」に向けて、「小豆(あずき)🫘」を煮てみました。^^; )

 その後、徐々に「中年太り」していった傾向と共に、健診の度に「採血に苦労する」ようになり、運が悪い時は「3回、やり直し」なんてこともありました。(*´-`)
 なので、最近は、はじめから「手の甲の血管」から、取ってもらうようにしてました。
 そこは、「痛みを感じ易い」場所でもあるらしく、検査士さんは、「躊躇される」場合が多かったですが、私の場合、あまり「痛みを感じ難い」体質でもあるらしく、特に問題も無かったので、最近はいつも「手の甲から」、取ってもらってました。(^^;

 ところが、数日前に行った健診にて、「採血」のコーナーに来た際、いつものように「とても取り難い状況で、検査士さんにご苦労をかけるので、ここから取ってください。」と、「手の甲」を差し出すと、その検査士さんは、「そうなんですか? でも、一応、別な場所も見てみましょう。」と言ってくれて、「肘の内側」辺りを触ってみてました。そして、「ここから、取れそうな感じなんですけど、一度やってみましょうか?」とおっしゃるので、任せてみることに。

 すると、なんと、久方ぶりに、そこから「すんなりと」採血出来たのであります。(・・;)
 私としては、「感動的な瞬間」でもありました。(°_°)


(「お団子」も出来ました。^ ^)

 これは、どういうことなのか? (°_°)
考えられるのは、「筋トレジム」に、かれこれ「6年以上」通っていること、毎朝「庭パトロール」を行っていること、などが功を奏してか、最近は、体重が減ってきていました。(^_^)
 「筋トレジム」に通い始めた頃から見ると、15〜6kgは落ちてます。
 ってことは、「採血がし難かったわけは、皮下脂肪が原因だった」ってこと、なんですかネ?(^^;

 いずれにしても、長年「苦労していた」採血が、「普通の場所の血管」から出来たことに、感動すら覚えた、私でした。(*´∀`)♪




(「あやめ団子のタレ」と、お供え用の「団子」&「丸いモノ(小ぶりのミカン🍊)」。これで「お月見🎑の準備」は完璧です。^^; )


 


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「彼岸花(ヒガンバナ)」の話

2023-09-25 | 季節便り
 私の「嫁ぎ先」である、ウチの庭は、「昔ながら」の土地のせいか、以前から、「彼岸花」があちこちに出てきます。

 いつもの年は、夏が終わると、いつのまにか咲き出してきて、「ああ、そろそろ’お彼岸’ねェ。」と思うものでした。
 でも、さすがに、今年の夏が「暑過ぎ」で、さらに、9月に入っても、ずっと「30℃超え」だったせいか、彼岸花がなかなか咲かなくて、今年は「お彼岸」には咲かないのか? と思っていると、「彼岸の入り」の日辺りに、ようやく「咲いている」のを見つけました。(^^;



 それも、「チゴザサ」が繁茂して、「覆われている」ような箇所にて、「隠れる」ように現れてきた感じで、むしろ、そんな環境だから、「涼しく」感じられて、出てきた…とも考えられます。(・・;)
 
 その後、いつも「出てくる」場所を確認しても、全く「出てくる」気配が無い。

 「球根が剥き出しに」なっている箇所もあります。




 でも、お彼岸も「中日(秋分の日)」を過ぎて、気温も、幾分「下がってきた」、この頃は、ようやく「芽が出てきた」ような感じが、見られるようになりました。(^.^)


 ところで、「彼岸花」は、別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも言いますよね。^_^
 以前、百恵ちゃんが、「曼珠沙華」というタイトルの歌を歌ってましたが、曲の中で歌っていた歌詞は「マンジューシャカ」だったので、驚きました。(・・;)






  
 そして、以前にも、このブログのネタとして書いているのですが、「声楽曲」や「合唱曲」になっているモノで、その世界?では、割と「ポピュラー」な存在の、北原白秋の詩による曲があります。(^-^)
 それは「曼珠沙華」と書いて「ひがんばな」と読む曲。


 歌詞の内容もそうですが、曲の印象も、ちょっと「オカルトチック?」なイメージで、少し「怖い」印象のある作品ですが、私は、この曲が、けっこう好きで、いつか、どこかで、「上手に歌ってみたい」と思っていたりします。(^^;






 
 調べてみたところ、カテゴリー「音楽話」の中で「2012年10月10日」にも、この曲について、書いているので、興味とお暇のある方は、読んでみてください。(^_^)
 尚、ここに貼ってあるのは、「リンク」ではなく、あくまで「写真」なので、YouTubeなどで「聴く」場合には、ご自分で、検索などをお願い致します。(^_−)−☆



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ロンドンデリーの歌」と「ダニーボーイ」の話

2023-09-18 | 音楽話

(見出しの写真は、記事の内容に関係なく、今朝見つけた「彼岸花」のツボミ。^^;)  

  先日、NHKでやっている「おげんさんと一緒」という「星野源さん」が司会の番組を観ていると、「ロンドンデリーの歌」と「ダニーボーイ」の曲が好き…みたいな話が出てきました。(^.^)


 
 その話を聞いて、「ロンドンデリーの歌」か、次の「うたごえ広場」での「お聞かせ曲」によいかも…と思い、早速、色々と調べてみました。(^-^)

 「ロンドンデリーの歌」の楽譜は、愛用の「愛唱歌集」の中にあり、そこに書いてある「歌詞」のモノが、私にも馴染みのあるモノでした。「津川主一」氏による「訳詩」の歌詞です。

 ♪ 我が子よ〜愛しの汝(なれ)を〜 父君の形見とし〜…♪

 そこで、ふと、末息子が中学校で使っていた「愛唱歌集」の中にもあったような気がして、探してみると、確かにありましたが、歌詞が違ってました。(・・;)
 曲名も「ロンドンデリー エア」となってます。訳詩者の名前は「野上彰」氏。

 ♪ さえずる〜ひばりの声に〜 ふたたび〜春はめぐる〜…♪

 ところで、「おげんさん」も言っていた「ダニーボーイ」って? 
 そこで、色々調べてみると、元々、この曲のメロディは、「アイルランド民謡」の1つで、今や、この地域では「国歌」的な扱いになっている…らしいですね。(・・;)


 「ダニーボーイ」について、私は、実のところ「馴染みがない」もので、調べてみると、イギリスの法律家で作詞家の「フレデリック・エドワード・ウェザリ(1848〜1929)」という方が、1910年に詞を書いて、それにふさわしい「メロディ」が見つからないまま、置いておいたところ、2年後の1912年に、親戚の方が、「ぴったり合うメロディに出会った」と、送ってきた楽譜が「ロンドンデリー エア」だったそうな。(・・;)
 「エア」とは、「歌」の意味だそうなので、「ロンドンデリーの歌」と、同じ曲と考えてよさそうですね。
 そこで、その「F・E・ウェザリ」氏は、書いた詞とメロディが、ピッタリ合うことに気が付き、元の詞を、一部手直しして、このメロディに当てはめたそうな。
 そうして出来た「ダニーボーイ」は、1913年にニューヨークで発行され、まもなく世界に広まったそうです。
 奇しくも、その翌年に「第一次世界大戦」が勃発したそうで、世界中が「戦争の予感に怯えていた」時期でもあったそうです。(「二木紘三」氏の解説より。)

 「ダニーボーイ」の歌詞を、「なかにし礼」氏が訳しているので、一部書き出すと、次の通りです。

 「おお ダニーボーイ 愛しき我が子よ
  いずこに 今日は眠る
  戦に 疲れた体を 休める術はあるか
  おまえに 心を痛めて
  眠れぬ夜を過ごす 老いたる母の胸に
  おお ダニーボーイ 
  おお ダニーボーイ 帰れよ …」


(松の木の切り株に、咲いている「ツユクサ」。(^.^) まるで「花瓶」みたい?)

 「ダニーボーイ」の歌詞も、先に書いた歌詞の内容と、似ている感じなので、私としては、「多くの歌詞で歌われた」と言っても、内容は同じ感じ? と思っていたところ、先日、大学のOBたちで作っている合唱団の練習にて、偶然にも、この「ロンドンデリーの歌」を歌いました。(^^;
 ところが、歌詞の意味が、「全く違う」のです。(・・;)
 「戦に行った息子の帰りを待つ、老いた母の心境」といった表現は全く無く、むしろ、「情熱的なラブソング」といった感じでした。

 訳詩者は、「大木淳夫」「伊藤武雄」両氏による。

 ♪ 我がために 咲きて香りし
  白き りんごの花よ… ♪

 その後、更に調べていくと、この曲に付いていた歌詞は、元々は「ラブソング」だそうで、「近藤玲ニ」氏による、日本語訳詩がある…とのとで、それを見つけました。(^-^)
 その「歌い出し」の詞が、次の通り。

 ♪ 北国の港の町は リンゴの花咲く町
  したわしの 君の面影
  胸に抱き さまよいぬ…♪

 「リンゴの花」という言葉が、何度も出てきたり、「情熱的な内容」もあるので、「合唱曲」用に、「大木&伊藤」氏が書いたのは、この「近藤玲ニ」氏の訳詩が、元になっているように思えますネ。(^_^)


(最近、ウチの庭のあちこちで見かける「ゲンノショウコ」の花。)

 なるほど…と、「ロンドンデリーの歌」について、少しは「わかってきた」感じを覚えていると、昨日、録画しておいた「題名の無い音楽会」を観たところ、ある「アマチュアのサックス🎷奏者」が、オーケストラの伴奏?で、この「ロンドンデリーの歌」を演奏してました。(^。^)
 「メロディだけ」の演奏も、なかなか良いものですね。
 「サックス🎷の音」にも、ピッタリ合う感じがしました。

 さて、次の「うたごえ広場」の「お聞かせコーナー」では、「ロンドンデリーの歌」を、どの歌詞で歌おうかな? ^_−☆


(なぜだか、ウチの庭に「勝手に?」出てきた「タマスダレ」の花。^^; )





コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「心配症」と「健忘症」

2023-09-02 | 日記・エッセイ・コラム
見出しの写真は、「終わりかな〜?」と思うと、まだ頑張って咲いている「スーパーひまわり」。)

  私は元々「心配症」な方だと、自覚してましたが、歳を重ねるにつれ、それが「輪をかけて」?強くなっているように思われる昨今です。(・・;)
 そこに、最近は「健忘症」まで加わっている感じなので、更に「タチが悪い」…。

 実は、これは最近の話です。^_^
 私が主催している、町の公民館講座「うたごえ広場」では、参加している皆さまから「参加費」をいただいて、その中から「会場費」などを支払っております。
 その「運営費」を、袋型ケースに入れて、領収書などもまとめて入れてあり、年度末には、決算書をまとめているのが、毎年の流れとなってます。

(↑の写真は、記事の内容に関係無く、4年ぶりに行われた、町内のお祭りの様子です。(^。^))

 最近の話、気がつけば、「会場費」の支払いが「2ヶ月分」溜まっていたので、早速、役場の窓口まで支払いに行き、その「袋型ケース」を、どこかに入れた…ところまでは憶えてました。
 そして、翌朝?、専用の出納帳に書いておこうと、そのケースを探すも、見当たらない…。(・・;)
 自分が、常日頃「入れそうな」バッグや、買い物の袋を見ても、無い。
 しかたなく、その日、出納帳に付けるのを諦め、果たして「ケース」がどこに行ったのか? 考えてみることに。

 「車の中に置きっぱなし」? とも思って、見に行っても「無い」。そこで私は、色々と不安になって、気持ちも落ち込んできました。(*´-`)
 もしかして、支払いを済ませた後、役場の「記入台」の上にでも、置いてきてしまったとか?


(「和太鼓の演奏」。なかなかの迫力でした。)

 まあ、中に入っている「お金」の金額は、大した額ではないので、万が一「失くした」としても、「弁償」することも「大した話」ではない。でも、入れてある領収書とか、それらが全部「無い」となると、後々面倒なことになりそう…。
 そんな「悶々とした気分」で過ごした1日でしたが、翌日、通っている「筋トレジム」に行こうとして、専用にしているバッグを見ると、その中に、しっかりと、例の「ケース」が入っているでは…。(°_°)

 つまり、こういうことでした。(^-^) 「支払いに行った日」は、出納帳に付けようとした日の「前日」ではなく「前々日」だったわけですね。(^^;
 なので、「ジムの帰り」に、役場に寄り、そのまま「ジム用のバッグ」に入れておいた…という状況だったようです。

 それにしても、「出てきて」良かった。そして、役場に「問い合わせ」の電話をかけなくて、良かった。
 「ヤレヤレ」な結果でしたが、それにしても、自分自身の「健忘症」から「心配症」の症状になり…我ながら「呆れる」出来事でした。♪( ´θ`)


(2つ重なった「ツユクサ」の花。^_^)

コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする