ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「ジャニーズ」の話(その7 )

2023-10-30 | 日記・エッセイ・コラム
 記事を、途切れ途切れに書いていたのですが、アップまでに時間がかかったので、「スマホ入力」あるある…の現象で、また、書きかけの記事が「消えて」しまいました。(*´-`)
 なので、「リベンジ」です。(^^;

 書き続けてきた「ジャニーズ」の話シリーズですが、いよいよ今回で「書き終える」ことが出来るかな? というところです。(^.^)

 今から数年前の、ある日のこと。新聞のテレビ番組欄の片隅に、ある映画の宣伝記事が載ってました。
 漫画原作の「銀の匙(さじ)」という作品で、紹介文を読んでみると、「面白そう」だったので、早速、観に行きました。

 主演は、「SexyZone(セクシーゾーン)」の「中島健人」くんで、私としては、そのグループも、本人も、その時初めて、存在を知った状況でした。
 内容は、北海道にある「農業高校」が舞台で、なかなか「面白い」映画でした。(^-^)




 
 その「中島健人」くん(通称「ケンティ」)は、「イケメン」なだけでなく、「ユニークで、親しみ易い」キャラクターのようで、その後、テレビなどにもどんどん出てきて、「ぐるナイ」のレギュラーだったこともありますネ。




 
 調べてみたところ、「SexyZone」のデビューが「2011年」で、「銀の匙」の映画上映が「2014年」だったようです。

 同じ頃、登場してきた「ジャニーズ」のグループでは、「A.B.C-Z(エービーシーズィー)」があり、結成が「2008年」で、CDデビューが「2012年」だったようです。
 このグループについて、私自身は、「馴染みが無い」状況ですが、「アクロバット」を得意とするグループのようです。(^^)



 そして、同じ頃の「2012年」にデビューしたグループが「Snow Man(スノーマン)」。
 このグループに関しても、私はあまり「馴染みが無い」のですが、メンバーの1人で、「朝ドラ」にも出ていた「目黒蓮」さんが、かなり人気のようですネ。(^_^)
 このグループも、「アクロバット・ダンス」を得意としているようです。






 「2015年」に活動を開始したグループが2つ。「King & Prince(キング・アンド・プリンス)」(通称「キンプリ」)と「SixTONES(ストーンズ)」。
 この2つのグループは、調べてみると、どちらも「結成までのエピソード」やら、「命名のエピソード」やら、色々あったようですネ。(^^;

 まず「キンプリ」ですが、初めは「Mr.King」「Mr.Prince」という、「3人ずつ」の、2つのグループだったそうで、その後、なかなか「デビュー」の話が来ないので、メンバーたちが「合わせて6人のチームとして、デビューしたい!」と、社長に直談判したとか?(°_°)
 やがて、「King & Prince」として「6人で」デビューし、かなり活躍していたようですが、メンバーの1人が「体調不良」のために抜けて、その後は「5人」での活動となってましたね。


 
 この中で、私が知っていたのは、何かと、よく出てきた「平野紫耀(ひらのしょう」と「高橋海斗」。
 「高橋海斗」くんは、「ドラゴン桜」に出ていたので、憶えました。(^.^)




 
 この「キンプリ」は、この度の「騒動?」を経て、「若い2人」である「高橋海斗」「永瀬廉」を残して、3人は「タッキーの作った会社」の方に行ってしまったようですネ。♪( ´θ`)



 そして、「SixTONES(ストーンズ)」ですが、「この表記」では「シックストーンズ」なのでは? と思ったら、実は、本来の名前は「シックス・トーンズ」なんだそうですネ。(^^;
 そもそもは、「ド」以外の「6つの音」、それらが「音の6元色」として、「6人の、それぞれの個性が響きあうように…」というような意味合いの命名だそうで。でも、ジャニー社長が、「それでは、長過ぎる!」と、最初の「S」と、残りの音を組み合わせて「ス・トーンズ」→「ストーンズ」という名前になったそうな。



 この中のメンバーでは、朝ドラ「カムカムエブリバディ」にも出ていた「松村北斗」くんが、人気のようですね。


 忘れてました。(^^; この「SixTONES」には、かの「京本政樹」サマのご子息である「京本大我」もいたのでした。





 改めて、「京本親子」について、調べてみると、興味深いことが、色々出てきました。(・・;)
 なんと、京本政樹サマ自身が、若い頃、ある写真がきっかけで、ジャニー社長からスカウトされていたらしいですね。
 でも、その当時、本人は「バンド活動」が面白い時期だったり、「高校に入ったばかり」だったり…の理由で「断った」そうな。(°_°)
 その後、芸能活動を通じて、俳優の「大川橋蔵」氏と知り合い、「弟子」のような存在になり、「時代劇のメイクや所作」などを丁寧に教えてもらい、そのご縁から、やがては「必殺シリーズ」に出るようになり、大ブレイクに繋がったそうな。

 そして、ご子息の「京本大我」氏もまた、家族と行ったハワイにて、ホテルのオーナーと写した写真を見た「ジャニー社長」が、惚れ込んで? 直接「電話してきた」ことがキッカケで、ジャニーズ入りすることになった…らしいです。(^^;

 今は、過去の「性加害」問題で叩かれている「ジャニー喜多川」氏ですが、少年たちの「才能を見つける」能力というか、「センス?」には、ある種の「特殊能力」があったのかも、しれませんネ。^_−☆

 さて、7回に渡って、書き進めてきた「ジャニーズ」の話ですが、これで、一通りのことは、描き尽くした?でしょうか。(^.^)
 50年以上、芸能界を賑わせてくれていた「ジャニーズ軍団」は、この度「社名」も変わり、今後どのようになっていくのか?♪( ´θ`)
 私としては、もうこれで、年末〜年越しにかけての「ジャニーズ、カウントダウンライブ」が観られなくなるのが、寂しいですね。(*´∀`)♪



 





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「ジャニーズ」の話 (その6 )

2023-10-27 | 日記・エッセイ・コラム
 「ジャニーズ」について、書き進めていて、そろそろ「書き尽くしたかな? と思っていると、まだ「大きな存在」を忘れていたことに気付きました。(・・;)

 そうだ! 「タッキー&翼」がいた!




 「木曜の怪談」(1995〜97)というテレビ番組があり、そこに出ていたメンバーの内の2人。私も印象に残ってました。
 その後、その2人が、どんどんと「出てくる」ようになり、やがて「タッキー&翼」(2002〜2018年)としてデビューしたのでした。(^-^)

 特に「タッキー」は、デビュー前も、しはらくは「ジャニーズ・ジュニア」の「リーダー的存在」として、活躍していた印象がありました。

 私が、特に印象に残ったのは、大河ドラマ「義経」(2005年)の、主人公「義経」役に、タッキーが決まって、有名な「屋島の戦い」にて、「那須与一」が、「揺れる舟の上の扇🪭を的に、弓をいる」シーンでは、その「那須与一」役を、「翼くん」が演じてましたね。(*´∀`)♪
 その時、「的🎯である、扇🪭」を持っていたのが、「義経の異父妹」に当たる女性で、その時は、「モー娘。」の「ゴマキ」こと「後藤真希ちゃん」が演じてました。



 「2002年」には、関西ジャニーズとして「関ジャニ∞(エイト)」がデビューしてますね。(^.^)




 元々は「8人」のメンバーだったけど、その後「3人」が抜けて、今は「5人」で活動してますが、このチームは、それぞれ「安定した?」活躍ぶりな感じですよね。
 私は、この中では、「太鼓の達人」のゲームにて、正に「達人」のレベルでもある「大倉くん」が気になりますネ。(^_^*)


 関西ジャニーズの話題が出たついで?に、同じく「関西系」のグループについて調べてみると、「ジャニーズWEST」が「2014年」に、「なにわ男子」が「2018年」にデビューしているんですネ。
 「ジャニーズWEST」は、この度、グループ名を変更して「WEST(ウェスト)」になったそうですが…。





 同じ頃にデビューしたグループについて調べてみると、「2005年」に「Kis-My-Ft2(キスマイフットツー)」がありましたね。(^^)
 私自身は、このグループについて、あまり馴染みが無いのですが、このグループも「ローラースケート」を履いてパフォーマンスをしていたようですね。
 そして、その後、「7人組」の割に、「前列の3人」(玉森裕太、藤ヶ谷大輔、北山宏光)に対して、「後列の4人」(横尾渉、宮田俊哉、二階堂高嗣、千賀健永)が、あまり「目立たない」とのことで、中居くんが、プロデュースして、その4人のメンバーからなる「舞祭組(ブサイク)」というユニットを売り出して?いたようで…。(๑˃̵ᴗ˂̵) (2013年〜)




 ウチの娘の話では、長年「ヒップとホップ系」のダンスをやっていて、イベントの1つに「舞祭(まいまつり)」というのがあるので、「ブサイク」というユニット名に、その「漢字」は使わないで欲しい! と、憤慨しておりました。(๑˃̵ᴗ˂̵)

 では、またまた長くなってきたので、この辺で。(続く)




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「ジャニーズ」の話 (その5)

2023-10-20 | 日記・エッセイ・コラム
 「ジャニーズ」の話を、軽い気持ちで書き始めてみたものの、考えてみれば、「1970年代」〜、今に至る「2020年代」まで、悠に50年の歳月が経っているわけで、そう簡単に「書き尽くす」ことは出来ないことに、今さらながら気付いた私です。(^^;
 でも、せっかく書き始めたので、私が「個人的に」見てきた感想を交えて、あとは「調べながら」思う事などを書いてみようと思います。(^.^)

 今回書いた記事を、時系列的に見てみると、「その1」が1970年代、「その2」が1980年代前半、「その3」が1980年代後半、「その4」が1990年代、ということになってますね。(^-^)
 今回の「その5」は、1990年代の終わり頃〜2000年代にかけての話、ということになります。

 1999年に「嵐」がデビューすると、グループとしては、「’嵐’の天下」のような雰囲気になっていったような感じでしたね。(^^)
 もちろん、「SMAP」も「TOKIO」も「V6」も、勢いは落ちていなかったと思いますが。


 そんな中、「ジャニーズ」にしては「異色」というか? グループには所属せず、「俳優」として活躍する人たちも登場しました。(・・;)
 その1人が、今は「’ディズニー’好きのタレント」としても有名な?「風間俊介」。(^.^)


 
 彼が登場したのは、「金八先生」の第5シリーズ(1999〜2000年)で、「優等生の顔をした悪い子?」みたいな、二面性のある複雑な役を、見事に演じたのが、今も印象に残ってます。
 その後、彼は、「遊戯王」というアニメの主役の声を担当する「声優」としても活躍していたようです。(2000年〜)


 調べてみると、ジブリ映画「コクリコ坂から」にも「生徒会長」役で出ていたようですネ。(^-^)


 そして、もう1人は「生田斗真」。彼は、「子役」としても活躍していたようで、私が強く印象に残っているのは、夕方NHKの教育テレビでやっていた「天才てれびくん」にレギュラー出演していた姿ですね。(^.^)




 
 調べてみると、彼の母親が「SMAP」のファンで、「SMAPに会えるかも?」との思いで、事務所に書類を送り、その後、オーディションに受かり、「11歳」の時に「ジャニーズ事務所」所属となったそうです。
 彼のデビューは、NHKの朝ドラ「あぐり」(1997)での「子役」だったようです。



 その後、登場したグループの話となると、私も「怪しく?」なってくるので、今回、調べたことを書いてみます。(^^;

 2001年〜「KAT-TUN(カトゥーン)」。ここには「亀梨和也」「上田竜也」たち6名が所属してましたが、その後、「色々」あって、今のメンバーは「3名」となってますね。(°_°)




 
 このグループは、「脱退」したり「逮捕者」が出たりで、側から見ていても「お気の毒」と感じるグループですよね。(*´-`)


 
 そして、2003年〜「NEWS(ニュース)」というグループが。(^^)
 このグループも、結成当初は「9人」のメンバーだったのが、脱退したり、独立したりして、やがて「4人」となり、その後、その中の1人が「やらかした?」ため、更に脱退し、今は「3人」で活動しているようですネ。(^^;




 
 この「NEWS」の中には、最初の頃、「森進一」「森昌子」元ご夫妻の息子である「森内貴寛」がいて、すぐに脱退されてますが、今では、ロックバンド「ONE OK ROCK(ワンオクロック)」のボーカル「TaKa(タカ)」として、活躍されてるようですネ。(^.^)


 
 「NEWS」の、残ったメンバーの1人「増田貴久」くんは、「金八先生」の第6シリーズ(2001年)、「性同一性障害」問題を採りあげて、「上戸彩」が大活躍した時に、「自転車🚲大好き少年」の役で出てましたね。^_^
 そして、今では、「ぐるナイ」の中の「ムードメーカー」としても、活躍しているようです。(^-^)


 
 そうそう、残ったメンバーの1人でもある「加藤成亮(しげあき)」くんも、同じシリーズの「金八先生」に、「正統派な優等生」役で、出てましたネ。(^^)
 彼はその後、「加藤シゲアキ」として、小説家デビューもしてるから、凄いものです。(・・;)

 この「NEWS」の初期メンバーだった「山下智久」と、「KAT-TUN」のメンバー「亀梨和也」の2人が、ドラマ「野ブタ。をプロデュース(2005年)」の中で生まれた?ユニットとして歌った「青春アミーゴ」が、大ヒットして、評判になりましたネ。(^。^)

 では、今回はこの辺で。(続く)



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「ジャニーズ」の話 (その4 )

2023-10-18 | 日記・エッセイ・コラム
 テレビニュースなどの話題によると、いよいよ「ジャニーズ」という名称は、一昨日が最後だったそうですネ。(・・;)

 さて、私が書いている「ジャニーズの話」の続きですが、我々家族が、ドイツから帰国してみると、世の中?は、「キムタク」「SMAP」の話題で持ちきり…といった雰囲気になってました。(°_°)

 まあ、「ジャニーズ」ばかりが人気だったわけでもなく、「子どもたち」の世界だと、「セーラームーン」「クレヨンしんちゃん」「アンパンマン」などの人気も盛んだったかと。(^.^)

 その後、「阪神淡路大震災」や「地下鉄サリン事件」などが起こり、それらの「復興支援」などに、若手の芸能人たちも「ライブ」などで協力したりして、その流れもあり、ジャニーズ人気が高まっていった…ように思います。

 やがて、「キムタク」主演のドラマが、次々と大ヒットし、更に「スマスマ」などのバラエティ番組も始まり、益々「人気が爆発した?」ように感じます。(^-^)









 


 この頃には、「TOKIO」が「鉄腕ダッシュ」、「V6」が「学校へ行こう」など、それぞれ、特徴的なバラエティ番組も担当していて、今まで通りの「歌って踊って芝居して」というジャンル、以外の事に「手を出した」のが、ユニークですよね。(^-^)






 
 この頃出てきた「ジャニーズ」のグループの中では、私は「V6」のファンでした。(^.^) まあ、「キムタク」主演のドラマ「ロンバケ」も、「スマスマ」も楽しんで観てましたが、「V6」のメンバーは、性格も良さそうで、「学校へ行こう」を観ていても、好印象でしたね。
 その頃出した「WAになっておどろう!」という曲は、当時、小中学校の運動会では、ダンスの定番曲として、全国的に使われてました。(^。^)

 デビュー当時は、まだ「中学生」だった…という「岡田くん」は、その後、数々のドラマや映画の主役を張る役者としても、有名な存在になったし、リーダーの「坂本くん」は、デビューに至るまで、「苦労した」経歴があるそうで、でも、その後は、「歌が上手い」ので、「ミュージカル」や「舞台」で、活躍されてるようですネ。






 森田剛くんが、NHK大河ドラマ「毛利元就」にて、主人公の少年時代を演じていたのが、印象的でした。(^.^)
 彼は、今回の「ジャニーズ騒動?」の前に、「宮沢りえ」さんとご結婚されて、一足早く?事務所を辞められてるけど、今考えれば「正解」だったかも。(๑˃̵ᴗ˂̵)


 今回の騒動にて、「イノッチ」こと「井ノ原快彦」くんは、会見にも出ていて、なんだか「矢面に立たされてる」感じで、私などは「お気の毒」に感じてしまいますが、元々彼は、とても「感じの良い方」だと思われ、NHKの番組「あさイチ」で、長くパーソナリティを務めていたのが印象的でした。♪( ´θ`)


 そういえば、その「イノッチ」の奥さまが「瀬戸朝香」で、「岡田くん」が「宮崎あおい」、そして「長野くん」のお相手は、「茨城県常陸大宮市」ご出身の「白石美帆」さんなんですよね。




 お相手が「有名女優さんたち」が多いのも、特徴的かと。^_−☆

 では、またまた長くなってきたので、このへんで。(^^; (続く)









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「ジャニーズ」の話 (その3 )

2023-10-15 | 日記・エッセイ・コラム

 あれは、私が就職して、数年経った頃、私の勤務先は「中学校」だったため、女の子たちは、当時人気だったアイドルたちの話に、よく花を咲かせていました。(^.^)
 その頃の、1番人気?だったのが「光GENJI」。ローラースケート🛼を履いて、歌って踊って…というのが特徴のグループでした。
 私も、生徒たちから、コレクションした写真を見せてもらいながら、ずいぶん「説明」を聞かされた?ものです。(^^;




 やがて、「少年隊」というグループが出てきて、コチラも、かなり大活躍していたような?(^-^)
 当時の私は「錦織くん」がカッコいい! なんて思ってましたが、仲の良い同僚は「やはり、’ヒガシ’でしょう!」と語ってましたネ。






 その後にデビューしたグループの、年代を調べてみると、「SMAP」の結成が「1988年」で、CDデビューが「1991年」。「TOKIO」のデビューが「1990年」、「KinKi Kids(キンキキッズ)」のデビューが「1993年」、「V6」が「1995年」〜、「嵐」に至っては、「1999年」〜なんですネ。(・・;)





 私の個人的な話ですが、実は、夫の仕事の関係で、1992年〜93年にかけて、ドイツ🇩🇪に滞在していました。(^^)
 その準備をしていた頃、盛んに、テレビから「’光GENJI’や’SMAP’など、が大集合!」という話が流れてきました。たぶん、何かのイベントの宣伝のようでしたが、私としては、「光GENJI」は知ってるけど、「SMAP」って? と、不思議に思ったものでした。

 やがて、ドイツ滞在中に、子どもたちのために、NHKの子ども番組を、1週間分くらい録画して持って行った中に、「みんなの歌」があり、その中に「ベストフレンド」という曲が入っていて、それを歌っていたのが「SMAP」でした。(^ ^)
 なかなか「爽やかな」歌声で、私としては「好印象」を覚えました。
 その後の「ドイツ滞在中」は、全くもって、日本の、そういう「芸能界」の話題などからは「遮断された」ような環境だったし、むしろ「日本語」すら「目にしない」ような感じで過ごしてました。(・・;)

 「日本の活字」が懐かしくて、夫の同僚が、読み終えた「週刊ポスト」などを、荷物と一緒に送ってくれたのを、日本にいる時には、読んだこともない種類の週刊誌なのに、「貪り読んだり」してましたね。(^^;
 義母が、乾物などを送ってくれる際に、包むのに使った「新聞紙」の文字も、貪るように読んだり…。

 あ、話が逸れました。(^^; やがて、帰国してみると、日本全体が?「SMAP」人気で盛り上がっていて、驚きました。(°_°)

 私の母も、「最近やってる’あすなろ白書」というドラマが、とても良くて…。」と話していて、それもキッカケとなり?、「キムタク」人気が上昇していた時期だったようでした。(*´∀`)♪



 また、長くなってきたので、この辺で。^_^ (続く)

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「ジャニーズ」の話 (その2 )

2023-10-14 | 日記・エッセイ・コラム

 その後、「ジャニーズ」関連のタレントで、大きく話題に上がってきたのが、確か「たのきんトリオ」だったと思います。(^^)
 あれは、私が「大学生」になった秋の頃だったかな? 近所の人に頼まれて、当時「中3」だった後輩の、「家庭教師」のバイトに、夏休み頃から行っていたもので、その「中3」の子から、中学校での話題などを、よく聞くようになってました。(^^;
 その頃の話題のトップが、ドラマ「金八先生」でした。(^。^) 実際に「同じ、現役の中3」ってことで、余計に「親近感」を覚えながら、観ていたようでした。

 その時に活躍していた「悪ガキ3人組」的な存在で、演じていたのが、その後「たのきんトリオ」と呼ばれるようになった、「ジャニーズ」の中の3人組、「田原俊彦」「野村義男」「近藤真彦」でした。

 その後、「トシちゃん」こと「田原俊彦」と、「マッチ」こと「近藤真彦」は、歌手としてもデビューし、かなりのヒット曲を飛ばしましたネ。(^-^)




 
 この3人の中では、「ヨッちゃん」こと「野村義男」だけが、「歌手として」はデビューしていないようですが、その後は「ギタリスト」として活躍して、「浜崎あゆみ」のバンドとしても、頑張っていたようですネ。(^.^)



 
 その後、「シブがき隊」が出てきた…と思うので、少し調べてみると、彼らは「金八先生」の後のシリーズ、「2年B組仙八先生」の中で、やはり「悪ガキ3人組」の位置付け?で出ていた3人組が、やがて「シブがき隊」として売り出した…という流れだったようですネ。(^^;







 それにしても、「3年B組・金八先生」の後、「1年B組・新八先生」というのがあり、その後、「2年B組・仙八先生」と続き、その後「3年B組・貫八先生」というのまであったとは…。(・・;)
 とは言っても、私が憶えているのは「仙八先生」までですね。(^^;

 その「仙八先生」に出ていたのが、「シブがき隊」の3人、ということのようで…。
 ドラマでは、その後、「金八先生」が、シリーズ物として、何回も登場したので、すっかり「金八先生」のことばかりが、印象に残ってますが、よく考えると、あのドラマも、最初は、「単なる、学園ドラマ」の1つ…だったわけですよね。(^-^)

 また「長く」なってきたので、このへんで。(^-^) (続く)



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「ジャニーズ」の話 (その1 )

2023-10-12 | 日記・エッセイ・コラム
 ここ最近は、テレビでもネットでも、何かと言うと「ジャニーズ」の話題でいっぱいですが、「ジャニーズ」に関する、私の思い出話を、書いてみようと思います。(^^)

 私はかつて、「フォーリーブス」のファンでした。(^.^) あれは、小学校高学年になったばかりの頃かな? テレビの歌番組にて、4人のお兄さん方が、歌って踊って、その「爽やかなイメージ」が、「とても素敵!」と思ったものでした。


 年齢も、自分と比較的「近く」で、何となく「身近な存在」的な感覚も、覚えていたのかもしれません。


 
 私とは、「一回り以上、歳の離れている」義姉に話すと、「ああ、’ジャニーズ’の弟分ね?」との話でした。(^-^)
 「ジャニーズ」? (・・;) 私はその時、「ジャニーズ」という名前を、初めて聞きました。

 調べてみると、当時、既に「俳優」として活躍されていた「あおい輝彦」さんたちが、所属していたグループのようで、そういえば、以前、テレビで見たことがあったのを、薄らと思い出しました。(^^;




 その「ジャニーズ」が、既に解散していて、その「弟分」的な存在として、結成されたのが「フォーリーブス」…ということのようでした。(^^)
 それにしても、「…ブス」? (*_*) 子どもだった私は、何で最後に「ブス」とつくのか? 疑問でしたが、その後分かったことは「フォー」=「4」、「リーブ」=「葉っぱ🌱」、「ス」=「複数形」…つまり「4枚の葉っぱ🌱」という意味と分かり、納得したものでした。(^^;

 彼らが、「地球はひとつ」「ブルドッグ」などのヒット曲を飛ばし、テレビの歌番組などで「毎日」見るようになった頃、「フォーリーブス」の4人に続く「5人目?」的な存在として、「郷ひろみ」がデビューしてきて、その後、どんどんと人気が出て、凄いことになっていきました。


 「郷ひろみ」がデビューして、その頃、活躍し出した、同年代の「野口五郎」「西城秀樹」と共に「新御三家」と呼ばれるようになりましたが、実は私は、その中では「野口五郎」のファンでした。(^^;


 今回、この記事を書くにあたり、「郷ひろみ」について、少し調べてみたところ、彼のデビューのキッカケは、「知人が応募した」という、ある映画のオーディションに行き、それには「落ちた」ものの、その会場にいた「ジャニー喜多川」氏にスカウトされた…ということでした。(・・;)

 やがて、ある地方での「フォーリーブス」のステージにて、「フォーリーブス」に続く「5人目」として紹介されると、会場のファンたちが、「ゴー! ゴー! ヒロミ!」との声援を送ったので、その流れで、芸名も「郷ひろみ」となり、「5人目」の意味合いもある…とのことのようです。(^-^)

 その後、「郷ひろみ」の人気が上昇してきて、気が付けば、所属が「ジャニーズ事務所」ではなくなっていましたが、今回、調べてみてわかったことは、「学業を続けられなかった事」に、「郷ひろみ」本人が不満を訴え、「ジャニー喜多川」氏が、病気療養中に、別の事務所に移籍してしまったようですネ。(・・;)
 その際は、「渡辺プロ」「田辺エージェンシー」など、その世界では「有力な?」社長さんたちが動いて、「メリー喜多川」氏との交渉に当たってくれたようで…。

 記事によると、「郷ひろみ」の去った事務所は、経済面でも、かなり大変だった…とか。(๑˃̵ᴗ˂̵)

 ところで、「あおい輝彦」氏の名前を聞くと、やはり印象深いのは、何といっても「水戸黄門」の「助さん」「角さん」役を演じていたことですね。(^^; (どちらだったか? 忘れてしまった…。)





 その「水戸黄門」すら、同じく「助さん・角さん」役だった「里見浩太朗」氏が、「水戸黄門」役を演じるようになり、その後は、「水戸黄門」の時代劇も、テレビで見かけなくなり…。
 「時代の流れ」とはいえ、やはり寂しいモノがありますネ。♪( ´θ`)

 あと、「フォーリーブス」の話ですが、彼らは、それぞれ「ター坊」「マー坊」「トシ坊」「コーチャン」と呼ばれていて、その中の「トシ坊」ですが、実は、その前に「人気番組」だった「マグマ大使」に、「少年役」として出ていた人だったと、後から分かり、驚いたものです。(・・;)

 長くなってきたので、ひとまずこの辺で。(^^; (続く)

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イネ科の雑草「A」「B」「C」「D」

2023-10-07 | 自由研究
(見出しの写真は、ここんとこ「花盛り」となっている「彼岸花」。^_^ )

 ここ数年、日課となっている「庭パトロール」ですが、そのついでに、軽く「取れる」雑草を抜く作業もしています。
 優先的に取るのは、「抜き易いモノ」「すぐに、背が高くなるモノ」「繁殖力の強いモノ」ですね。(・・;)
 特に、「見つけ次第」に取っているのは、真冬以外、ほぼ「いつでも」出てきては、油断すると「天まで登ってしまう?」勢いのある「ヤブガラシ」。別名「ビンボウカズラ」。これは、「ブドウ科」の植物らしいです。


 (「ヤブガラシ」別名「ビンボウカズラ」。)

 そして、今年の春頃は、ブロック塀の際にズラッと生えてきて、背も高くなりがちな「ドクダミ」を撤去したところ、グッと「スッキリした」感じがしたので、「塀の際」に出てきた雑草を、とにかく「撤去」することに努めました。(^^;
 これだけでも、かなり「イメージが違う」ので、この方法は、これからも続けて行こうと思っております。(^.^)

 同じく「春頃」、暖かくなると、次々と生えてくる雑草たちですが、「出始めの姿」だけでは、何なのか? よくわからない状況で、とりあえず「イネ科」の雑草だとは思われたので、勝手に「イネ科A」「イネ科B」などと、命名しておりました。(๑˃̵ᴗ˂̵) 
 「葉っぱ」の形や、「根っこの強さ」などの特徴から「イネ科C」「イネ科D」まで、登場?しました。

 その後、それらが成長してきて、正しい種類が判明してきました。(^.^)
 たぶん、「イネ科B」が「エノコログサ」で「イネ科C」が「メヒシバ」かと。


(「エノコログサ」別名「ネコジャラシ」。)


 
 やがて、「イネ科D」も判明してきました。たぶん「オヒシバ」。


 
 「オヒシバ」と「メヒシバ」は、「穂先の形」が、よく似てますが、「オヒシバ」の方が、「太くてしっかり」している感じですね。(^.^)
 あと、「葉っぱの生え方」が違っていて、「メヒシバ」は、「地面を這う」ように出てきて、全体に「柔らかい」感じです。それに対して、「オヒシバ」は、茎も根っこも「強く、しっかりして」いて、「抜く」のには「力」が必要です。(・・;)

 でも、「イネ科A」だけは、なかなか名前がわかりませんでした。(*´-`)
 とにかく「根っこ」が強くて、ちょっと引っ張ったくらいでは、なかなか抜けない。
 その後、「形」がはっきりしてくると、ここ数年、ウチの庭のあちこちに出てきて、撤去せずに、数年経ってしまうと、「株」が大きくなってしまい、昨年の冬だったか、大きなスコップを使って、ようやく撤去したものです。


 その植物の写真を、Facebookに載せて、「名前を知ってる方、教えて」と、尋ねてみても、「誰も知らない」らしく、ずっと不明のままでした。
 でも、「Googleレンズ」で検索してみた結果、ようやく判明しました。(°_°)

 その名は「ネズミノオ」。





 
 今回、ようやく名前が判明した「イネ科A」こと「ネズミノオ」ですが、とにかく「繁殖力」が強く、そのくせ、葉っぱは柔らかく、大型のハサミでは、切れなくて、「根っこ」が、「土」や「砕石」などを「咥え込む」感じで「しっかりと」張っているので、引っ張っても、おそらく「人間の力」では、抜けません。(・・;)

 とりあえず、今は、葉っぱの部分を握って、握りバサミで切って、草丈を短くしてます。(^^; そして、その後、スコップで、根っこの部分を撤去しようかと…。 

 とにかく、ここ数年、ずっと不明だった植物の名前が判明して、スッキリした気分です。(^_^)


(これは、庭に「勝手に」出てきた「ノアサガオ」の花。^_^ )







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