「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の⑤

2016年06月28日 22時38分50秒 | 街創り
「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の⑤



「Core」と云う広報誌。

企画室が開店に先立ち発刊した。
編集長・用田貞夫、ディレクター・増山正巳、ライター・永井寿子、写真・田沢純。




編集長・用田貞夫さん。




創刊号に登場したチャリンコの人。




その後、水戸市の市会議員になった、水越郁子さん。



水戸市長となった、佐川一信さん。
その後の水戸市長とは格が違う。
佐川さんが存命なら、今の新水戸市民計画はないだろう。




ロックな人・ブルース命



この様な箱に入れられ、無料で配布されたタブロイド紙。




時代も良かったのか、今とは格段に違う賑わい。

時代が違うと云えばそれまでだが、20代・30代が活躍していた。


●長谷川 裕久さん
ここは世代的にど真ん中だったので、サウスコアでは絵画のグループ展もやったし、演劇公演もやったし、バンドもやったというとても濃い記憶が。
●大貫 博之さん
美大受験時代は 画材を買いに良く行きました。
●木村 理恵さん 私の高校時代の聖地です。
●Yuko Miyanagaさん
お正月の初売りですごい行列でした。入り口から歩道橋へと並んで中央郵便局の方まで続いていたような......。
●Oyabu Yasuko さん
映画をよく観ました(*^^*)
大好きなソフィー・マルソーのラ・ブームを観たのはここだったような(多分)
●小鹿 拓良 いろいろ、思い出がありますよ。なんだか寂しいですよね。

●Noriko Nakamura さん。
高校生の時、土曜日の放課後と日曜日にサントピアのPAGE BOYでバイトしていたよ。昭和天皇が崩御された日もバイトだったのを覚えてる。
DCブランド全盛期で、もらったバイト代、みんなお洋服代につぎ込んでた。
バイト先のお姉さん方に、いろいろ遊びに連れて行ってもらったなぁ。休憩時間には、上のライブハウスの階の喫茶店でピカタ定食とか食べたなぁ。かねちゃんとはよくイタトマで大っきなケーキ食べてたなぁ。すっごく懐かしいよ。
バーゲン(当時はセールじゃなくて)初日は、みんな学校サボって並んでたりしてたよね〜。私も安全靴履いてたよ(^^)

●桧山恵美さん 
新聞の折込広告がとにかくスタイリッシュで、憧れていた中学生の私は、大学ノートの表紙にグラビア面を表にして貼り付け、自作ノートを作っていました。ずっと憧れていたビルを初めて訪れた時は、完全にお上りさんでしたが「ここがあのオシャレな広告のビルか!」と大変感動しました。

●小林 美樹さん
2FのBASSOという お店で店長をしていた頃が懐かしいなぁ〜
4Fの「ジャック&ベティ」でランチしたっけ…(遠い目)

●松原 容子 さん
サントピア。そこで買ったブーツ、まだ履いていたりします。

●中島 雄介さん.
過去を振り返り、考えることはネガティヴじゃなくて、ポジティブな事だと思うよ。僕自身、自分が産まれる前のカルチャーからいろいろ学んだ。ファッションと地域のアンダーグラウンドカルチャー、なんて物に興味ある若い人、是非読んで頂きたいです。また、皆さんのご両親から思い出話を聞くってのも良いですね。

●大縄 信三
昔話なんだねぇ、サントピアも

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山形戦は2-2の引き分けでしたが。@NDソフトスタジアム山形

2016年06月27日 23時12分41秒 | 水戸ホーリーホック
山形戦は2-2の引き分けでしたが。@NDソフトスタジアム山形



6月26日、天童市のNDソフトスタジアム山形で開催された水戸ホーリーホック対モンテディオ山形戦。

応援バスツアーに初めての参加。
茨交鯉渕営業所を出発したバスは、泉町1丁目バス停10:55発、水戸駅北口・勝田営業所などを経由し日立南ICから高速に、安達太良SA~山形北ICで降り「山形県総合運動公園」の駐車場に。
6000台収容と云うだけに広大だ。



街角には大きな看板も。









「山形県総合運動公園」は茨城県の「笠松運動公園」と似たような施設だが、運動公園としてのコンセプトが大幅に異なる様に思えた。
中央にイベント広場が在り「運動を通して集う空間」が強く感じられる。

水戸の「ケーズスタジアム」の拡張に際しても、その辺りは十分に考えてほしい。






「芋煮」の伝統のある山形ならでは、試合前の広場は仲間同士の宴会状態。



スタジアムグルメの店も多い。


前半の23分・24分と得点したから勝ちを信じたが。
攻勢ながら3点目が入らない、11分に1点失ったが、未だ大丈夫。
後半39分に同点とされてしまい、引き分けとなった。

勝負は時の運、悔いてもしょうがない。

Jリーグの理念の一つは都市間の交流と親善。



モンテディオ山形広報 ‏@monte_prstaff ·
16年前、J初対戦の時、ここ山形で雪の中わずか5人ほどでの応援。今はサイドスタンドを埋めるサポーター。水戸サポーターの皆様の大きな進化に感動しました。心から敬意を表します。


モンテディオ山形広報 ‏@monte_prstaff ·
試合前、水戸サポーターの皆様に歩み寄り挨拶をしたのは鈴木雄斗選手。
プロ生活を始めたクラブ、そして4年在籍の間に支えてくれたサポーターへの絆を大切に考えている姿が印象的でした。


モンテディオ山形広報 ‏@monte_prstaff ·
ロメロ・フランク選手、萬代宏樹選手が再びNDスタへ。試合後、山形サポーターとの惜しみない交流。山形を離れても、二人が紡いだ絆はこれからも残り続けます。


帰途のバスは。
20:30にスタジアムを出発。
山形のサポーターから差し入れの合った大量の「佐藤錦」を食べ、安達太良SAで土産を買い、水戸駅北口1:20、泉町1丁目1:25。
勝ちゲームなら足取りも強く玄関到着の訳だったが。

7月3日(日)のホームゲーム、3位の松本山雅FC戦。
1試合の観客動員数が13000人とJ1並みで、水戸は5900人だ。
松本山雅のサポーターが大挙襲来することが予想される。
水戸も負けずに応援し、勝ち点を挙げたい。

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長勝寺 @潮来市潮来428

2016年06月26日 07時11分36秒 | 
長勝寺 @潮来市潮来428



茅葺の屋根が独特の形を持つ潮来の長勝寺を訪ねるのは長い間の夢だった。
潮来までは1時間も有れば行けるのに、縁が無かったのだ。

「Tabi-ぶら」で「潮来の初夏の一日」(平成28年6月25日)の企画に急遽参加することに、この会の楽しさに嵌って3回連続で参加することが出来た。

この日は、西蓮寺~二本松寺~大生神社・延命院~アヤメ園と巡ってのファイナルステージだったが、しめくくりにふさわしいお寺さんであった。



長勝寺山門
アヤメ園からほぼ直線の参道を歩むと、この山門に。




楼門
禅宗様式で、山門から本堂まで直線に伽藍が配置されている。




本堂
念願であった茅葺の本堂にご対面。
奇妙な造形、独特の屋根の形だ。

軒下から眺めれば茅の厚さが良く判る。
部分的に茅が薄くなってしまったところもあり、早急な対策が必要だが、文化財の補修は、簡単にはゆかないらしい。



国指定文化財の銅鐘がつられている鐘楼。

本堂に入り諸仏に参詣し、本尊の阿弥陀如来及び両脇侍像・大迦葉立像等について和尚さん、山本さんより説明を受けた。

和尚さんは如何にも禅宗の僧、軽妙洒脱な話で、仏教や仏像について話された。
説教がましくなく、淡々としかもユーモアをそえて。








水戸光圀も御成りの書院で抹茶を頂く。
元禄年間から約300年、幕末の騒乱に巻き込まれ、第二次大戦の空襲にも合わず、東日本大震災にも耐えた本堂・庫裡・書院。

歴史ある庭園は見事。



和尚さんの孫娘さんまで、家族的な接待を受けた。(江原 広美さん撮影)




抹茶を戴いたのち、再度、和尚さん登場。
幕末の騒乱に巻き込まれた話から、戦後の一時期は小学校の教室代わりに使用された話など、次の世代に伝えたい貴重な話を御伺いした。



歴史ある建物で戴くお茶と、ゆったりと過ごした時間はこの日の白眉。
小雨のぱらつき程度で天候にも恵まれ、充実した旅でした。

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水戸ホーリーホック オフィシャル応援ツアーで山形に

2016年06月24日 22時31分53秒 | 水戸ホーリーホック
水戸ホーリーホック オフィシャル応援ツアーで山形に



水戸ホーリーホックは直近5試合勝ち切れないで18位。
6月26日のモンテディオ山形戦は結果が求められる一戦だ。

山形は現在12位とはいえ昨年はJ1、ましてやホームだ。
ロメロフランクが古巣相手に活躍する姿を見たい。



◎キックオフ:18:00  ◎試合会場:NDソフトスタジアム山形(天童市)
茨城交通の「水戸ホーリーホック オフィシャル応援ツアー」を申し込んだ。

応援バスツアーは初めての参加。
出発は泉町1丁目バス停10:55で帰着は1:25頃.
いささか疲れるかもしれないが、山形まで日帰りが可能なのは嬉しいこと。

久し振りの勝利の現場に立ち会えるのが楽しみだ。
更には、往復の車中の皆様と愉しい時間であることを願って。

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「聴水庵・まえぐら」@常陸大宮市長倉

2016年06月24日 18時08分55秒 | 
棚田の緑と那珂川風情 其の弐
「聴水庵・まえぐら」@常陸大宮市長倉





川番所役 塙家の花崗岩の門柱。由緒ある風格が漂う。



棚田と共に今回のメインは水戸藩時代の川番所が有った所。
那珂川に張り出した岬状の地形だから、上流から下流までよく見渡せる。
川面までの高低差がかなりある。



流れは穏やかだが、川幅はかなり広い。

今年は水量が少ないせいか、鮎が姿を見せないとのことで、釣り人がいない。





川番所役であった塙家の蔵が現存し、改築されて「聴水庵・まえぐら」として宿泊施設となっている。

蔵の前で説明する山本さん。
後の井戸枠も花崗岩製、水の所までと云うから凄い。





本日の昼食はお弁当と鮎の塩焼き。



更に、モズクガニの味噌汁。
漁期は5月まで、捕獲したものをこの日のために保存。

マンゴープリンにフルーツ乗せ、も美味しかった。

食後は自己紹介と、ミニレクチャー。



後藤一彦さん
「勤王の志士・香川敬三は対岸の伊勢畑村の出身、嘉永4年(1851年)ここ長倉の河岸から藤田東湖を慕って鵜飼船に乗り、水戸へ旅立ちました。165年前のことです。その後、明治の新政府で活躍した水戸出身の数少ない逸材ですが、あまり知られていません」と香川敬三を紹介。


塙家当主の塙さん、
「先祖の遺してくれたものを大切に伝えたいと思います。聴水庵をご利用いただき有難うございました。香川敬三さんのお話しは初めて知りました」



全員そろって、パチリ。

ここで散会、帰途はそれぞれのルートで。



後藤さんの車に同乗、久し振りに「御前山ラーメン」を購入。

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棚田の緑と那珂川風情 @常陸大宮&茂木 其の壱

2016年06月24日 07時43分07秒 | 
棚田の緑と那珂川風情 @常陸大宮&茂木 其の壱

6月19日の【Tabi-ぶら】「棚田と山里の旅」の記録が纏まらないのに「紫陽花と秘仏拝観、水郷の美in 潮来」が明日(6月19日)に迫った。
そこで、概略を急遽アップしました。



集合時間に少しばかり早いので、同乗させて頂いた後藤一彦さんの案内で「カバヤゴルフクラブ」に。
山里のゴルフ場に隣接して「カバヤ」のお菓子工場が在るのにビックリ。
「カバヤのキャラメル」はおまけ付グリコと共に子供の頃のおやつ。







遠目には「ヤマボウシ」と見えるが「マタタビ」とのこと。
葉が白くなったので、花に見えるのだ。

「猫にマタタビ」のマタタビ、猫を酔わせる成分が有るらしい。

マタタビの花。
葉の裏に本物の花がある。
この花が実となったのが「マタタビ」。東北地方の土産として売られている。
旅人が疲れた際に食すると「また、旅をしよう」元気を取り戻すのが語源とか。




中川宗右衛門さん(オレンジのシャツ着用)の案内で棚田を巡る。
この辺りは道幅が狭く、この写真の場所は広いですが、更に、どちらに行くかの標識も少なく、土地勘がないと運転は難しい。
中川さんは常陸海浜鉄道や大宮から茂木にかけての棚田の風景などのプロカメラマン。





赤坂の棚田
山あいの棚田が良く残されている。
栃木との県境付近には、山里の原風景が残っているのに感激。



至る所に電線のバリア。
イノシシの被害が多いようだ。こんな細い線で効果があるのか?とも思った。





石畑の棚田。
ここは、棚田を都会の人に貸出、共同作業などで農業体験と収穫を味わえる。




木須川の洞門。
明治44年、流れを変えるために岩を掘り抜き、水害の防止と新田開発をした。
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茨城県立植物園@那珂市戸4589

2016年06月23日 21時32分02秒 | 公園・緑地
茨城県立植物園@那珂市戸4589



水戸市立植物園にはたびたび訪れるが、那珂市の茨城県立植物園は昭和56年の開園以来数えるほどだ。
梅雨の最中だが曇り空、雨に濡れた紫陽花でも観ようと出かけた。



「沈床園」のヨーロッパ風の植え込みは見事。







展示室では「ウチョウラン展」が
ウチョウラン、初めて聞く名であり、初めて見た。
奥久慈あたりにも自生していた蘭らしい。
高さ10㎝位。可憐な蘭だ。



バラ園は時期外れ、少ししか咲いていなかった。



早くも萩の花、
「萩」は草冠に秋と書くから秋の花とも思えるが、初夏から咲き出す。
「桔梗」も秋と思うが、既に咲き出している。







熱帯植物館、この温室は水戸市立より高さがある。


茨城県立植物園は約600種、約5万本の植物が、四季折々を楽しませてくれる。隣接する「森のカルチャーセンター」や「鳥獣センターには行かなかったが、それらを廻れば半日はかかりそう。
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「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の④

2016年06月23日 18時24分28秒 | 街創り
「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の④
ダイエー水戸店開店の副産物。




ダイエー水戸店の閉店(2005年)後、2014年に解体が始まった。
現在はマンション工事が進行中。

中内功が創業したダイエーは日本の流通業界に旋風を巻き起こした。
安売りのスパーマーケットから、地元商店と連携を図った地域密着型の商業施設を展開するようになる。
地元の商店が共同でビルを建築し、その中にダイエーと地元の商店がテナントとして入居する。
水戸にも波及し、南町2丁目の商店街が建設を受け入れる動きとなった。
ダイエーの進出を「黒船来襲」と考え、商工会議所も意見は分かれた。

南町2丁目は、町内を二分する激しい対立も生じたが、最終的に建設が決まった。敷地には蕎麦店・喫茶店・パン屋・画材屋・生地屋・パチンコ屋・時計店など10数店が在った。
共同ビルに参加する店、敷地を売却し移転する店等、考え方も異なった。

多くの再開発に伴って発生する問題は、水戸市が進めている泉町の「新市民会館建設」も同様な問題を内蔵している。

何とか問題をクリアーして1973年(昭和48年)11月に「水戸ショパーズプラザ」は開業した。
地下の食品街・最上階の飲食街まで、地下1階~地上8階のビルは衣料品から専門店・画廊・雑貨など、スーパーと言うよりデパートのようだった。
テナントとして出店した地元の商店も盛況だった。
しかし、郊外に大型店が出店する時代となりテナントの撤退や客数の現象で、赤字に転落、約30年間の営業で2005年に閉店した。
さらに、ダイエー本体もライバルであったイオンの傘下に入り、何れは店名も消滅するかもしれないとは、時代の変遷は激しすぎる。

開店前の話に戻るが、予定された敷地の地権者で事業に参加しない商店の移転先として確保したと土地が宙に浮いてしまった。

その土地の活用法として浮上したのが「ファッションビルの建設案」
東京のコンサルタントに依頼して着工したが、完成間際で資金面やテナント構成などでとん挫し、開店の見通しが立たなくなった。

急遽の一策として「パルコ」の成功に力のあった松本瑠樹さん援軍として引き出すことに成功した。
彼は自身の「バツ」やパルコのテナント仲間に声をかけ、生きのいいブランドショップを構成し、短い時間で大幅な改革を実行した。

直前まで開店が危ぶまれたが1978年5月26日に開店。
地方の中小都市のファッションビルの魁として動き始めたが、ダイエー水戸店誕生の副産物であった。

1980~90年代、ファッションや音楽好きの若者たちが集い、新しい水戸の文化の発信地としての役割を果たしてきた。しかし、生活様式の変化から2007年に閉館。

ダイエー水戸店の思い出を語る人はいないが「サントピア水戸」が青春だった時代の人達にとって「サンピ」(サントピア)が人生の1コマであったことは間違いない。ファッションビルではあったが音楽や映画や演劇、地下の飲食街などなど。


●柏孝江さん
占いも何回か行きました。大内商店も…
実家の町内だったし…一丁目も淋しくなってしまった。
●長谷川 裕久さん
ここは世代的にど真ん中だったので、サウスコアでは絵画のグループ展もやったし、演劇公演もやったし、バンドもやったというとても濃い記憶が。
●大貫 博之さん
美大受験時代は 画材を買いに良く行きました。
●木村 理恵さん 私の高校時代の聖地です。
●Yuko Miyanagaさん
お正月の初売りですごい行列でした。入り口から歩道橋へと並んで中央郵便局の方まで続いていたような......。
●Oyabu Yasukoさん
映画をよく観ました(*^^*)
大好きなソフィー・マルソーのラ・ブームを観たのはここだったような(多分)
●小鹿 拓良さん
いろいろ、思い出がありますよ。なんだか寂しいですよね。

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「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の③

2016年06月21日 22時05分18秒 | 街創り
「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の③


「サウスコア」


「サントピア水戸」は「渋谷パルコ」(東京都渋谷区)に次いで日本で2番目のファッションビル、ともいわれる。(その根拠は定かではない)

その後、全国に波及したファッションビルと「水戸サントピア」の違いは8階に設けられた多目的ホール[サウスコア]の存在だろう。
[サウスコア]文字通り、南の核=南町の全ての中心の意気込み。

コンサート・演劇・美術展等、多岐にわたる内容で、街の中の文化センターを目指した。
企画室長の田貞夫さんは、学生時代からバンド活動をしていたので、ライブが出来る空間を提供したいと考えていた。

名のあるあるグループの有料公演を企画したが、多くはアマチュアの自主公演。
多目的ホールだから、コンサート専門とはいえず、マイクやPAは準備するが設置は借り手がするシステム。

出演者と観客が一体となってコンサートを創り上げることも多かった。

演劇に於いてもしかりで、アマチュア劇団のメッカだった。

サウスコアに関しては企画室の加藤 保さんが担当した。

●桧山恵美さん 
新聞の折込広告がとにかくスタイリッシュで、憧れていた中学生の私は、大学ノートの表紙にグラビア面を表にして貼り付け、自作ノートを作っていました。ずっと憧れていたビルを初めて訪れた時は、完全にお上りさんでしたが「ここがあのオシャレな広告のビルか!」と大変感動しました。
ショップ店員さんと話しながら服を買うこと、それぞれ店舗ごとにデザインされた袋に入れてくれること、お取り置きという買い物の仕方、全てサントピアが初体験でした。
高校生になり、ライブハウスの運営スタッフに入れていただいた頃が、一番楽しい青春の思い出です。
田舎の女子中学生に、上質なファッションと最先端のカルチャーを教えてくれたサントピアに、感謝しています。

●井戸 淳さん
高校・大学時代はサウスコアをお借りして演劇公演をしていました( =^ω^)
劇場とは違っていわゆる箱形なので、客席・舞台・楽屋の位置や向きを自由に設定出来るのが有り難かったです
まだ子供だったので、加藤さんに怒られないようにビクビクしながら相談やお願いに行ったのを思い出しました

●Noriko Nakamura さん
高校生の時、土曜日の放課後と日曜日にサントピアのPAGE BOYでバイトしていたよ。昭和天皇が崩御された日もバイトだったのを覚えてる。
DCブランド全盛期で、もらったバイト代、みんなお洋服代につぎ込んでた。
バイト先のお姉さん方に、いろいろ遊びに連れて行ってもらったなぁ。休憩時間には、上のライブハウスの階の喫茶店でピカタ定食とか食べたなぁ。かねちゃんとはよくイタトマで大っきなケーキ食べてたなぁ。すっごく懐かしいよ。
バーゲン(当時はセールじゃなくて)初日は、みんな学校サボって並んでたりしてたよね〜。私も安全靴履いてたよ(^^)

●すずき ちか さん
取り壊しされてしまうのですね…なんか寂しいです。
四年働いたでしょうか。思い出はたくさん。
今頭の中でサントピアの中を歩いてみました。
インフォメーションだったので、ライブの本人から電話がかかってきたり、終わってからちょっとライブ入れてもらったりちょっと得した気分でした^o^
BUCK-TICKが遊びきた今ではほんと何もなも懐かしい!!


*「サントピア水戸」に関して時代背景を含めて系統だった話となれば、優に本一冊になるだろう。
その頃が青春だった人達が書き残してくれたら嬉しい。
私は、テナントとして15年位出店していた時期もあるが、斜に眺めていただけで、内部の人間ではないから詳しくはない。
しかし、1978年の開業時、数年前の準備期間から閉店までの動きはなんとなくだが、分かっている。

経営陣を含め当事者が現存しているから、それらの方々に聞くか、資料の提供をお願いすれば正確なものが出来るだろう。

当事者は話しづらいこともあるだろうから、岡目八目的に話を進めるので、関係者の皆様にはお許しを乞いたい。
簡略に「敬称は略」と考えてはいるが、現存の身近な友人達を呼び捨てにするのは気が引けるので「さん」づけもありにした。


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「荒木経惟 往生写集-東ノ空・PARADISE」@資生堂ギャラリー

2016年06月21日 19時43分53秒 | 美術展
「荒木経惟 往生写集-東ノ空・PARADISE」@資生堂ギャラリー



荒木経惟「写狂老人A 76齢」を観て、2014年10月22日から12月25日まで
銀座の資生堂ギャラリーで開催された「荒木経惟 往生写集-東ノ空・PARADISE」を思い出した。




タイトルの「往生写集」は、平安時代の僧侶・源信が著した仏教書『往生要集』(985年)から想を得た荒木の造語。
源信は多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する要文を集め、死後に極楽往生するためには一心に仏を想い、念仏を唱えることが大切と説いた。のちにその教えは、我が国の浄土思想の基礎となったと言われる。

このタイトルや写真集の中にもしばしば登場するが、荒木経惟の「書」は写真と同様に魅力的だ。



「東ノ空」は、東日本大震災後、亡くなった方への鎮魂を願うと同時に、被災地の復活を祈りながら、彼が毎朝自宅の屋上から撮り続けている作品。



「PARADISE」は、一見暗闇の中に色鮮やかな花が咲き誇っているかのようだが、実は、朽ちかけた花と人形を写した生と死の物語。
「花は死の一歩手前が最も官能的」と語る荒木が、移ろいゆく花の姿を人の生命にたとえ、はかなさゆえの愛しさや、かけがえのなさを捉えた作品。




資生堂ギャラリーの地下の吹き抜けに展開した「生と死と再生」。
ほぼすべてが、撮影可であったのは嬉しい。
多くの展覧会、著作権に関連するとかで撮影が禁じられているが、営業に使うことでもなければ撮影が自由は、世の中の流れのように思う。
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荒木経惟 「写狂老人A 76齢」

2016年06月20日 17時29分55秒 | 美術展
荒木経惟 「写狂老人A 76齢」





飯倉から六本木の新国立美術館まで、ぶらぶらと歩いた。



AXISビルの前に荒木経惟の写真展の看板。
中庭のらせん状の階段を上がって2階に。



荒木経惟「写狂老人A 76齢」展
会期:2016年5月25日(水)〜6月29日(水)
会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
住所:東京都港区六本木5-17-1 AXISビル2F

自ら「天才アラーキー」と称する荒木経惟の写真は確かに魅力がある。
少々猥雑ではあるが、独自の世界だ。
彼の生まれ在所に近い「三ノ輪の浄閑寺」を訪ねたりもした。
写真集も数多く出版している。
これ程に出版している写真家はいないだろう。

「写狂老人A 76齢」御年76は僕より1歳上。
芸術家のエネルギーは凄いものが有る。

更に、プリントした作品を廉価で売っている。
キャビネ版と云うのか、一枚5000円位で販売している。
作者のサインはないが、オリジナルであることに違いはない。

同じフロアーの別な場所で「センチメンタルな旅」の展覧会が開かれていた。
こちらは写真集の展示販売が主だが、プリント作品も販売されていた。

日本において写真展は、これでもかと思う様な大判の写真が多いが、手元でじっくりと観る・写真集で観る、が本来の楽しみ方と思う。

荒木経惟はその様な点でも時代をさきがけた写真家と思う。
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サントピア水戸の時代への挽歌 其の②

2016年06月19日 23時19分05秒 | 水戸
サントピア水戸の時代への挽歌 其の②


思い出の人とか店名など思いつくまま。


松本瑠樹(1946年~2012年)
文化服装学院在学中に、株式会社オールファッションアート研究所を創立。
自らプロデューサー兼デザイナーとしてDCブランド「BA-TSU」を創業。
水戸サントピアの開業に尽力。水戸の街に多大な影響を与えた。
65歳で没したが、ファッションデザイナーとしてよりもプロデューサーの先駆者としての功績は偉大だ。
(敬称は無しで)
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サントピアの時代への挽歌 其の①

2016年06月19日 22時08分02秒 | 街創り
サントピアの時代への挽歌 其の①




水戸の壱時代を担った「みとサントピア」の取り壊しが始まった。
10月には更地になるらしい。



サントピアに対する思いは人それぞれ。
取りあえずブログに僕なりの思い出を書きます。



何かの思い出、などありましたら、描き込みお願い致します。
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ナポリスタカ・神谷町@港区麻布台1-11-4

2016年06月18日 17時24分40秒 | 食事
ナポリスタカ・神谷町@港区麻布台1-11-4




5月28日(土)の話だが、所要をすませ地下鉄「神谷町」駅から六本木の新国立美術館で開催されている「三宅一生展」(3月16日~6月13日に向かった。



坂を登って飯倉の交差点の手前に、行列の店が在った。
行列と言っても数人だが、ピザ屋さんらしい。
昼食が未だだったので入ってみることに。

道路沿いのテラス席ならまたずに座れた。

「ナポリスタカ」と云う店で、ピッザ発祥の地ナポリに由来、「これぞナポリ」と云う意味合いらしい。




店内はナポリを本拠とするクラブチーム「SSCナポリ」のキャラクターやフラッグ・ユニホーム等がデスプレームされている。





チームからなのだろう、綺麗な水色のペイント。
このクラブの東京駐在事務所、の感じすら


客も半分位は外人か。
人気店らしい。




休日ランチセットのピッザを注文。
2011年11月、ナポリとポンペイの遺跡を訪ねたが、ピッザは食べなかった。
日本で本場のピッザを食べることに。



前菜は大皿に盛り合わせ



ピッザ、かなりの大きい。




デザート



コーヒー

この量と質で、ランチセットの2500円は東京でもお値打ちだろう。
機会が有れば、再訪したい店だ。

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夏野菜のハヤシライス@レストラン・よこかわ

2016年06月18日 00時51分03秒 | 食事
夏野菜のハヤシライス@レストラン・よこかわ


毎月16日、水戸市大町のレストラン「よこかわ」に昭和16年生まれの仲間が集う会が始まって35年以上を経過した。
8月・12月と日曜は開催しないので、年に約8回位、35年で約280回、よくも続いてきたものだ。
その間、他界する方もあり、若干メンバーは少なくなったが、ささやかに続いている。
12時に集合し、ランチを食べながら近況報告などしながら雑談する、
規約も無く、ただそれだけなのが、長続きしている秘訣かもしれない。

ビーフシチューが有名な老舗レストランだが、メニューはお店にお任せ、当日のランチ、等が供されるが、何が出るかがお楽しみ。

この日は「夏野菜のハヤシライス」ヅッキーニ・赤と黄色のパプリカが入ったラタトゥイユの様なものだ。
デザートの小玉スイカも美味しかった。名前を聞いたが忘れた。
最近の小玉のスイカは美味しいものが多い。

クラシカルなレストランでの月に1度の会食は、生きていられる幸せを感じる。
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