「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「丸の内ハウス」@新丸ビル7階

2016年08月20日 20時29分22秒 | バー
「丸の内ハウス」@新丸ビル7階



東京駅前の新丸ビルの7階に、個性的な9つのレストランやバーがあり、毎日4時までオープンしていると聞いたが、僕には縁のない場所と思い行ったことが無かった。
その中の「TIKI BAR TOKYO」(ティキバー トウキョウ)で

Danny's Bar~東京の夜は世界でいちばん美しい~
と言うイベントが行われることを知り、どの様なものかと出かけてみた。



デニー愛川はバーテンダー歴40年の伝説的人物。
70年代から現在まで、東京のバー・シーンの第一線で活躍している方らしい。
バーテンダー歴40年の節目を迎える今年、これまでに携わってきた東京のナイトシーンを振り返るとともに、その職人気質の仕事術やバーテンダーとしての本質、生き方の流儀までを伝えるライフヒストリーブック「東京の夜は世界でいちばん美しい - 」(倉石綾子/著)が7月30日に出版された記念のイベントなのだ。
僕は居酒屋で安酒を飲んで“管を巻く”のが相応でバーは自分に似合わない、と云う事は十分承知している。

とは言えバーに対する憧れと、各界のパイオニアとして生きて来た方に対する興味と尊敬の念は持っている。

その様なことで、5時の開店なのに4時前には「新丸ビル」に到着。
7階のフロアを探検「TIKI BAR TOKYO」(ティキバー トウキョウ)を探した。



丸ビル7階の全フロアが飲食街でまさに「街」








外周がウッドデッキで、東京駅,丸の内のオフィスビル、皇居などを眺めることが出来る。

かなり広いデッキに椅子テーブルが備えられている。
雨や、寒い日・暑い日、極端な天候でない限りはテラスのデッキで飲食することが可能。
各店に、持出し用のプラスチックグラスなどが備えられている。




通路の部分にも、応接セット状のゆったりした椅子テーブルで寛ぐこともできる。



「ライブラリー」もあって、本なども備えられ読むことも出来る。
この空間を利用してDJも開かれるらしい。

ガラ系の携帯のカメラだったので、肝心の部分が撮れてないが、さすがに「三菱地所」が開発したビルだけに全てに贅沢で太っ腹。
公共部分が広くてゆったり。
各店のメニューなど見てもコスパはかなり良い。
こんな素晴らしい空間、使わないともったいない。


因みに出店は
①ソータイアード( ダイニング)
②自由ヶ丘グリル(洋和食)
③ライムライト(喫茶・バー)
④ソバキチ(蕎麦・酒・肴)
⑤リゴレット ワイン アンド バー(スパニッシュイタリアン)
⑥欧風小皿料理 沢村 ( 熟成酵母パンと欧風小皿料理)
⑦ムスムス (無国籍料理)
⑧ヘンリーグッドセブン( ラウンジダイニング)
⑨ティキバー トウキョウ( バー)
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サドヤ ワイナリー@甲府市北口3-3-24

2016年08月19日 20時03分00秒 | 
サドヤ ワイナリー@甲府市北口3-3-24




武田神社から甲府駅までは全て下り坂、自転車をこぐ必要はない。
観光案内所で貰ったガイドマップによれば、ワイナリーが駅前に在るので行ってみることに。

更に、その手前に「ヴァンホーレ通り」と言うのもある。
今年3月に甲府を訪れた時に商店街の中に「ヴァンフォーレプラザ」と言うグッズなどを売っているクラブハウスを見つけた時は羨ましかった。

地図上の「ヴァンホーレ通り」を探しても見当たらず、通りがかりの人に訊ねたら、以前に事務所があったらしいが分からず。



そこから間もなくで、「サドヤ ワイナリー」に到着、
ヨーロッパのシャトーを思わせる、洒落た作り。



中庭にブドウの木が植えられ、収穫出来そうに熟している。


レストランもある。
この日は貸切だった。



この建物が醸造所らしい。

申し込んでおけば「見学ツアー」もあるようだ。





事務所を挟んでワインの直売所と休憩所。
昔懐かしい1升瓶入りも売られていた。



テイスティングも出来る。



休憩所で「サドヤ」の歴史などが放映されていた。

明治42年(1909)江戸時代より続く「油」佐渡屋を洋酒 ビールなどの代理店「サドヤ洋酒店」に転業 。
大正6年 (1917)1代目 今井精三、ワイン醸造「サドヤ」を創業。
昭和11年(1936)今井友之助が中心となり自家農園を開墾 フランスより醸造用品種の苗木を導入 。甲府市の東側
昭和14年(1939)導入した欧州種による醸造開始 。
昭和20年(1945)空襲により醸造場全焼
昭和25年(1950)ヴィンテージ1946年を売り出す
昭和41年(1966)今井裕久 渡仏、モンペリエ国立高等農学校に留学
平成元年(1989)南フランスに農場「シャトーレアルドール」を取得
(HP も参考にしました・日本のパイオニア的なワイナリーと思いました)

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武田神社@甲府市古府中町2611

2016年08月18日 15時34分39秒 | 
武田神社@甲府市古府中町2611



8月7日18:00キックオフの水戸ホーリーホック対松本山雅FC戦を観戦し、翌日に松本観光する予定であったが、昼から夕方までの間に予定したと所は一応訪ねることが出来た。
8日は月曜日で一部の美術館や博物館は休館日なので急遽、甲府に向かうことに。

松本~甲府は約2時間。

甲府駅に着いて観光案内所で貸自転車を訊くと「レンタサイクル甲府」と言うシステムが有り、甲府ホテル旅館組合が事業者。ホテルなどで1日500円で電動アシスト自転車が借りられる。
北口駅前の「ホテルニューステイション」で借りることが出来た。

ホテルから北上して武田神社を訪ねることに。
甲斐の武田氏はひたちなか市の武田がルーツとの説もあるやに。

ホテルから「武田通り」を真直ぐ行けば突き当りと言う感じだが、これが結構な距離。
アシスト自転車だから何とかなったが、猛暑日の日中で汗だくだった。
駅から約4キロ㍍位だろう。

神社入り口まで登って振り返れば甲府の街が望めるが、かなりの坂道だ。

神社の碑から神橋・参道・本殿を。


「武田神社」は信虎、信玄、勝頼の武田家3代が60余年にわたって居住した躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の跡地に鎮座し、ご祭神として武田信玄公を祀っている。




壱の鳥居。



弐の鳥居。



「名水・姫の井戸」
拝殿左脇の「姫の井戸」は武田信玄の娘が誕生した際に、産湯として使用したとされる古井戸で、御神水が絶えず流れている。



「甲陽武能殿」

能舞台であろうが、新たに建設されたように見える。



可なりの汗をかいたが、シャツを取り換え、名水を飲み、木立の中で休めば生気を取り戻した。

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松本と引き分け@アルウィン

2016年08月18日 12時35分36秒 | 水戸ホーリーホック
松本と引き分け@アルウィン








松本には昼前に着いたがホテルの貸自転車を利用したので、松本城・旧開智学校・中町通り・松本市美術館・まつもと市民芸術館・旧制松本高等学校校舎・旧制高等学校記念館などを巡ることが出来た。
何処へ行っても観光客をもてなす心が感じられた。
舗道や案内も完備してお居り、自転車も走りやすい。
ホテル等に宿泊者用に無料の貸自転車が用意されているのも有難い。



猛暑日であったが、市内各所の湧水飲み場、何処も冷たく美味しい。
アルプスの雪解け水が地下を通って湧き出すのだろう。
これも嬉しい事だった。



市役所前の湧水飲み場。



駅前のバスターミナル。

アルウィン(松本平広域公園総合球技場)までは駅前のターミナルを始め、3箇所位から 無料のシャトルバスが運行されている。
球団の財政規模なのだろうが、水戸でも無料のシャトルバスが運行できるようになりたい。

アルウィンは収容人数2万人の球技専用スタジアム。
客席が間近で、臨場感のある観戦が楽しめる。



水戸のサポーターも300人位はいただろう。
7月3日松本から水戸に来た数よりは少ないのは残念だ。

この日の観客数は13379人。
水戸の倍以上だ、J1でも恥かしくない人数だ。
松本山雅FCの熱き想いが伝わってくる。

その松本に対し、一進一退の攻防が続くがゴールが生まれないまま迎えた後半37分には、松本に移籍した三島が投入された。
両チームのサポーターから大歓声を浴びるが、決定的な仕事はできずに0-0でタイムアップ、2位の松本に対し大健闘だった。

無料のシャトルバスに乗って駅前に戻る。
駅前の何本かの路地に沢山の飲食店が在る。







何処にしようと迷うが、スポーツパブに入ってギネスを。
勝ちゲームなら意気上がるが、1人飲みで引き分けとあっておとなしく飲んだ。

それにしても、駅前にこれほどの飲食街が在るのは羨ましい限り。
無い物ねだりかもしれないが、全ての面で水戸より優れていると感じた。

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バンカラ目線で松本歩き@旧制高等学校記念館

2016年08月18日 02時53分35秒 | 
バンカラ目線で松本歩き@旧制高等学校記念館







旧制松本高等学校本館、入り口。





旧制松本高等学校は日本で9番目の官立旧制高等学校として1919年(大正8年)に開校し、1949年5月に信州大学発足にともない包括され、1950年3月に廃止された。跡地は「あがたの森公園」として、自然豊かな森の中に「われらの青春ここにありき」の石碑や旧制高校記念館がある。

水戸にも全国13番目の官立高等学校として1920年(大正9年)に設立された
旧制水戸高等学校、略称は「水高」(すいこう)があり、1949年、茨城大学発足に伴い1950年3月に廃止されたのは松本と同じ。







「あがたの森」の一角に旧制高等学校記念館が在るとのことで訪ねたら「バンカラ目線で松本歩き」と言う企画展が開かれていた。

旧制高等学校の数は少なかったから、全国各地から高校入学のために集まった。
旧制松本高校生の第22回(昭和17年)理科乙類クラスの卒業アルバムに収められていた「松本市御案内」図を中心に、彼らがどのような場所で青春を過ごしたのかを辿る企画だ。

当時の高校生は10代後半ながら、大人として扱われていたから、花柳界などにも出入りしたのだろう。



中央に破帽を被りマントを翻し高下駄を履いた「バンカラ」と呼ばれた典型的な旧制高校生の像。
水戸も正しく同様で、同じような銅像が偕楽園に建っているが、端のほうで見ることは少ない。
駅前か大工町辺りに移転したらどうだろう。

大工町は旧制水高生のホームグランドだったらしい。
水高の廃止の頃、僕は小学生だったが、近所に居た水高生にあこがれ、高校時代は高下駄など履いて通学した同級生は多い。

時代は変わって「バンカラ」は死語となり、「イケメン」と呼ばれる美しい男たちがもてはやされる様になったが、反時代的な生き方も必要だ。

後記高齢者の吾々も、物分かりのいい爺さんバカりでなく、偏屈で頑固親父も必要だろう。
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まつもと市民芸術館@松本市深志

2016年08月17日 14時58分08秒 | 街創り
まつもと市民芸術館@松本市深志




松本駅から旧制松本高等学校の跡地の「あがたの森に」至る幹線道路は「あがたの森通り」と称し文化的な雰囲気がある。
途中に「松本市美術館」や「まつもと市民芸術館」が在るからそう感じるのかもしれない。
どちらにしても、松本は文化の香りがする観光都市で、水戸も見習うところが沢山ある。

「まつもと市民芸術館」は館長兼芸術監督に俳優・演出家の串田和美を迎えて2004年8月に開館した。設計は日本を代表する建築家の一人伊東豊雄。
水戸でも「新市民会館」の建設計画が進行中で、奇しくも伊東豊雄が設計すると報じられてもいたので、是非見学したいと思っていた。

日本最大級の音楽祭であるセイジ・オザワ 松本フェスティバル(旧称サイトウ・キネン・フェスティバル松本)の主要会場で、水戸芸術館の館長は小澤 征爾という、縁もある。

敷地は松本も水戸も約1haで同じだが、水戸は正方形で松本は細長い。



松本は奥に行くほど高くなるが、手前は2~3階程度だから圧迫感はない。



正面右斜め前方より




正面左斜め前方より





主ホールに至る階段とエスカレーターはなだらかな坂道、と言う感じでかなりの距離が在る。

この日は催事はなかったが、エントランスやギャラリーショップなどは入場可能。






ホールのロビー周辺は幻想的な照明。



建物は地上7階地下2階建てで、内部には約1,800席の主ホール(800から1,400席まで規模を調整できる)、240席の小ホールのほか、主ホールの舞台を利用した約400席の実験劇場、リハーサル室やレストランなども完備している。



日本では比較的珍しい4層のバルコニー席を備える馬蹄形の主ホールは、田の字型の巨大な4面舞台を備え、幅広い演出に対応している。


催事が開催されていない状況でホールの中も見られないし、短時間の見学だから多くを云えないが、水戸の新市民会館計画の考え方の違い、疑問が幾つか思い浮かんだ。
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草間彌生・魂のおきどころ@松本市美術館

2016年08月16日 20時56分14秒 | 美術館
草間彌生・魂のおきどころ@松本市美術館









美術館正面の巨大モニュメント「幻の華」


現代美術の世界で、一番人気のある日本人作家は「草間彌生」とも言われる。
1929年松本市に生まれ、10歳の頃より水玉と網模様をモチーフに絵を描き始め、水彩、パステル、油彩などを使った幻想的な絵画を制作。
1957年渡米、ニューヨークを中心に世界各国で活動するが、1973年に帰国し、都内にアトリエを構え、本拠地とする。
昨年、テレビの番組で見たのだが、東京の事務所を仕切っている方が水戸出身であることを知って驚いた。

上田薫さんが「フジテレビギャラリー」での個展の際、観客として來廊していた草間彌生を見た時、感激したことも思い出した。



2002年に開館した松本市美術館の開館記念展を開催。
開館後は常設展示室が設けられ「松本でなければ体感できない草間彌生の現在と原点」は


松本時代(1929-1957)
ニューヨーク時代(1958-1973)
帰国後(1973~)




各時代の作品を一堂に観られる良さがある。



人気のある《かぼちゃ》シリーズ




かねてより訪れてみたと思っていた美術館に、水戸ホーリーホックと松本山雅FCの観戦を兼ね実現したのは嬉しい。
Jリーグの良さは、相互の街を訪問し、その土地の食や文化を愉しむことも大きな目的だ。

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国宝・松本城@松本市丸の内

2016年08月16日 16時32分04秒 | 
国宝・松本城@松本市丸の内






松本城を訪ねるのは今回で3回目だが、最初は40年前で次が20年前頃なのでよく覚え得てはいないが、天守に登った記憶はある。
日本のお城の天守閣で国宝に指定されているのは松本城[長野県松本市]、姫路城[兵庫県姫路市]、松江城[島根県松江市]、彦根城[滋賀県彦根市]、犬山城[愛知県犬山市]の5つだけ。
何れの城も、明治時代になって破壊や売却の危機を乗り越え、地元の人達の保存にかける情熱によって修理保存されてきた。
松本城に付いても同様な苦難な道を辿った上の現状であることは大切。






本丸に入る正門の「黒門」昭和35年に復元された。
水戸市に於いても「大手門」「隅櫓」の再建が予定されているが、史実に基づいた図面と、神社仏閣など専門の業者による復元でなければ意味がない。
最近、水戸二中と水戸三高前に幾つかの門等が再建されたがあまりにもちゃちすぎる。この様なことは繰り返してほしくない。

さて、黒門から天守に至る途中に待合所があり、約60分の待ち時間。
更に、内部見学で1時間とあっては余裕がないので、内部は諦めることにした。
8月7日、夏休み中の日曜日だから、大勢の観光客だから仕方がない。
外国からの観光客も多く並んでいた。



天守の高さは約30m。
日本に現存する最古の五重天守。



二の丸御殿跡。
発掘調査の後は史跡公園として復元された。

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戦争と平和展 @松本市立博物館

2016年08月16日 13時55分56秒 | 博物館
戦争と平和展 @松本市立博物館



“青春18切符夏の陣”第1弾は松本に。
水戸ホーリーホック対松本山雅FC戦の応援に。
水戸発の1番電車で上野~新宿~高尾~甲府~松本。



昼前には長野駅に到着。



駅前の「ホテル飯田屋」
チェックイン時刻の3時前なので、荷物を預け、貸自転車を借りる。
松本市内のホテル・旅館では貸自転車が無料と言う嬉しいサービスが一般的。
これなど、水戸でも見倣って貰いたい。

何にはともあれ、国宝・松本城へ。



敷地内に「松本市立博物館」が在り、松本城と博物館の共通券を購入。



特別展「第6回戦争と平和展 戦争の記憶と記録から平和を考える」が開催中。

松本市立博物館は明治39年、松本尋常高等小学校内に「明治三十七、八年戦役紀念館」として開館したことに始まり、平成18年には100周年を迎えた歴史ある博物館。
歴史・民俗分野の収蔵資料による「松本の歴史」、「松本歳時記」をメインに、「松本の伝統工芸」、「松本ってどんな街」、「松本まるごと博物館」などが展示されている。

特別展では「特攻兵が飛び立つときー松本から知覧へ」など戦時中の暮らしを偲ぶ展示物が沢山あった。






NHKの朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルとなった『暮らしの手帳』の第96号「特集・戦争中の暮らしの記録」も展示されていた。
戦争の体験は語り継がれなければならない。



観光都市松本「観光情報センター」や案内板など充実しています。
18:00キックオフ、既に松本山雅FCのサポーターが市内のあちこちに。


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終戦記念日

2016年08月15日 23時28分01秒 | 平和
終戦記念日

1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇はラジオを通じ、日本の降伏を国民に伝えた。
私は1941年12月生まれ、「水戸の空襲」(1945年8 月2日)前の7月17日、勝田の軍需工場に対する艦砲射撃の際、母親に背負われ、千波方面に逃げた記憶がうっすらとあるが、間もなく、父親の故里の栃木県に母親と次姉と疎開した。4歳にも満たなかったから、当時の記憶は殆んどない。
我が家は犠牲者がなかったのが幸いだったが、衣食住、全てに渡って何もない時代だった。

満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと拡大した戦争は15年に及び、日本の戦没者は軍人・軍属230万人、民間人80万人。
アジア・欧米諸国にも多くの犠牲をもたらした。

終戦の前に生まれた世代は人口の2割を切った、とのこと。
私より年長で戦争体験のある方たちは確実に少なくなっている。

戦後生まれ方々に勇ましい愛国心を唱える人が増えたように思える。
中国や韓国の若い方々も同様らしい。
日中、日韓関係のギクシャクが増幅しているのは残念だ。
お互いに理解が出来ず、より先鋭化してしまうことに不安を感じる。

語り継ぐことや当時の状況を客観的に知ることで、相互の理解が深まるのではと信じている。
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水戸の祭り@南町2丁目・3丁目

2016年08月06日 21時47分46秒 | イベント
水戸の祭り@南町2丁目・3丁目













写真のみでごめんなさい。

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松本に参戦@アルウィン 松本平広域公園総合球技場

2016年08月06日 20時45分03秒 | 水戸ホーリーホック
松本に参戦@アルウィン 松本平広域公園総合球技場
8月7日(日)キックオフ:18:00





26節の金沢戦では、3-0の快勝を収めた。
佐藤 和弘を信じて参戦。

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8月6日は広島原爆の日でリオデジャネイロ五輪が開幕した。

2016年08月06日 09時44分59秒 | 平和
2016年8月6日

リオデジャネイロ五輪が開幕








南米初開催となるリオデジャネイロ五輪は5日午後8時(日本時間6日午前8時)からリオデジャネイロ市中心部のマラカナン競技場で開会式を行い、4年に1度の祭典が開幕した。
史上最多の205カ国・地域が参加し、個人資格での出場も含め1万1000人を超える選手が17日間の熱戦を繰り広げる。


広島原爆の日 






原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典が行われた。
広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表し、広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと訴えた。
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靴直し『SECOND FIDDLE』@水戸市白梅1-5-9

2016年08月05日 21時22分55秒 | 街創り
靴直し『SECOND FIDDLE』@水戸市白梅1-5-9







靴に対する拘りが強い人は多い。
かくゆう私も靴を並べ、靴磨きをするのが楽しみだった。

そんな話も昔の夢、今は1足数千円の運動靴で満足している。

偶々、水城高校の脇の坂を登っている時、何だろう?と言う店が在った。




入ってみれば、靴の製造や修理の店らしい。







大阪生まれの店主・酒井啓輔さんは浅草で製靴の技術を学んだとのこと。
奥さまの実家の水戸で開業して1年を過ぎたとか。


僕も服の直しや稼業をしたことが有り、靴の直し屋がないものか?
と探したこともあった。

今では直しを掛ける靴は皆無だが、その様な希望の方には紹介したい。

良い店と出会った時は無性に嬉しい。
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K-SHOPの木村さん。

2016年08月04日 23時18分16秒 | 街創り
K-SHOPの木村さん。





水戸駅の北口を出て左側に丸井が出店したのは何時のことか?
小さなビルだったが、丸井の人気は高かった。
1993年(平成5年)2月に東側の再開発ビル移転するまでこの地で営業していたが移転後は暫く空き家。
立て替えられ、現在はアデランスなどが入る雑居ビルとなっている。

北口には西友水戸店が1971年の開店し、南町や泉町ばかりでなく駅前も活況を呈するようになった。(現在は取り壊され空き地9




隣の中村ビルは、以前は駅前で唯一ともいえるビルでバーやダンスホールもある文化的ビルだった。大型のビルに立て替えと同時に、野村証券と高島屋が入居することになった。

高島屋は「水戸ローズランド」と呼ぶファッションビルで地下は若者向けの小さな店が出来た。
角の出張った部分は見晴らしが良く、1階から5階まで各種の飲食店が入居し、水戸の名所となった。

1976年、木村さん夫妻は高島屋の地下にアクセサリー「K-SHOP ケー・ショップ」を開店した。
ご主人が制作し奥様が販売する手作り感覚で人気が出た。

サントピアが1978年に開業したが、暫くして業績不振で東京から出店した会社が撤退し歯抜けの状態となり、市内のやる気のある若者を募って「命がけ店舗」を企み、起死回生を狙った。
サントピアの企画室から声がかかった木村さんは、アクセサリーではなく洋服のセレクトショップとして出店した。
同時に出店した「YOコネクテブ」の大内義美さん等共に、地元の同世代の人達と競いながら徐々に業績を伸ばした。
サントピアの盛況と活況の源はこうした地元の若者によるところが大きく、決して東京資本の全国展開の店ばかりではない。
当時の店で、今でも市内の各地に分散して営業している店は多い。




木村さんの「K-SHOP ケー・ショップ」(水戸市中央2丁目5-24)は逆川が桜川と合流する場所の若干上流の川べり、大きな楠とレンガ造りに蔦が絡まった個性的な店として継続している。

地元志向で、顧客と親戚の様な親しい関係を築きながら商売するのはサントピアの遺伝子だと思う。


木村さんがさらに尊敬できる人物に思うのはカフェレストラン 「K'S CLUB ケッツクラブ」(水戸市城南1丁目3-4)のオーナーであることだ。




駅南に水戸市役所が移転したが、街としての体裁が整わないがこれから発展すると思われる場所に、奇妙な建物が出来た。




奥には樟の大木が1本植わっている
平屋でアールデコ様式のガラス張り。
そこに、ベントレーと思われるクラッシクカーが1台置かれて在るだけ。
地下もありそうだが、何が在るわけでもなさそう。

何が出来るかと興味津々であった。




数年の後、地下にパスタを中心としたレストランとして開業した。
内装はアンティークな匂いの漂う空間。
高層化した方が効率は良いのに敢えてそうはしない。

それから35年位経つだろうか、そのレストランは今でも活況を呈している。
栄枯盛衰の激しい飲食業界で継続することは並大抵ではなかろう。

「K-SHOP」にも「K'S CLUB」にも木村さんが顏を出して差配しているようには思えない。
店舗の建築からそうだんした内装まで、商品やメニューの構成まで全ては木村さんなり奥様との相談の上だろうが、決して表に出ることはなく裏方に徹している。
この様な運営の仕方もサントピアの遺伝子のように思える。

サントピアの解体工事も進んでいるようで、何れ近いうちに姿を消すことだろう。形はなくなろうとも、遺伝子は多くの人達によって受け継がれていくだろう。

サントピア水戸の時代への挽歌 其の⑬
「サントピアの遺伝子」其の3
●この一連の記事は高橋の感想と書き込みの有ったメッセージを転載してあり、登場人物に取材したり、事実を確認してはない単なる「お話し」として読んでいただきたい。
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