ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「移転」

2023-04-26 | 日記・エッセイ・コラム
(写真は、記事の内容に関係無く、ウチの庭に咲いている「オルレア」の花です。^_^ 「レースフラワー」ともいうらしい。)

 私は、以前から評判の良い「整体」を、知人から紹介してもらい、だいたい「月に1回」のペースで、かれこれ7年ほど通ってます。(^.^)
 「整体」と言っても、「カイロナントカ…」いう類のモノではなく、「オステオパシー」という、「手による施術」で、「ボキボキする」わけでもなく、「マッサージ」でもない、なんとも表現し難いモノです。(^^;

 この「オステオパシー」は、欧米では「医療行為」として「認められて」いるそうですが、日本では、まだ「国家資格」でもないそうで、そのために「看板を出す」のにも、色々と大変なようです。(・・;)

 そもそも、私が、そこに通うようになったキッカケは、「骨折」が原因でした。(・・;)  雨の日に、サンダル履きで駆け出したところ、家の庭の敷石につまづいて転び、右肩を打ってしまった…という状況で、右肩を複雑骨折。結局、リハビリまで終わるのに「半年」かかってしまいました。(´∀`)
 さて、リハビリまで終わっているのに、その当時は、なんとも「胃腸の調子が悪い」感じでした。元々、「胃腸」は丈夫な方で、特に不調だったことは無いのに、不思議に思っていると、ある知人とのお喋りを通じて、「身体が歪んでいること」が原因で、同じような症状が出ることを知りました。(・・;)
 その時に、紹介してもらったのが、この「整体」。聞けば、別の知人たちが、よく話題に出していた「整体」と、同じ所でした。(^^;

 その、元々の知人に、その件について話してみると、「そこは、優秀だから、ぜひお薦め!」とのこと。(^。^) その知人の方は、もう10年以上通っていて、「坐骨神経痛」も、そこで「治った」との話でした。
 元々は、「お母様」が一人でやっていて、やがて「人気」となり、かなり遠方からも、患者さんが通ってきて、一時は、なかなか予約も取れないほどだったそうな。
 その後、息子さんが、修行をして資格を取り、今は「2人体制」となったので、予約も取れるようになった…という経緯があるそうです。(^^;

 ということで、通うようになった、この「整体」は、ごく普通のご自宅の、たぶん「応接間」と思われる部屋を、少し改造して、「施術室」にしていた感じでした。

 その部屋にて、先生のお父様が、主に「手入れ」をされているという「お庭」を見ながら、「施術」を受けるひと時が、なんとも「心地良い」もので、私の「お気に入り」でした。(^-^)
 先生の「お見立て」では、私は元々「股関節の不調」もあり、「転んだ」ことで、「身体の歪み」が生じてしまっている…とのことでした。

 「股関節の手術」を受ける手段もあるけど、私の場合、特に「痛みがある」わけではないので、「急いで手術をすることは、勧めない」と、先生と、その「お母様」である「大先生」との、お二人から「声を揃えて」言われました。(°_°)
 ということで、「身体が歪まないように」、定期的に施術を受けるようになったわけです。




 実はその「整体」のお宅が、今度、路線が延長されることになっている「ひたちなか海浜鉄道」の近くにあり、「延長線上」に「当たって」しまい、移転することになったのでした。(°_°)

 ここ3ヶ月くらい、私の方の都合で、整体に行けてなくて、先日、久しぶりに行ったところ、既に「新しい場所」に移転が完了してました。(^.^)

 新しい場所は、周辺の小中学校が統合されて、新しく出来た学校の、目の前で、「ひたちなか海浜鉄道」の線路の近くでもあります。
 新しいだけあって、建物は「木の匂い」のする「気持ち良い建物」で、「薪ストーブ」もある…という新居は、オシャレでステキな雰囲気でした。
 今度は、「施術室」と「母屋」を「別に」して、屋根で繋いでいる建物となってました。




 先生に、以前のお家のことを尋ねてみると、「既に、更地になっている。」とのこと。(・・;)
 帰りがけに、その、「前のお宅」があった場所に寄ってみると、言葉通りに「更地」になってました。
 「小じんまり」としていたけど、色々な植木のあった「感じの良いお庭」も、全て「無くなって」いて、なんだか「淋しい」気分になりましたネ。♪( ´θ`)
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衝動買い

2023-04-17 | 日記・エッセイ・コラム
 「あるモノ」を求めて、隣町にある、大きめの「TSUTAYA」さんに行ってきました。(^.^)
 以前、自分用に買って、とても「気に入った」ので、友人に紹介し、ついでに「プレゼントしちゃおうか?」と考えて、探しに行ったわけですが、書店内の「置き場」も変わり、ラインナップも変わったようで、ついに見つかりませんでした。(*´-`)

 しかたない、やはり「ネットで」買うことにするか?

 そんなことを考えなから、文具コーナーを歩いていると、ユニークなノートのコーナーに遭遇しました。(^.^)
 とにかく「表紙」の絵がユニークで、「浮世絵」シリーズもあり、どれも「キレイ」で、見惚れました。

 その中でも、私としては、見出し写真のノートに惚れ込んでしまい、特に「使う目的も無い」のに、つい買ってしまいました。(^^;




 「四葉のクローバー」モノには「目がない」私。更に、動物たちのイラストも、私の好きな「テイスト」。




 中のラインの色や、イラストも、良い感じ。(^-^)

 「200円弱」の値段だから、まあいいか〜。ということで、「何に使おうか?」たかが「ノート1冊」で、ちょっと「嬉しい気分」になっているところです。^_−☆
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「荒城の月」の話

2023-04-16 | 音楽話
 この時期、「うたごえ広場」にて、毎年選曲している「荒城の月」。
 「♪ 春高楼の花の宴」の歌詞から、「花」=「桜」…ということで、「ふさわしい」かと思いまして。(^.^)
 でも、「2番の歌詞」は、「♪ 秋陣営の霜の色」となってしまうんですけどね。

 先日、この曲をみんなで歌っていて、ちょっと「気になること」がありました。

 それは、「千代の松が枝 わけいでし」の箇所を歌う際に、私がずっと使っている楽譜によると、

 「♪ ちよの まつ〜がえ〜 わけい〜でし〜」(Aパターン)と書いてあるので、ずっと、このパターンで歌ってきましたが、最近入ったメンバーさんは、

 「♪ ち〜よの〜 まつがえ〜 わけい〜でし〜」(Bパターン)

 と歌われているのです。(・・;) そこで、そういえば、私が今使っている楽譜は、高齢者向けのレクレーション用の「歌本」からコピーしたモノなので、もしや「違っているのかも?」と思い、帰宅後に、別の楽譜と比べてみました。



 すると、「声楽用」の歌曲集2冊(「全音」「ドレミ」)によると、どちらも「Bパターン」で書かれてました。(°_°)
 これはやはり、「安直な?」歌本だから、間違っているのかな? と思い、今度は、息子が中学校で使っていた「歌本」の方を確認してみると、そちらは「Aパターン」で書かれてる。


 ってことは、今使っている楽譜が「間違っている」わけでもなさそうで…。♪( ´θ`) これは、今後、どうしたものか? ちと悩みますね。

 ところで、この曲の作曲者は、瀧廉太郎氏。没年齢が23歳というから、この曲も二十歳そこそこの時に作られているわけですね。(*´-`)


 「東京音楽学校」(今の「東京芸大」)を出て、その後「ヨーロッパ」に留学したものの、半年足らずで「肺結核」に罹ってしまい、帰国療養することになったそうで、さぞ「無念」なことだったでしょうネ。(*´-`)

 この方は、お生まれは「東京」とのことですが、お父上の仕事の都合で、何箇所か転々とし、最終的な「病気療養」は、ご一家の故郷である「大分県」で、されていたようですね。
 そういえば、私の住む「大洗」は、海岸付近の「松林」が、昔から有名ですが、「松の木の、木肌から出る成分」が、「肺に効く」とのことで、「肺結核の病気療養」に、昔から「著名人」たちが、けっこうな人数、来ていたらしいですね。

 町の「歴史学者」の方のお話では、「瀧廉太郎」氏が滞在されていた…という記録は無いそうですが、かの「水戸黄門」こと「徳川光圀公」が詠んだ歌に、曲を付けて「荒磯」という曲を作曲されているし、その曲調から、どう見ても「大洗海岸の荒波の様子」を「見たに違いない」と思われるフシがあるので、これは、私の個人的な想像ですが、瀧廉太郎氏は、少しの間、「大洗」にも来ていたのでは? と考えております。(^^;

 この「荒磯」という曲は、未発表で、研究家の方が、瀧廉太郎氏のご自宅から、楽譜を発見した…との話ですね。(・・;)
 

 話は変わって、「荒城の月」のモデルとなった「お城」はどこか? との話によると、現在では、作詞者、作曲者の「縁の土地」にある「お城」5箇所ほどに「荒城の月の歌碑」が作られているそうですが、作詞者「土井晩翠氏」が、後に語った話によると、「イメージ」したのは「会津鶴ヶ城」なんだそうですネ。(^-^)



 この「荒城の月」の歌は、毎年採り上げても、皆さま「朗々と」歌われていて、「根強い」人気曲であることは、間違いないですね。^_−☆

 そういえば、この曲について、もう一つエピソードが。(°_°)
 なんと、この曲は、ベルギーにて「讃美歌」となっていて、ミサの中でも「重要な場面」にて、歌われるそうな。
 実は、「瀧廉太郎」氏は、この曲を作曲した年に、洗礼を受けてクリスチャンになっているそうで、そのことも関連しているらしいですね。









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「カラスノエンドウ」と「スギナ」

2023-04-11 | 日記・エッセイ・コラム
(見出しの写真が「カラスノエンドウ」)

 2年ほど前から、毎朝の「庭パトロール」を続けているわけですが、その時に、「ついでに」少しずつ、取れる分だけ「雑草取り」も行ってあります。
 その成果は、思ったより大きくて、少なくとも「ジャングルのような状況」には、ならなくなってきましたネ。(^^;

 昨年の春頃には、ある時期に一斉に、「同じ形をした草」が、まとまって出てきたので、とにかく、片っ端から「抜いて」いきました。
 「出てきたばかり」の草は、取り除くのも簡単で、そのため、昨年は、この「草」に悩まされることが無かったです。(^^;
 「その草」とは、毎年、多く繁殖して悩まされていた「ハルジオン」(別名「ビンボウ草」)。


 そして、今シーズン、気がつけば、あっという間に繁殖している「草」が2種類。それが「カラスノエンドウ」と「スギナ」です。


 (「ツクシ誰の子? スギナの子」のスギナ。「ツクシ」は可愛らしいんだけど、この「スギナ」の繁殖力の強さには、参ります。(*_*) )

 とにかく、「毎朝」見ているはずなのに、気がつけば、「大きく」なっている…。
 そこで、その2種類の草だけ、試しに「抜いて」みると、思ったより簡単に「除草」出来ることがわかりました。(・・;)
 つまり、「急速に」成長したモノは、「抜く」のも、比較的「簡単」ということです。
 特に「カラスノエンドウ」の場合、「ツル性で、まとまっている」ため、「ひと塊り」として抜き易く、抜いた後が、思いっきり「スッキリする」感じですね。(^。^)

 まだまだ、「先は長い」ですが、このペースで、時間を見つけては「抜いて行こう」と思いました。
 「スギナ」も、今なら、それほど「丈が高くない」ので、見つけ次第、「刈って」しまおうと思います。^_−☆
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マスクの効果?

2023-04-09 | 日記・エッセイ・コラム
(写真は、記事の内容に関係なく、ウチの庭に出てきた「野生のスミレ」です。^o^)

 コロナ対策の「マスク着用」が、「自己判断」となりつつある昨今、今度は反対に、今までずっと「マスク姿」だったので、「別の意味で?」外すのが不安になっている人も、けっこういるらしいですね。(・・;)
 それは「すっぴんを見られたくない…」という気持ちだそうで…。
 先日は、テレビの情報番組にて、街頭インタビューをしている光景が映りましたが、その中では、小学生の女の子までが「すっぴんを見られたくない」と話していて、私としては、ちょっと笑いました。(^^; たぶん、親たちが話していることを、同じように「思い込んでる」のかな?と。

 実は昨日、この「マスク効果?」と思われる現象を、目の当たりにする出来事がありました。
 数日前に私の誕生日を迎えたので、その「お祝い」として、水戸にある、家族に人気の「ステーキハウス」に行くことが出来ました。(^。^)
 このブログ内でも、紹介したことのある「ピアノ生演奏の聴けるお店」です。
 以前は、半年に1回は行っていたものですが、コロナ禍以来、久しぶりに行った感じですね。
 そのお店は、元々「人気店」なので、前日に「予約」を試みたものの、既に「予約席はいっぱい」とのことで、「待つしかない」状況でした。
 6時半には、お店に着いて、受付に名前を書いたものの、既に「20組待ち」ということで、「待合コーナー」にて待ってました。(・・;)

 同じような立場の人たちも、大勢いて、それぞれ、車の中で待つ人、入り口近くの「テラス席」で待つ人、などそれぞれで、ウチの息子たちは、周辺のお店を見物しに行ってました。
 夫は、ウォーキングに行ったものの「寒くてダメ…」とのことで、車の中で待ってましたね。(^^;

 結局、席に着けたのが8時過ぎ頃なので、約1時間半は待っていたことになります。(^-^)
 その間、私は、スマホをいじったり、先にメニューを見て、食べたい品を選んだり、そうしているうちに、ピアノ生演奏も始まったので、それを聴きながら、同じく「待合室にいる人たち」の「人間観察?」などをして楽しんでました。(^_^)


(気が付けば、満開になっていた「ドウダンツツジ」。(^.^) 「クリスマスローズ」との競演?)

 元々「人間観察」の好きな私。最初の頃、隣りのスペースにいたのは、7人連れのご家族。(^^) 爺ちゃん&婆ちゃん、若夫婦、に小さな子どもたちが3人。ほのぼのしていたけど、「お腹すいた〜!」「眠くなっちゃった〜!」などと、それぞれ訴える子どもたちに、対応する「お母さん」の様子を見て、私も通ってきた道だけど、「忙しそうだなァ」と、同情してみたり…。(*´-`)

 次に「気になった」のは、ピンク色の長靴を履いた、小さな女の子。(^_^)
 独特なメガネをかけていて、なぜだか、頭の上には「ティアラ」、そして、首には、自分で作ったらしい、「紙製のカメラ」が下がっている。
 この子の動きを、目で追っているだけで、なんとも「微笑ましい」というか、可愛らしくて、つい「見て」しまいましたね。(^_^*)

 そして、次に「気になった」のが、「7人家族」がいたスペースに、やってきた、男性2人組。
 1人は「40〜50歳代くらい?」で、もう1人は、たぶん「30歳前後?」くらい。少し聞こえてくる話の内容から察するに、職場の先輩&後輩の間柄らしい。
 この「若い方の男性」が、今回の「テーマ」となった方です。(^-^)
 この方は、「黒いマスク」を付けてらっしゃって、その上に見える「目」が、とても印象的でした。(^。^)
 大きめな「切長の目」で、横顔も美しい。着ているファッションも、さりげなく「センスが良い」感じだし、話している時の「声」とか、内容も、どれも「好印象」。
 私がもし、彼と「同じ年代」で、「同じ職場」にいたとしたら、たぶん「お近付きになりたい」と、考えるだろうな…なんて、想像しました。( ^ω^ )
 娘の結婚相手にも、こんな感じの青年だと良いのに…などとも、勝手に考えたりして…。


(数年前に、強く剪定してしまい、しばらく「花」を見なかった「お梻(シキミ)」。今年は「花」が咲きましたネ。)

 我々が「席」に案内されて、注文を済ませ、「サラダバー」に行ったりした時に、ふと、先ほどの2人組が、どこの席にいるのか? 見渡してみたところ、我々の席の「すぐ後ろ」辺りにいるのを、確認しました。(^.^)

 やがて、「美味しい、お肉料理」を平らげ、帰ろうとする時に、先ほどの2人組の席を、チラッと眺めてみました。
 もちろん、「食事中」ということで、お二人とも、マスクを外してましたが、マスクを外した、例の青年のお顔を見ると…、「あれ?」…かなりイメージが違っていました。(・・;)
 マスクをしていた時は、「大きめな切れ長の目」が、とても印象的で、「イケメン」に見えてたけど、マスクを外したお顔は、「ごく普通」な感じの、特に「印象に残らない」感じのお顔でした。

 「マスクで隠れたお顔」の場合、人は無意識のうちに、「自分の都合の良い方向」に、想像してしまうんですかね? (^^;

 そんなことを、ふと考えた、出来事でした。♪( ´θ`)


(最近、あちこちで、よく見かける「ナガミヒナゲシ」の花と、大洗町内にて「芝桜」を見事に育てているお宅の写真です。^_^ )







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「水戸市民会館」の話

2023-04-06 | 地域の話題
 私の出身地は、かつては「水戸市」と「大洗町」との間にある「農村」でした。(^-^) そして、私の実家は、それらを繋ぐ「国道」沿いにあり、しかも「バス停前」という状況だったので、何かにつけ「水戸市」に行くことが習慣となってました。(^。^)
 やがて、その「農村」は、「水戸市」と合併し、今は「水戸市の一部」となっております。

 「水戸市民会館」が、出来たのは、確か、私が中学3年生の頃だったと思います。(^.^)
 完成した時には、叔父が、そこで結婚式を挙げたこともあり、母と一緒に「見学」にも行った記憶があります。

 その後は、何かに付け、よく使ったので、私にとっては「思い出多い」場所となりました。
 ⚪︎様々なコンサート
 ⚪︎市民音楽祭
 ⚪︎高校OG会合唱団の演奏会
 ⚪︎大学の合唱団の定期演奏会
 ⚪︎大学の卒業演奏会
 etc

 その「水戸市民会館」は、元々、地盤の弱い場所に建っていたので、「東日本大震災」の時の被害で、「再起不能」の状態になってしまいました。(*_*)
 そして、「市民会館」の無いまま、時は流れ、12年後の今年、ついに新しい「水戸市民会館」が7月にオープンすることになりました。(^。^)




 新しい「市民会館」の場所は、水戸市の「商店街」のど真ん中。「水戸芸術館」と「並ぶ」形で建ってますね。(^-^)

 かつて、この場所には、商店街のシンボル的に、2つのデパートが建ってました。
 「イセジン」と「シマズ」。我々にとっては、正しく、この場所の「二大巨頭」と言っても過言でない感じのデパートが、メインストリートの国道を挟む形で建ってました。

 その「シマズ」の方が、やがて「京成」という名前になり、それでも、今度は「イセジン」と「京成」として、更に、シンボル的な存在は続きました。
 でも、時は流れ、「イセジン」の方が無くなり、その場所に、新たに「京成」が出来て、元の「京成」の場所は「空き家」となってましたが、その「空き家」だった場所の跡地に、このほど、新しい「水戸市民会館」が建てられたわけです。(^_^)

 実は、私の所属している、大学時代のサークルのOB &OGたちで作っている混声合唱団が、次の定演に、この会場を狙ってまして、このほど、無事「抽選」を勝ち抜き、8月に「中ホール」を借りられることになりました。(^。^)






 何せ、初めて使うホールで、駐車場の問題とか、「舞台裏での動き」とか、不安材料は多いですが、「コロナ禍」明けの心機一転のステージとしては、良いかと思います。
 次の定演が、無事に開けることを願います。(*´∀`)♪

 ところで、この「新しい市民会館」では、こけら落とし公演として、「野村萬斎」氏や、「ゆず」が来る…とは聞いていましたが、ホームページを見ると、次々と「大物アーティスト」のコンサートの予定が入っているようですね。(°_°)



 ⚪︎GReeeeN 
 ⚪︎EXILE・アツシ 
 ⚪︎ゴスペラーズ
 ⚪︎JUJU 
 ⚪︎藤井郁弥
 ⚪︎長渕剛 
 ⚪︎稲川淳二




















 
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民謡「おてもやん」の話

2023-04-02 | 音楽話
 先日行った「大洗音楽祭」にて、若手民謡ユニットの皆さんによる「おてもやん」が強く印象に残っていたので、次の「うたごえ広場」のメニューに選曲しようか?と、色々と調べてみました。(^-^)

 昔から、よく耳にしていた曲ですが、いざ、自分で歌ってみようと思うと、難解な?箇所が多々ある曲でもあります。(・・;)

 まず、楽譜がないか?と、手持ちの資料を当たってみても、結局見つからず、なんとか「歌詞」だけ見つけました。
 それを書き写し、その後、ネット検索で見つけた「歌詞」と見比べて、間違っている箇所がないか? チェックして、「歌詞」に関しては、「清書?」が完了しました。(^^)
 今は、こういう「調べ物」に、ネット検索が出来るので、便利ですね。


 まず、「1番」の歌詞を検証してみると、「御亭どんが ぐじゃっぺだるけん まあだ盃ゃせんだった」とあります。
 「盃ゃせん」とは「結婚式を挙げていない」という意味なのはわかりますが、「ぐじゃっぺだるけん」という意味を、私はずっと「違う意味」に捉えてました。(^^;
 というのも、我々の使う「茨城弁」には「ごじゃっぺ」という言葉があり、それと同じかと思っていたわけです。(^^;
 茨城弁の「ごじゃっぺ」とは、「いいかげん」「間違っている」ことや、そういう「人」のことを指します。

 でも「おてもやん」の中の「ぐじゃっぺ」とは、「顔」のことで、「疱瘡の跡の残った、あばた面のこと」を指すようです。

 ここでの「歌詞の意味」は、「結婚話の件は、役人さんなど、偉い方々が居てくれるので、その方たちが「なんとかしてくれるだろう」…みたいなことのようです。(^^)
 そして、場面は変わり、「賑やかな?‘川端町‘に行ってみましょう!」と続き、たぶん「平凡な男衆のこと?」を云っているような「春日(かすが)南瓜(カボチャ/ぼうぶら)どんたち」が、「尻引っ張って、花盛り」…と続きます。
 
 この歌は、元々は、花柳界の芸者さんたちが歌ったり、踊ったりする「お座敷歌」として使われていたそうなので、「お酒の席」の「盛り上げ役」として、「お色気系」「下ネタ系」の要素を含むと、想像出来ます。(^^;

 その後に続く「ピーチクパーチク…」の後、「ゲンパクなすび」ですが、私はつい「ゲンバク(原爆)」?と考えてしまいましたが、これは「ゲンパク」=「杉田玄白」が勧めた?という「ゲンパクなすび」のこと、或いは「イガイガな形」の「朝鮮朝顔の実」のことでは? とのことです。(^^)
 いずれにせよ、「語呂のユニークな、単なる掛け声」とか、「見た目の良くない、男性たちのこと」を云っているのかも? という説が多いようですネ。

 ここで、この曲について、調査&研究の末、本を出版された「小山良」氏の説明によると、この曲には「作者」がいて、それが「永田イネ」という方。この方は、幕末頃は、由緒ある「味噌」などを扱う商家の娘さんだったけれど、その後の「明治維新」への流れで、商売が厳しくなり、4歳から「芸の道」へ進み、「箏・三味線・踊り」などの師匠として、18歳で独立された経緯の持ち主だそうです。

 そして、「おてもやん」の「モデル」では? と考えられる女性もいるそうで、その方が「富永チモ」さん。
 この方は、小作農家の娘として生まれ、その後、若い時に両親を亡くされて、しかたなく、妹と2人、料亭の下働きをして生活をされていたそうな。
 この「チモ」さんは、「イネ」さんよりも、歳上ですが、やがて、「イネ」さんの「教室?」の近くに住むようになり、「友人関係」になったらしい…とか。(^_^*)


 「2番」の歌詞では、「山」を3つ超えた辺りに、「好きな人」がいるけれど、「女の方から」は言えない…。という話になってきます。
 そこで、「彼岸の頃」になると、お寺にて「夜聴聞(よじょもん)」が開かれて、多くの若者たちも集まるので、そこで、その方と「話しがしてみたい」との流れのようです。(^.^)
 その「夜聴聞(よじょもん)」とは、お坊さんの説教などを聞く集まりらしいですが、若者たちの「出会いの場」でもあったらしいですネ。

 そして、この「おてもやん」は、男性の「見た目」よりも、持っている「銀金具の煙草入れ」に惹かれたそうで、そういう「センス」に惚れるのか? はたまた「懐具合」に惚れるのか? 疑問ですね。(^-^)
 残りの歌詞は、やはり「調子の良い、お囃子」でしょうか?


 更に、「歌われる」ことは少ないようですが、この曲には「3番」の歌詞も存在するようです。(^^)
 でも、前述の「小山良」氏の解説によると、これだけ「方言」などが出てこないし、明らかに、「1番、2番」の歌詞とは、雰囲気が違っているので、ある程度「時が経ち」、色んな人生経験を積んだ後の作者が、「後付け」したものでは? との話ですね。
 でも、「人生の応援歌」的な雰囲気になってますね。(^。^)

 ということで、私なりに「大体の意味」は掴めた感じなので、今は、頑張って、「耳コピー」による「楽譜書き」に取り組んでいるところです。^_−☆


 この曲は、その後「芸者歌手」の「赤坂小梅」氏の歌でレコーディングされ、発売されたところ、「大ヒット」となったそうです。(昭和10年、25年)(^^)
 でも、「方言」を、少しアレンジして歌ったらしく、地元民の方々からは、少し「不評を買った」…との情報もあるそうな。♪( ´θ`)

 「民謡」の場合、必ず?「お囃子(はやし)」が入ることが多いですが、この曲の場合は、「お囃子」に当たる部分が、まるで「セリフ」のように「長く」なっていて、「歌詞が続いている」感じがします。(^^; (「歌詞」の中で、一段下げて書いてある箇所が、その「喋る」部分です。)
 私はふと、「何かに似ている」と感じ、考えてみて、閃きました。(^.^) 
 そうだ、「ラップ」に似てるんだ…。
 「リズムに合わせて‘喋る‘」部分がある曲。
 この曲が、昔から人気なのは、この「調子の良い」ラップみたいな部分があるから…と言っても、過言ではないのかも? と、勝手に思った次第です。^_−☆


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