「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

常陸国出雲大社@笠間市福原

2017年01月20日 22時44分18秒 | 宗教
常陸国出雲大社@笠間市福原




彫刻家・島剛さんの個展が常陸国出雲大社の境内「ギャラリー桜林」で開催されていると聞いて、陶芸美術館から足を延ばした。

笠間市福原の国道51号線沿いの山を切り拓いて、出雲大社(島根県・大社町)より分霊を鎮座する社が出来たのは平成4(1992)年12月4日。

ご祭神は大国主大神。
大注連縄は長さ16m、重さ6tで日本最大級。





拝殿の天井に、美術家の奥田コウドウさんが「常陸の雲」を描かれたと聞いてお詣りしたのは開設時で、調べて25年前と分かったが、もっと以前と思い込んでいた。



拝殿奥に鎮座の本殿は入ることは出来ない。
柵の外から拝んだが、国宝出雲大社本殿(島根県大社町))・神魂神社(島根県松江市)本殿と同じ「大社造り」。



神魂神社本殿。(2007年11月の訪問時の撮影。)


常陸国出雲大社は平成26(2014)年9月から単立宗教法人となった。

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利休に見せたいッ!@茨城県陶芸美術館

2017年01月20日 15時41分25秒 | 博物館
利休に見せたいッ!@茨城県陶芸美術館
現代の茶陶:1月2日(月)~3月12日(日)





きものを着「抹茶を一服」の暮らしを夢見ても、洋風化し畳の部屋が失われ、高齢化で椅子が多くなり、座敷を主とした文化が失われるのは残念だが、致し方ないのが現実だ。

その様な日常生活の中で「お茶」や「お花」掛け軸」はどうあるべきなのか、或いは将来はどうなのか、疑問と恐れへの答えは無い。



現代において「利休に見せたいッ!現代の茶陶」展

第1章古典陶磁の復興
石黒宗磨・荒川豊蔵・金重陶陽・藤原啓・山本陶秀などの人間国宝の作品は伝統作品としての完成度。

第2章戦後の茶陶と各地における展開
多くの作家の作品が展示されているが懐かしく印象に残った作家・作品は。

●骨董古美術に造詣の深かった辻清明の信楽の花入れや茶碗が4点。
●没後も絶大の人気の加守田章二の花入れが1点。
何故もう少し出品されなかったのか、茶陶のようなモノは制作しなかったのかもしれないが。
●テレビなどでの紹介される機会が多、い十五代楽吉左エ門の「焼貫黒茶碗」。



先日「日曜美術館」で製差烏工程や窯入などを見たばかり。




2015年9月に守山市の「佐川美術館」を訪ね、池の下の「樂吉左衞門館」は自ら構想し、5年の歳月をかけたと云うだの見事と空間と作品を思い出した。

●岡田裕の「灰被茶碗」は碗成りとした円やかさが良い。


第3章近年の多彩な表現



●水元かよこ「うさみみPOP」ウサギの耳まで着いた現代的な茶碗の存在感。象牙かと思えるような地肌にカラフルな彩色。

現代の「茶陶とは」、「お茶に」未来は、を考える展覧会だった。
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五味田充子 ニット展@ギャラリーしえる

2017年01月19日 20時30分41秒 | 美術展
五味田充子 ニット展@ギャラリーしえる
           - ルージュの伝言 ー
1月17日~22日まで











水戸市見川町の「ギャラリーしえる」は幅広いアート作品展が展示される。
女性が好む、織物やニットさらには染色などの展覧会もある。



糸作りから編み上げるまで一貫して手作りにこだわる五味田充子さんの「手紡ぎニットと小物展」は毎年1月に開催されるので、常連さんも多い。

今日(19日)に訪れたが、会期3日目にも拘らず大勢のお客で賑わっていた、

羊の原毛を解きほぐして糸に紡ぐ。
糸を好みの色に染め上げる。
編むのか織るのかテクニックは分からないが質感が立体的、
色が綺麗で配色が素晴らしい。

出来上がりはあらかた計算できるにしても確かでないから、自然に生まれてくる、と云う事らしい。



セーター、ベスト、カーデガン、帽子、マフラー、など約50点。
手間の掛かる手仕事のため作品展は年2回ほどしか開けないので、新作を楽しみにする愛好者が多い。





セーターなど着た際に目立つのは後姿。
特に、背中に留意して制作されているようだ。



ストライプの柄も好評。



ニット帽は価格もお手頃、大人気らしい。

手持ちの服との組み合わせを考えれば自由自在に楽しめる
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水戸徳川家の蘭 @水戸市植物公園

2017年01月18日 22時10分15秒 | 庭園
限りなく白い花を目指して
水戸徳川家の蘭 @水戸市植物公園    
1月7日(土)~22日(日)




句友のNさんは山登りが好きで野草山草の愛好家。
偕楽園や弘道館の歴史案内ボランテアもされている。

活動の一部を紹介するブログが「顎鬚仙人残日録」。
植物に関する気の利いた文章と自作の俳句が楽しい。

『蘭 パフィオペディルム (水戸徳川家の蘭)』
と言う記事で「白い蘭」の写真は気品があって奥深い。
早速、現物を拝見に水戸市植物園に。





水戸徳川家の14代、徳川圀斉氏(1912-1986)は蘭、とりわけパフィオペディルム(通称パフィオ)の白花の美しさに魅了され、新種を輸入し、交配を行い,歳月をかけて新しい品種を次々と作り出し,ラン栽培をライフワークとされた。

新たな品種には旧水戸藩に所縁の名前を付けた。



「スワンゴールド」
新種には英国王立園芸協会に新生登録するが、タッチの差で登録されず英語名もある。



「マユミ」
常陸太田市の真弓山で白い大理石が採れ、当時は藩の御用石。



「サクラガワ」
偕楽園下を流れる桜川は、光圀公が磯部(桜川市)の桜を移植して命名されたと言われる。現在、桜川沿いにヤマザクラ中心の当時の景観を復元する「水戸桜川千本桜プロジェクト」が始まった。



「ヤミゾ」・「カシマナダ」

「顎鬚仙人」さんの様な、魅力的な白い花の写真が撮れなかった。

植物公園の関係者にお願いしたいのは、



素晴らしい蘭の花なのに、新春の飾りの多くの花々など混ぜおきの展示。
展示会の様に一鉢ごとに無背景の中で展示すべきと思った。

更には、「水戸の梅祭り」が始まる。
既に開花している品種も有る。
梅は咲き初めを愛でるから、全てが咲かなくとも問題ない。

既に多くのお客様が水戸を訪れている。
素晴らしい「水戸市植物公園」知ってもらう絶好の機会。
おもてなしの心が感じられない運営は心残りだ。

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夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。

2017年01月17日 22時47分52秒 | 人と作品
夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。



水戸市泉町のアートセンター「タキタ」1階奥の「ギャラリー」を覗いたら夏目漱石が菊池謙二郎に宛てた手紙の額装が展示されていた。



大正4年9月30日
牛込区早稲田南町7番地より水戸市上梅香7番地、菊池謙二郎宛て。

拝復いつもご無沙汰をしてゐます近頃講演は殆んど遣らぬ事自然なつて仕舞ました是は小生の無精と時間がないのと夫を知つて頼む人が来なくなったからです先年も謝絶今度もお断りでは甚だ済みませんが右の譯で中々遠方へ出かける勇気も余裕も時間も根も有りませんからどうぞご勘弁をねがひます小生は旅行をするといつでも病気をします今春も京都に行って寝ましたまあ廃人の部に属すべき人間です不取敢御返事迄 匆々不一
九月盡
                  夏目金之助
  菊池謙二郎様
       座下

(勿論、手紙文は縦書きで、当時の習慣で句読点はない。漢字は旧字を使用しているがパソコンには無い文字もあるので、当用漢字を使用してある)

『漱石全集』には菊池謙二郎宛ての手紙は7通おさめられているが、この手紙は大正4年9月30日。1916年(大正5年)12月9日に夏目漱石は死去しているので約1年前、漱石最晩年のことだ。
当時、菊池謙二郎は水中(現・水戸一高)の校長であったから、学生に対する講演を漱石に依頼した。体調不良ゆえにことわっているが、旧友からの依頼ゆえ丁寧な断りをしたためた。

明治の文豪・夏目漱石を知らない人はいないだろうが、水戸出身で東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった菊池 謙二郎)については知らない方も多いように思うので、この書簡の紹介と菊池謙二郎について簡単に記す。

菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応3年1月19日) - 1945年(昭和20年)2月3日)は、日本の教育者、歴史研究者。号は仙湖・枳殻(きこく)庵。

東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった。
藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られ、衆議院議員も務めた。

1895年(明治28年)28才という若さで、旧制津山中学校の校長に就任。
何校かの校長を経た後に1908年(明治41年)旧制水戸中学校の校長に就任し、13年間近く勤めた。
その間、校是「至誠一貫」「堅忍力行」や校歌などを制定し、現在の水戸一の礎を創った人物。
当時の校是や校歌が現在も使用されていることは驚異的だ。
《小生も卒業生の端くれだが、唱和し、斉唱した》
因みに校歌の1番は
旭輝く日の本の 光栄(はえ)ある今日のそのもと は義人烈士の功績(いさおし)ぞ 忠孝仁義の大道を 貫く至誠あるならば 天地も為に動きなん
*明治41年(校長:菊池謙二郎),10月に校歌の歌詞を生徒から募集したが,1.2等に該当するものがありませんでした。そこで改めて職員から作品を募集し,古賀快象作の今日の校歌が生まれ,11月11日に発表された。現在のものと,若干「行変え」や「仮名ふり」などが違うだけで,現在まで歌い継がれています。(※参考・水戸一高HP)

日を改めて正岡子規『水戸紀行』を基に正岡子規と菊池謙二郎。
漱石からの他の書簡などを調べて報告したい。
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NHK「スタジオパーク」に「清川あさみ」登場。

2017年01月17日 17時48分45秒 | 水戸芸術館
NHK「スタジオパーク」に「清川あさみ」登場。



「画狂老人、北斎の晩年」に続いてテレビからのネタになるが、NHK 「スタジオパークからこんにちは」を見ていたらゲストは「清川あさみ」さん。

連続テレビ小説「べっぴんさん」のタイトル映像を手がけてブレイクしたように感じられるだろが2011年11月3日~2012年1月22日迄、水戸藝術館・現代美術ギャラリーで「清川あさみ:美女採集」の大規模な個展が開催された。



旬の女優の写真に布・糸・ビーズ・スパンコールなどを用いた刺繡する手法は斬新で女性ならでの華やかな作品だった。
若い女性に絶大な人気を博していたが、大きな美術館での個展は初めて大いに注目を集めた。



オープニングのレセプションでお会いしたが、学生時代にモデルとして活躍したと云うだけあって、小柄ではあるが、ご自身も美女であった。

水戸の展覧会の後、衣装・空間・映像・イラストレーションなど多方面で活躍するテレビの特集番組が放送され、無限の可能性を秘めた方と感じた。



その後2013年3月、銀座のポーラミュージアムアネックスで「清川あさみ:こども部屋のアリス展」を見る機会があった。

「不思議の国のアリス」を題材に、25のシーンを清川あさみの作風で表現した夢と冒険の旅を描いた立体作品。
ミニチュアドールをのぞき込むような、或いは、立体紙芝居を見る感じで水戸での作品とはまるで異なった。

今日(1月17日)紹介された作品は再び「美女採集シリーズ」

美女を動物やモノに例えての作品。



夏木マリ×アンモナイト



檀密×」ナメクジ



谷村美月×コノハズク

など、意外な発想であったが、美しく楽しい作品だった。

水戸芸術館の現代美術ギャラリー、時には難解な作品が並ぶこともあるが、大方は愉しく、時代を幾らか先取りした展覧会が多いのは誇りにしてよい。


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~画狂老人、北斎の晩年~

2017年01月16日 14時31分36秒 | 人と作品
~画狂老人、北斎の晩年~




NHKのテレビ日曜美術館「果てしなき夢~画狂老人、北斎の晩年~」
2017年1月15日(日) 20時00分~20時45分を見た。

昨年の暮れ「すみだ北斎美術館」を訪ねたのがきっかけで、正月2日は隅田川沿いの葛飾北斎(1760年~1849年)に所縁のある地を巡るなど北斎への関心が高くなった。「日曜美術館」は北斎の晩年を重点に紹介したので面白かった。

住居や号を頻繁に変えた北斎は75歳から“画狂老人卍”の号を使い始めた。
茶も飲まず酒もたしなまず、ひたすら絵を描くことに打ち込んでいたが、道楽の息子が博打で大金を借金し、その為、貧乏であったことや、乱雑な小部屋で、炬燵に入ったまま一日中絵を描いていた。などのエピソードも紹介された。

飯島虚心が著した『葛飾北斎伝』は晩年の北斎の姿をリアルに描き出している。



北斎72歳頃からの『富嶽三十六景』



天保5年(1834年) 「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」の号を用いる。



『富嶽百景』を手がける。

信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』。



天保13年(1842年) 秋、初めて、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ねた。この時、鴻山は自宅に碧漪軒(へきいけん)を建て、北斎を厚遇した。

天保15年(1844年)に小布施に旅し、嘉永元年(1848年)まで滞在。






信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)、『怒涛図』『龍図』『鳳凰図』などを描く。







『怒涛図』
ダイナミックで86歳とは思えない活力があふれている。





『鳳凰図』





『龍図』龍の表情が可愛らしい。



『富士越龍図』 肉筆画(絹本着色)。
嘉永2年1月(嘉永二己酉年正月辰ノ日。1849年)、
落款は九十老人卍筆。死の3ヶ月ほど前、北斎最晩年の作。
幾何学的山容を見せる白い霊峰・富士の麓を巡り黒雲とともに昇天する龍に自らをなぞらえて、北斎は逝った。

嘉永2年4月18日(1849年5月10日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没する。享年90。
墓所は台東区元浅草の誓教寺。

辞世の句は、
人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原
(その意、「人魂(ひとだま)になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」)。

炬燵背に画狂老人龍となる 阿然

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『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。

2017年01月15日 12時40分44秒 | シェジャニー
『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。



巷にはホテルの宴会料理しかない時代に、渋谷の街外れにフランス人が日常食べている料理を提供するChez Johnnyが誕生したのが1969年で、今から45年以上前のことになる。

その後Chez Johnny “シェ・ジャニー”は予約が取れない有名店になるが、舌より頭で食べる客が増えたことに嫌気して、1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。

それからの10年間はスキー・渓流の岩魚釣り・冬の狩猟など趣味の世界に遊んでいる。1997年、敷地の一角に増築した部屋を改装して『シェ・ジャニー』を再開し、18年間に渡り営業した。2015年7月には盛岡市材木町に移転、新装開店し現在に至る。
僕も1987年から2003年にかけて4回に渡ってお訪ねできたのは、今もって、素晴しい体験であった。材木町の店は開店間もない7月に駆け付けた。



(2015年7月)

渋谷の時代に『春田光治・魅惑の南仏料理』(1981年 中央公論社)が刊行された~専門家の味をあなたの食卓に~と云う企画で、有名シェフの料理がにシリーズで刊行された。第4巻が『春田光治・魅惑の南仏料理』。

ラタトゥイユ(ニース風野菜煮込み)、ニース風サラダ、牛胃袋の煮込み、仔羊もも肉とジャガイモのロースト、仔羊背肉のロースト、羊とナスの型蒸し(ムーサカ)、仔羊ひき肉の串焼き(ケフタ)、クスクス等々が紹介されている。

テレビ東京「巷(チマタ)の噺」の番組中にインタビューに登場した春田光治さんが好き放題に語っていたので大笑いをした。

司会の笑福亭鶴瓶とゲストの元柔道日本代表監督・篠原信一は「このおっさん凄いな~」と羨んでいるが、一世を風靡した料理人とは知らずの会話が面白かった。


そんこともあって、ジャニーーのブログを見たら、





「Gigot d'agneau à la boulangère」
暮から正月にかけてジゴ(Gigot)=羊の腿、3本焼きました。
ア・ラ・ブーランジェールはパン屋さん風の意。
昔はパン窯の余熱で焼いたのでしょうか?
羊も旨いけど、エキスを吸い込んだジャガイモが絶品
翌日はジゴをスライスしてマヨネーズ(市販は✖)、
ディジョンのマスタードで食べるのがフランス流。



レシピも添えられている、

があったので懐かしく、食べたい気持ちになった。
写真とコメントを引用して食べた気分に。
(一部の文と写真の引用は了解得ました)

そうの・こうの、していた時、自分のブログに見逃したコメントがあった。
『魅惑の南仏料理』の写真を担当された黒部徹さんからで、

●カメラマンの黒部です。
79年フリーになり、最初の本格的な料理単行本でした。
師匠(佐伯義勝)の姿に憧れ、フリーになってすぐにフランス放浪旅。
市場の捨てられた篭、牡蠣の篭まで拾って日本へ。ジャニーさんの本では活躍しました。その時のスナップも沢山使って頂き思い出一杯の本です。家庭画報の連載も毎回楽しかったです、単行本未完成は本当に残念でした。
魅惑の南仏料理の様な単行本が作れて良かったです、今日も机の上にありました。

この本の素晴らしさは、単なる料理本でなく南仏の街や人や風景がちりばめられているのでいっそう楽しい本だ。
今では流行の旅とグルメを先取りしている。

あらゆる点を勘案すると『魅惑の南仏料理』はフランス料理本の名著だ。

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「未来志向の水戸づくり」@茨城大学図書館3Fホール

2017年01月13日 17時52分02秒 | イベント
「未来志向の水戸づくり」@茨城大学図書館3Fホール
 1月12日(木)13:00~14:30




「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジin水戸」の開催を記念したプレ企画として「未来志向の水戸づくり」をテーマに討論会があると言うので期待を持って参加した。

茨城大学図書館3Fのライブラリーホールは定員100名。
ほぼ満席だった、市民の関心が高いとも思えた。



パネリストに水戸市長・高橋 靖、経営コンサルタント・波頭 亮、慶應義塾大学総合政策学部1年生で飛脚堂代表取締役・塙 佳憲の3氏。



コーディネーターにNPO法人雇用人材協会・佐川 雄太、『月刊ぷらざ』編集長・和田 聡子の2氏。

「未来志向の水戸づくり」をテーマに街の活性化や若者の活躍などについて高橋靖市長・波頭 亮・塙 佳憲の各氏が問題を提起し、2人のコーディネーターが纏めて行くのだが、限られた時間に3人のパネラーでは実のある話ともならず、「徹底討論」なのに討論とならず、お互いの話を聞くだけ。

終了間際に2~3人から質問を受けたが、質問なのか意見発表なのか、これまた討論とは程遠い感じだった。

地域には独自性があり、どうすればと言う定説はない。
経済効果に結びつけず、面白い・楽しい、から始める。
水戸の魅力の価値を創造する=気が付いてない魅力を発見することか。
行政はあまり介入しない方が良い結果となるし、介入した結果はほぼ失敗。
シャッター街になる可能性がある。既にその兆しはあるし、このままでは数年後に顕著になるだろう。

*話を聞きながら思ったことは、現在進行中の新市民会館計画は水戸市にとって致命傷になりかねないこと。
予算の三分の一で建設されとしてもその後の設備の維持費・職員の人件費などは未来永劫に続く。

人口減少・企業本社の外部移転等により税収は年々減る。
高齢化により福祉予算は増加する。
大きなホールを造って年間の稼働率は?使用されない日は街中に異様な建物の姿のみ。
東西の通路は一方通行のまま、京成百貨店の催事や特売日と重なったら。
等‥、問題は沢山ある。
しかも、箱モノにはしないと言いながら、明確な方針が示されず、大きいものが無いからコンベンションが誘致できない。出来れば来訪者も多くなり宿泊も増える。というたよりなさ。


●エンジン01(文化戦略会議)は
2月17~19日の3日間に渡り、著名な文化人ら約150人が講師となり、医療や歴史など多彩な分野の117講座を展開する企画で2001年の発足以来全国各地を舞台に開催されてきた。

●「オープンカレッジin水戸」
オープンカレッジは年に一度の祝祭でセミナーが比較的大都市で行われる機会が多いのに対し、オープンカレッジは地方都市を選んで行うイベント。

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「早梅を見て、鮟鱇の友酢を食べる」の巻@弘道館~喫茶・花留談

2017年01月13日 07時52分24秒 | イベント
「早梅を見て、鮟鱇の友酢を食べる」の巻@弘道館~喫茶・花留談



【Tabi-ぶら】主宰の山本さんと「鮟鱇を暫く食べてないよね」との雑談から年が明けたら「八百徳本店で鮟鱇を買って、花留談で食べるのも面白いじゃない」と話が弾んで【Tabi-ぶら】番外編が1月7日(土)に開催された。

鮟鱇と云えば「鍋」を連想するのが定番かもしれないが、水戸では「友酢」が当たり前なのだ。
鮟鱇は骨以外の全てを食べ、俗に「鮟鱇の七つ道具」(肉・肝・水袋(胃)・ぬの(卵巣)・えら・ひれ・皮)をいうことが多いが、それぞれの食感や旨味が異なる。
それらを湯掻いて、酢味噌(鮟鱇の肝を煎って味噌と酢を混ぜる)を付けて食べるのだが、以前は底引き網の副産物で安い魚だったのだが、次第に高級魚となり、めったに食べられないことになってしまった。

冬になれば魚屋や料理屋の店頭では「鮟鱇の吊るし切り」を見ることが出来た。
実の柔らかな鮟鱇を捌くのはお腹に水を入れて吊るして切り分けて行くのだ。

山本さんらしく「鮟鱇の前に弘道館の早梅を楽しんだ後にしましょう」と云う事で弘道館の前に午后3:30頃に集合。



庭の紅梅の早咲きを愛で、



早咲きの蠟梅の香りも花も。



正庁の床の間の「弘道館記」の拓本。
八卦堂内の碑は地震などで破壊され原文を読むことは出来ないだけに、当初の状態の拓本で偲ぶのが良い。





孔子廟の「鬼龍小」のオリジナル。



「大日本史」の原本。

「西の谷」の嘉永7年の街図の複製が展示されてました。
現状と対比すると分かりやすい。

八卦堂から早咲きの梅を眺めて花留談に。
今年は例年より早そうです。

八百徳本店の特製「鮟鱇の友酢」
初めてという方もいましたが懐かしい味を堪能しました。

持ち寄りの一品料理は、蓮・オリーブ・牡蠣のオリーブ漬け・などなど。
どれも美味しかったですよ。








昨年の旅ブラの思い出や、シガの話などなど、



中締めの後は、けやき台のジャズ喫茶「コルテス」に移動。
美味しいコーヒーと最高の音響でのジャズ。で今日の出来事をおさらい。


(喫茶・花留談 内の写真は木村 功 Isao Kimuraさんの撮影による。)

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BOYS TRIO + 峰 厚介@ジャズルーム コルテス

2017年01月12日 18時06分06秒 | コンサート
BOYS TRIO + 峰 厚介@ジャズルーム コルテス



1月5日(木) 19時30分~水戸市けやき台3丁目28番5の「ジャズルーム コルテス」に隣接したライブ ルームで「BOYS TRIO + 峰 厚介」のライブコンサートが開催された。







BOYS TRIOは《石井彰(p) 金澤英明(b) 石若駿(ds)》の編成で、 ベースの金澤英明が中心のグループだ。
今回は テナーサックス奏者の峰 厚介を迎えた演奏。
2016年3が4日、同じメンバーのコルテスでの演奏がYouTube.にアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=BXzDkhFNZQc



45席の小さな空間だけに間近での演奏は迫力満点だ。
日本で有数のプレヤーなのに、30数人のお客様では申し訳ないようだ。
昨年末でライブを一旦中止した「自由が丘スタジオ」もそうだが、1流を呼んでも客が入らない。
水戸の受け入れレベルがそれまで、と云えばそれまでだが、宣伝次第ではもっと多くが来場するようにも思える。

せっかくの場が在るのだから「自由が丘ススタジオ」の二の舞にならないように盛り上げる必要がある。

BOYS TRIO + 峰 厚介
https://www.youtube.com/watch?v=BXzDkhFNZQc


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テレビ東京「巷(チマタ)の噺」に春田光治さんご夫妻が

2017年01月11日 17時20分07秒 | シェジャニー
テレビ東京「巷(チマタ)の噺」に春田光治さんご夫妻が






2014年10月28日(火)夜11時58分スタートしたテレビ東京「巷(チマタ)の噺」は笑福亭鶴瓶とゲスト がよもやま話を展開するトーク バラエティ番組で、深夜にもかかわらず視聴率は高いらしい。

街中の様々な日常会話の中にある心温まるエピソードや意外な話などをベースに、VTRを製作し、それを見ながら鶴瓶とゲストが気ままにフリートークを展開する楽しい番組だ。

2017年1月10日放送のゲストは元柔道日本代表監督・篠原信一で柔道よもやま話が展開された。
インタビューVTRのコーナーで「シェ・ジャニー」の春田光治さんご夫妻が登場した。

放送に先立つ昨年の11月14日(月)銀座のジャズクラブ「No Bird」でサックスプレーヤーの寺久保エレナ・ライブコンサートを聴くため上京された。
演奏の素晴らしさと喜びで半分意識不明になるほどの感激だったとか。

翌日の17:30に日本橋の鰻「伊勢定」で待ち合わせ、鯛の塩辛・山芋の焼き物・里芋の揚げ物などをつまみに酒を飲んだ。
たっぷりの山葵で白焼き、さらには蒲焼をご馳走になった。

お礼を兼ねて新丸ビル7階の「丸の内ハウス」にご案内。
ウッドデッキからの東京駅や皇居の夜景を楽しみ「TIKI BAR TOKYO」で伝説のバーテンダーと言われるデニーこと愛川 誠次郎さんの「星子2016ヌーヴォー」ミスト・モヒート・マティニー、等を愉しんだ。
(この辺りについてはブログに掲載したのでご覧下さい)







飲んで食べて、11時前に東京駅でお別れしたがその後ホテルに向かう途中でテレビ東京の取材を受けたらしい。

☆「衝撃の41歳差仲良し夫婦」とサブタイトル。
内容についてはインターネット配信で1月10日(火)放送分.は1月17日(火) まで配信予定.らしいから“テレビ東京「巷(チマタ)の噺」‘にアクセスしご覧ください。







お訊きしたくても訊けないことなどを自らが赤裸々にご披露していたので、インタビュアーも大笑い。
8回目の結婚・41歳の齢の差・嫁さんは自分の娘より年下・夜の生活のこと、などなど、テレビ的な内容と思えるが事実の事柄。





笑福亭鶴瓶と元柔道日本代表監督・篠原信一は春田さんより一世代下だから渋谷のジャニーの店を知らないだろうが、往時を知る人たちにとっては、「エ!ジャニーだ」と驚かれたことだろう。

お世辞無しの一本気のジャニーの性格だから、「好きに成ればすぐ結婚、厭になれば即離婚」の人生を繰り返したが、誠実であればこそ、で浮気者とは誤解なさらぬように。

偶々、8人の内、最初の奥さまだけはお会いしたことが無いだけで、それ以外は全てお会いし話もしているのはいささか不思議。
渋谷の時代から安比へ更には盛岡の材木町へ。
シェ・ジャニーの移り変わりを目の当たりに出来たことは幸せ。
「ジャニーの料理は日本一」.と思っている。

何方かが評伝を書かれることを期待しているが、今回の話の様なことも事実で、本人の口から話したことだから問題はないだろう。

別れたカミさん同士が仲良し、と言う話を以前に聞いた。
これもジャニーの人徳だろう。

久し振りに食事を共にし、酒を酌み交わした夜の出来事。
取材のお蔭で、振り返ることが出来る幸運に感謝。

●テレビ東京「巷(チマタ)の噺」ンターネット配信で1月10日(火)放送分.は1月17日(火) まで配信予定.
http://www.tv-tokyo.co.jp/chimata/?sc_cid=videotokyo
放送開始の13分から19分頃の時間が春田さんご夫妻。
(映像写真はPC画面を撮影のため鮮明でなく申し訳ありません)
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北斎ゆかりの地を巡る 其の四

2017年01月10日 22時08分22秒 | 
北斎ゆかりの地を巡る 其の四



水神大橋を渡って隅田川の対岸に。
向島方面を望む、墨田公園の後ろのスカイツリー。
墨堤通りの高速道路が目立つ。






今戸神社

今戸神社の辺り今戸焼(いまどやき)が焼かれた。
日用雑器、茶道具、土人形(今戸人形)、火鉢、植木鉢、瓦等を生産した。
天正年間(1573年–1592年)に生産が始まるといわれる。
現在も土産用として人形の類が生産されている。

水戸でも日用雑貨や人形などを焼いた「台町焼き」が最近まで有った。



歌川広重『名所江戸百景』
今戸の窯から煙が昇り対岸の向嶋の奥に筑波山が望める。



山谷堀公園



山谷堀(さんやぼり)は江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られた。現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの約700mが台東区立の「山谷堀公園」として整備された。
江戸時代には、新吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言った。
落語の世界に良く登場する。



山谷堀入口から待乳山を望む。(明治中期)



待乳山聖天(まつちやましょうでん)。

隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあり、595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。
待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。



池波正太郎生誕地。

池波正太郎(1923~1990)の生誕地は「待乳山聖天」の南側にあたる。
関東大震災によりこのあたりは焼失し、生家は残されていないが平成19 年(2007年)に記念碑が建立された。

ここから徒歩15分の台東区立中央図書館内に「池波正太郎記念文庫」が在る。

葛飾北斎終焉の地

金龍山 遍照院(東京都台東区浅草6-37-12)
江戸時代に「遍照院長屋」があり、 そこに葛飾北斎が一時住んでいたことがあるといわれる。
探してみたが見当たらなかった。

この日の締めくくりは
蛇骨湯@台東区浅草1-11-11



江戸切絵図にもある「蛇骨長屋」その地に在るので「蛇骨湯」と言うらしい。
浅草の寿司屋横丁の奥、少々わかりづらい場所だ。

今回で2度目の訪問。
始めて行った時、職人さんの多い街と言う土地柄か刺青のお客が多いのに驚いた。温泉などで「刺青・タトゥーはご遠慮下さい」等の場合があるが、ここはOKだ。

沸かし湯ではあるが、温泉法第2条に適応する、「メタけい酸」及び「重炭酸ソーダ」の天然温泉。
黒褐色澄明、微塩味無臭の通称「黒湯」と呼ばれる温泉。

黒湯は、火山性の温泉と異なり、古生代に埋もれた草や木の葉の成分が地下水に溶け込むことによりできた冷鉱泉。茨城県では鉾田の健康センターが同質、
混雑しているので長湯は出来なかったが、旅の疲れを充分に癒すことが出来た。

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「見てふれて楽しい考古学展」@茨城県歴史館

2017年01月07日 23時04分52秒 | 博物館
「見てふれて楽しい考古学展」@茨城県歴史館
会期:平成28年12月3日~平成29年1月22日




道路・工場・公園・住宅団地などの建設工事に伴い遺跡が発見されると調査が行われる。
茨城県内でも毎年多くの遺跡が調査され、現地説明会などの遺跡の公開や発掘調査報告書の刊行という形で公表される。

「見てふれて楽しい考古学展」は茨城県教育財団が主に平成26・27年度に調査した遺跡の出土遺物などから、遺跡の性格や当時の生活の様子を紹介する展覧会。

築地遺跡(常総市)



土偶と耳飾り。
謎の多い土偶と、かなり大きい耳環。



髭釜(ひいがま)遺跡(大洗町)
弥生式土器




宮後遺跡(ひたちなか市)
古墳時代後期の土器。

宮中野(きゅうちゅうの)古墳群(鹿嶋市)




子持勾玉も謎が多い。

見川塚畑(みがわつかはた)遺跡(水戸市)

「見川塚畑遺跡」も紹介されています。
2016年7月3日(日)午前10時から「見川塚畑遺跡」の発掘調査説明会が開催されたので参加した時の写真。





遺跡の広さと十王台式の弥生土器の美しさに驚嘆。



鉾田市吉十北遺跡出土の縄文土器

縄文時代は1万4千年前から紀元前6世紀、続く弥生時代は3世紀までと言われる。文字のない時代ゆえに謎は多い。
縄文時代は女系社会で土器の制作も女性であったという説もある。
縄文土器は世界的に見ても類をみない美しさを有する。
茨城出土の縄文土器は中期から晩期の優品が多い。

異様な器形の多い土偶もまた謎だ。
謎の多さが古代へのロマンを掻き立てる。



●茨城県立歴史館は、茨城県の歴史に関する「博物館」と「文書館」の機能を併せ持った施設として、昭和49年(1974年)に開館した。

博物館として研究・展示機能と文書館としての資料の保存・研究の守備範囲は広く、両方を兼ねた施設は茨城県立歴史館以外にない。
開設40年を過ぎて、その方向性はっきりさせる時期が来ているように思う。


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北斎ゆかりの地を巡る 其の参

2017年01月06日 17時58分06秒 | 
北斎ゆかりの地を巡る 其の参




向島百花園

文化元(1804)年、骨董商の佐原菊塢(さはらきくう)が日本古来の草木を集め、幕臣の多賀家屋敷跡に造園した庭園。名称は江戸後期の画家酒井抱一が「梅は百花のさきがけ」の意から名付けたとされる。
当初は360本の梅が主体で、亀戸梅屋敷に対して、新梅屋敷とも呼ばれた。
現在は都営庭園となり、国の史跡・名勝に指定されている。



広重:東都三十六景「 向しま花屋敷七草」


白髯神社



向島百花園から徒歩5分位。
江戸時代は寺島村と呼ばれナスの産地として有名だった。




隅田川両岸の風景を描いた北斎狂歌絵本の『絵本隅田川両岸一覧』
の『白髭の翟松今戸の夕烟』
今戸(現台東区今戸)の瓦焼きの様子と対岸の白髭明神社(現・白鬚神社)の鎮守の森が描かれている。




法泉寺
禅宗曹洞派・駒込吉祥寺の末寺。



参詣の様子を描いた『寺島法泉寺詣』
縁結びの神である金勢大明神の幟や石柱があります。法泉寺が金勢大明神を祀っていた記録が他になく、貴重な資料ともいわれています。


隅田川神社

隅田川神社の周辺は、かつて水神の森と呼ばれるくらい樹木が生い茂っていた。



後に高速6号線の高架道。
河川改修で境内も狭くなったらしく、本殿も小さい。



「水神宮」の碑、今やその面影は無い。


木母寺

梅若伝説ゆかりの地。
「たずね来て問はばこたえよ都鳥すみだ河原の露ときえぬと」
能「隅田川」の文学的旧跡、江戸時代には梅若山王権現の霊地として尊信された。



ひと頃は廃寺となった事や河川改修で場所も移ったので本堂は現代的な建物。


三遊塚 




三遊亭円朝が明治22年、先師(初代)三遊亭円生を追福する為、木母寺に建立した。


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