回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

甲州街道を歩く⑦大月~笹子

2019-05-20 14:02:54 | 甲州街道

☆約半年ぶりの更新。PCも新しくしたので勝手がわからず久しぶりのブログ作成にあたふたしています☆

4月28日(日)晴れ

もうすぐ平成も終わろうとするGWを利用して昨年秋以来の街道歩き。
大月駅は殆ど山行きの人々で賑わっていました。
八王子からの中央線は休日は申し合わせたようにリュック姿のハイカーたちの電車になるのが面白い。
来るたびに山に沿う鉄道なのだと実感。



桂川を渡り下花崎の一里塚。


芭蕉の句碑には
「しばらくは 花の上なる 月夜かな」


青空が素晴らしい。星野家の本陣跡を過ぎて神花崎の石仏群。のどか~。


中央道をの高架をくぐって尾曽後峠標識。鎌倉街道の入り口でもあるらしい。


真木橋のあたりはふわっと桃源郷に入り込めるような細道が空の向こうに続いていたり・・。



常に笹子川に寄り添う感じで道は続く。
大きな源氏橋を渡って中央線の左側にでると広大な石切場(採石場)に出くわす。

 その前の道を右に折れて線路沿いに進む。

しばらく歩くと人家が多くなり踏切を渡ると下初狩の宿。 

初狩は山本周五郎の生誕地。 脇本陣跡には石碑が建っている

 

お昼に近くなったので初狩駅近くのコンビニでパンを買い、食べながら歩く。 次に右側に国道からすっと時代をさかのぼる道があり、入ると白野の宿。

  

昔ながらの静かな静かなたたずまい。 宿場の端に子(ね)神社。 参道脇のハナズオウが美しい。


 

白野宿を抜け、ガードをくぐってしばらく行くと稲村神社。 ご神体の杉の木のせいか、境内に深閑とした、しかもすがすがしい気がみなぎる。 男女合体道祖神の像が印象的。 道がかなり上がってきた。

笹子川橋を渡るとどーんと大きい笹一酒造の醸造所。

 

時刻は2時近く。お昼がコンビニパンだったので、ここの食堂で山菜そばを食べる。美味しかった!


もう阿弥陀海道の宿(笹子)まではすぐのところ。 駅の手前の「みどりや」さんで名物の笹子餅を買い求める。

この笹子餅、行く手に峠を控えて力をつけるために作られた。 お餅がしっかりしていて中の餡も甘過ぎず美味しかった。 名物にうまいものあり! 

3時少し前。笹子駅到着。 1時間に一本に電車は行ってしまったばかりなので、ぶらぶらしながら次を待つ。


次回はいよいよ笹子峠越え。 今回の歩行距離、約15㎞。


甲州街道を歩く⑧笹子~駒飼(笹子峠越え)

2019-05-20 10:10:09 | 甲州街道
5月18日(土)~19日(日)晴れときどきくもり

今回の峠越えは、いつも山にお誘いいただくDさん、Bさん、Iさん、女性のRちゃん、の参加を得ました。わたしたち夫婦を加えて総勢6人です。

猛者のDBIトリオはなんと18日朝から大月の岩殿山を登ったばかり。
遅れていくわたしたちとはその18日の夕刻に、初狩の宿で合流ということになりました。
3人がどんなに疲れていることかと案じつつ、宿の部屋を開けると、すでにビール瓶と缶がテーブルにずらり@!

宿は初狩駅すぐそばの「大和屋」さん。
一泊6000円とかなりお安い。食事も簡素ながら山歩き用の我々にはちょうどいい感じ。
女性陣二人は翌日に備えてお酒にも溺れずに就寝。

19日朝、7時51分初狩駅発の中央線で出発。
乾燥した晴天で雲もときどき出て、歩くには絶好の天気。


前回歩いた笹子で降り、そこから20号線を歩き新田の峠入り口からいよいよ峠道へ。
途中の黒野田バス停。


実は今回心配したのは、中山道歩きの時に碓氷峠で猛攻撃を受けたヤマビルの出現でした。
そのためにみんなでいろいろ薬やらガムテープやらストッキングやらを持参。
ドキドキしながら歩をすすめたけれど、けっきょく今回は湿度も低いし、日もうまく射しているのでヒルには一匹も遭遇することなく済みました(^^)!



沢を渡る小さな板の橋などがなかなかスリリング。でもこれはほんの小手調べみたいなもの。

途中、題目碑や三軒茶屋跡などを経て矢立の杉へ向かう。


山の緑は萌え立つようできれいでした。風も最高に気持ちよかった。
両側の切り立った細い尾根道のような斜面は相当にしんどかったけれど。
そんな道を上って見上げると、おお!威厳に満ちた矢立の杉。

写真には収まりにくいので大きなタケノコのように見えるけれど、千年の昔からここに育つという杉の木は根回り14.8メートル、幹周り9メートル、樹高26,5メートル。
そばに杉良太郎の作詩作曲で彼自身が歌っている矢立の杉の歌碑があり、壊れていなければ、ちゃんと3番まで歌が聴ける装置がある。
ここで記念撮影。


矢立の杉を過ぎて車道と旧道に出たり入ったりしながら歩くと、時代の変遷を思わせる旧笹子トンネル。
むかし、旧道の峠道を越えずにすむようにこのトンネルは作られたが、今は新しい道に新しい笹子トンネルにできてその利便性を譲り、今日のような日曜にもごくたまにしかバイクや自転車しか通らない。すでに静かな歴史的遺物の感がある。

旧道の峠道はこの上の道を上るが、珍しいし、わずか200メートルほどなので、向こう側まで歩いて往復してみた。中はライトはいっさいなく真っ暗~。
途中まで行くと向こう側は見えているのに、なかなかたどり着けず、地面の高低の制なのか、自分の体がふわふわと浮遊しておかしな感覚になり、怖くなって思わずRちゃんの腕にしがみつく。

無事に現実世界に舞い戻り、時代を過去に遡って旧道へトンネルの右側からのぼる。
熊が出そうな雰囲気だったので熊鈴をつける。ここで反対側(甲府側)から降りてくるハイカーさんと会う。この峠越えで出会った最初で最後のひとであった。

お昼近く。
笹子から歩いて約2時間半で峠頂上に到着。
(いつも思うけれど峠って道の続きなのであまり頂上感がないのね。)
ここで記念写真。



赤鳥居を右に見て下り、先ほど、分けなく抜けられた甲府側のトンネル出口に降りてくることになる。ここで地べたに座ってお昼。


あとはひたすら下る。
るんるんと思っていたら思わず難関が最後に待っていた。
沢にかかる丸木橋。
朽ち果ててゆらゆらギシギシの80センチ幅ほどの橋。
平均台の苦手なわたしと高所恐怖症のろくさんはびびりました。
Bさんがロープを持って手すり代わりにしてくれなかったら、Dさんが向こう側で手をさしのべて待っていてくれなかったら、・・・。(でもしっかり体型のIさんが渡っても崩れなかったので案外頑丈なのかなあ)
あの辺り管理する方々は是非ともあの橋を架け替えてほしい!


サバイバル体験をたくさんして車道に出たらあとはずんずん下り、わたしの好きな山里の風景。
天狗橋を渡って駒飼の宿に入り込みます。1時半くらいだったかしら。



山道の途中あまりに美しく咲き残っていたヤマブキ。
ペットボトルにさして歩いていましたが、東京まで持って帰れそうもないので、
途中のかわいいお地蔵さんにお供えしてきました。


国道に出てしばらく歩き甲斐大和駅の近くの食堂に入りビールで乾杯!


登山客で混雑の電車でも最後まで座れて、明るいうち5時頃に帰宅しました。
とにかく!今回は頼もしいメンバーのおかげで無事に峠越えがで来て本当によかった。
峠入り口付近で、わんさと吹きかけた竹酢とヤマビルファイターの匂いがまだ靴から立ち上っています(^^)


今回の歩行距離:約12キロメートル
次回は石和までを目標にしています。








甲州街道を歩く⑥ 鳥沢~猿橋~駒橋~大月

2018-10-30 14:12:21 | 甲州街道
10月29日(月)晴れ

昨日の歩きから帰宅して、地図や時刻表など調べていたら、どうも特急の停まる大月まで行ってしまった方がその先が楽そうな気がしてきました。
ちょうど、ろくさんもお休みをとっていたので、それなら!と車で鳥沢まで走って、その先大月まで歩き、電車で2つ戻って鳥沢から帰ってくるという奇抜?なアイデアを実行(^^)!
ちょうどお天気も上々過ぎるくらい。

足の筋肉痛もなし。
今朝はおにぎりを作ってから8時に出発。昨日、さんざん越えた中央高速を飛ばし鳥沢に到着。
またまた鳥沢の駅です(^^)

前回の記事

しかし、駅近辺にはコインパークが全くない。
駅前の和菓子屋さんの店員さんが、上野原役場の支所に聞いたら駐車場に止めさせてくれるかも?と
教えてくれたので、尋ねてみると3時間くらいならいいですよ、と親切にも許可をくださった。ひと安心。
10時少し過ぎから歩きにかかる。

鳥沢は下鳥沢~上鳥沢と合宿。
甲州街道は、中山道と同じように山が多いせいか宿場と宿場の間が短い。ほとんどが一里(4㎞)だが2㎞に満たない区間も多い。
東海道は箱根と鈴鹿以外はほとんど平らなので宿場間が10㎞越えるのはざらであった。

宮谷橋。


今回は国道歩きが多い。
さらに平日なのでトラックが爆風を撒き散らして走りすぎてゆく。
こういうところは街道から逸れても、静かな細道を歩いたりする。
旧道に入り込んでわかりにくい枝道で、まるで見ていたように近くのお姉さんが駆けつけてくれて正しい道を指図してくれたのはありがたかった。


甲州の名所、猿橋に着く。

来週あたり来れば桂川渓谷の紅葉がうつくしく木の橋の周りを縁取ることだろう。


芭蕉の句碑もあるがよく読めない・・。
街道時代からある大黒屋さん(むかしは旅籠、今は料理屋)の前になぜか国定忠治。


猿橋を過ぎてすぐに国道に出て猿橋の宿。
ここから駒橋~大月まではちょこちょこと国道と旧道が交差している。
迷いそうなところで、必ず見ていたように助け船が入るのはどうしてだろう?
猿橋に着く前に、民家の庭を入って超斜面の国道への近道を教えてくれたおばさん、
山梨中央自動車の前の急階段を下る旧道への入り口を教えてくれた役人風のおじさんたち。
こんな階段道、案内がなければ絶対見過ごすところだった。

昨日の藤野から鳥沢まではけっこう標識がきちんとあって楽だったが、本日の道程には全くなくなってしまったので土地の人々のこうした道案内は本当にありがたい。みなさんの顔が道祖神にみえたりする(^^)
駒橋宿に入り旧道はのどかな里の風景が続く。


踏切を渡ると


やがて巨大な岩をズドンと置いたみたいな岩殿山が見え始め、


大月に到着。
人がわらわらと多くなってくる。

大月は昔何度か来たけれど、とても久しぶりで駅そのものや駅前広場が立派になったのに驚く。
ちょうど12時。
作ってきたおにぎりを広げて食べようとしたら12時29分発の電車が来るとアナウンス。
焦るのはいやなので一つだけ食べて乗り込み、鳥沢に戻ってだあれもいない待合所でしっかりとお昼。
昨日と全く同じおにぎりとゆで卵である。

街道歩きは、距離を稼ぎたいので昼食は、店があれば蕎麦屋だが、旧道は食べるところは皆無、コンビニもないのでおにぎりを作ってくるか大きな駅で昼食を仕入れてくるのが賢明。
車をちょうど3時間で取りに行けたのもラッキーであった。

時間があるのでここから車で昨日歩いたアップダウンをトレースしようと試みたが、あの穏やかな桃源郷のような野田尻や鶴川の宿にはなぜか
入ることができなかった。
ほんとうにあれは真昼の夢だったような気さえする。
歩くって素晴らしいです。
あちこちでシュウメイギクが盛りでした。


本日の歩行距離:約8㎞
下諏訪まであと約100㎞。
次回は黒野田(笹子駅)までを予定。>

甲州街道を歩く⑤関野(藤野)~上野原~鶴川~野田尻~犬目~鳥沢

2018-10-30 09:33:41 | 甲州街道
10月28日(日) 晴れ

9時30分。藤野駅から歩き始めました。

前回はこちら
なんと前回は3月@!ずいぶん日にちが過ぎてしまいました。

陣馬山または近くの登山のハイカーやウオークラリーの皆さんで賑わう駅を出て関野宿まではわずかな距離。
白い弁天橋の手前の道を右折し、相模川に沿って歩く。


上野原方面への国道旧道の分かれ目にこんなランドマーク(^^)ウルトラマンの右の旧道を進みます。


このあたりは相模川の渓谷の向こうに丹沢山系、南アルプスが一望できる、実に風光明媚なところで歩いていて気持ちよい。
国道から時々古道の土道に入り込んだりして、親切な標柱に沿って名倉入り口。
相模(神奈川県)と甲斐(山梨県)の境で、相模川に注ぐ境川を渡る。


中央高速道の跨線橋である諏訪橋を渡り疱瘡神社の裏手、民家の裏庭にある塚場の一里塚を越える。
疱瘡神社は街道歩いていると時々見かける。
当時は猛威を振るった疱瘡。なんとか神頼みで厄を祓いたいという土地の人々の願いが伝わってくる。
小休止。


やがて上野原宿の賑やかな町中に入る。
さっそく名物の酒まんじゅう屋さんが目の前に!


つぶしあんと甘味噌まんを買って店の前のベンチでいただく。
できたてふわふわのおまんじゅうからとろりと甘味噌が溶け出して、とても美味しい!
これが街道歩きの楽しみの一つでもあるなあ。

上野原から2㎞弱で鶴川宿へ向かう。
だいぶ山の中に入り込んできた。


昔は川止めの時などかなりの賑わいだったらしい。
宿場に入る前の鶴川橋から眺める風景もまた爽快。

この鶴川も相模川へ注ぐ。




静かな穏やかな鶴川宿を過ぎてまた中央高速の鳶ヶ崎橋を越える。


のどかな大椚一里塚で小休止。太陽が真上に来てもう12時。
暑いけれどあまり汗をかかないのは湿度が低いのと、この小高い峠のてっぺんのような一里塚の地形なのかしらん。

小休憩して次の野田尻宿へ向かう。
今度は新栗原橋という中央高速の跨線橋をこえなけならない。
今回の街道歩きというよりは山歩きの感強し。

その跨線橋への道の左に石碑の建つ小さな休息場所を発見。
中央道を作るときに出土した長峰砦というものがこのあたりにあったという説明板がもある。

武田信玄が、北条市の侵略から甲斐国を防衛するために築いたものらしい。
昔の古道の位置も示されて興味深い。
これは歩いて通らなければ、目にとまらないかもしれない。

新栗原橋を渡り国道からくっと右へ入りこむ道を上る。
両側は切り通しのような石垣。まるで異次元への入り口のようだ。
その入り口の先は静かな野田尻宿。


畑に実る野菜、道ばたの花々、軒近くの柿の木、

のんびりとした人々の会話も穏やかでよい。



野田尻を出ると荻野の一里塚。塚木はエノキでなくマツ。
またまた中央高速をまたいで次宿の犬目なのだが、ちょっと道を間違えて国道歩きになってしまった。
昔の難所「座頭転がし」の手前で旧道に再会。
眼下に中央高速の談合坂のSAが見える。


もう13時を過ぎていたので、すごい斜面の横に立つ神社の石段でお昼とする。
眼前には見渡す限り山々の連続。
コンビニのおにぎりとゆで卵だけれど、外で食べるとどうしてこんなに美味しいのかしら(^^)!


14時。犬目の宿場。


店の中にはおしゃべり好きな土地のおじさんおばさんが何人か談笑していた。
うれしいことに缶ビールも販売!、おつまみにぴったりなシソの実の漬物やゆでた落花生を試食させてくれる。



このあたりは富士山が美しく見える景勝地だが、午後から少し雲が出てきたのでその姿は望めなかった。
近くには甲州一揆の首謀者である犬目兵助の生家跡もある。


ここから君恋温泉(今は閉店)まで登ってゆくとあとは転がった方が早いくらいの一気の下り。
途中は熊の出そうな枯れ葉に埋もれた石畳古道もある。


足の指に負荷がかかる~。
まあ、犬目までずんずんと登ってきたので、仕方がない。


高速の下をくぐりさらに下る下る。


下鳥沢の宿に下り着く。

駅前は近くの扇山からのハイカーたちで賑わっていた。
タイミングよく15時54分の快速東京行きに乗り込み帰宅。


今回の歩行距離:約20㎞。
下諏訪まで約110㎞。(甲州街道は日本橋から下諏訪まで約215㎞)


お伊勢参り2

2018-10-26 13:51:16 | 一泊以上の旅行記
ご無沙汰いたしました。ようやくNewパソコンが起動できるようになりました。
改めてお伊勢参りです。外宮~内宮~鳥羽と旅しました。


・1日目
外宮。
そのものも厳かでよかったけれど、神様が夜な夜な通られたという神路通りをたどって別宮の月夜見宮についたらなんともいえない静かな柔らかい気を感じることができました。


お参りのあとに参道前のお店でいただいた梅ジュースがとても美味しかった。なんせ夏のような暑さだったので。


旅館の送迎バスを待つ間に、宇治山田の駅構内をぶらぶら。


シンプルなレトロな建築が現代にも使用されていて気に入りました。


宿は昔の厚生年金の保養施設を改築した大きな建物で、各部屋露天風呂月、きちんとした浴衣と就寝用の浴衣が両方用意されています。
この頃は、こういう旅館が多くなっているので、山歩きでもなければ、半幅ひとつ鞄に入れて旅するのもいいかもしれません。


・2日目
内宮へ。やはり混み具合が外宮とは違います。特にこの日は秋の神楽祭の行事があり、たくさんの人がくりだしたよう。

内宮は中学校の修学旅行以来で、当時は五十鈴川の美しさだけが強く印象に残っていましたがいまもその流れは変りなく清らか。お参りの前に手を清めます。


思いがけず出くわした神宮舞楽。これを目当てに見える近隣の観光客やカメラマンで、立席確保するだけでも大変++;。


お茶席の公開や能舞台を見ることがてきたのもラッキーでした。


さて、伊勢参りの楽しみでもあるおはらい町。
東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも実は目的は京都ではなく、この伊勢参り。
おはらい町の大混雑に揉まれていると、江戸から、いや全国からどれだけたくさんの人々がお参りにきたのかしら、と当時の伊勢参りフィーバーぶりが想定できます。

名物伊勢うどん、これは東海道歩きのときに亀山で食べ、気に入りました。思えば伊勢と亀山は目と鼻の先なのですね。
懐かしかったです。すだちの入ったさっぱりした「すだちうどん」をいただきました。


お昼を終えて月読宮までバスで行こうとしましたが本日はどこも満員渋滞!暑い中歩いて向かいました。
でも不思議、昨日の月夜見の宮と同じく、境内に入ると通りの渋滞や喧噪も嘘のように静か。なぜか人も少ない。
伊勢の天照大神が華やかに光り輝く太陽の神だとすれば、月の神はたおやかな静かなパワーを放っているのかと思うくらい。


伊勢神宮参りの反省としては小銭をたくさん用意すべきだとということ!途中で硬貨が足りなくなってろくさんとふたりで10円なんて場面もあり(^。^)×)

ここからバスで鳥羽へ。
鳥羽の宿からの海上の月も素晴らしかったし、今回は月に縁があるような旅です.


・3日目
ミキモト真珠島へ。


真珠のできる工程、海女さんの貝採りの実演など興味深く見学。

海女さんはもっと年配の方が多いと思っていたら、なんとまだ十代の娘さんもいてびっくり!一緒に記念写真☆


最後に鳥羽マルシェで地元の産物を品定めして帰路に。ここで駅のベンチの宣伝をみて赤福を食べなかったことに気がついたのでありました@!


おしまい。