ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

織姫塚伝説

2007-04-16 | 地域の話題

 昨夜、がんばって書いたのに、気づいたら記事が消えていた...。(T_T) 居眠りして、どこかのボタンをさわっちゃったのかな? 二度目のトライです。

Nec_0271_1  この写真は、いつものお医者さんにある、昭和14年製の町の地図を、携帯で撮ったものなので、見づらいですが、下の方にある川に注目してください。これは、涸沼川で、向かって右から左へ流れています。左の果てが、太平洋への河口につながるわけです。

 この、大きく蛇行した上の方に「呼リ塚」という文字が見えます。この辺りの方言で、「呼ぶ」ことを「呼ばる」とも云うので、おそらく「よばりづか」と読むと思われます。これが、いわゆる「織姫塚」のことだと思います。

 「織姫塚伝説」とは、おおむねこんな話です。(手元に資料がないので、うろ覚えですが...。)郷土史家のO先生が書かれた本の中から、見つけた話ですが、涸沼川を舟で運行する際、よく水難事故の多発する地点があったそうな。そこに沈み込むと、二度と生還した人はいなかったという、怖い地点。人々の言い伝えでは、その川底には「九穴アワビ」と「百尋ワカメ」が生息していて、そこに落ちた人にからみつき、沈めてしまうのだ、という話が語り継がれていたそうです。

 それを聞いた、水戸黄門こと徳川光圀公は、勇敢にも、自らその地点へダイブして行ったそうな。すると、深い深い川底に、機織をしている姫がいて、黄門様を見て、こう言ったそうな。「ここに来た人は、二度と上には上がれないのですが、あなた様は、見たところとても高貴なお方。なので、特別に助けてさしあげます。二度とここへはおいでませんように。」

 ということで、黄門様は、命からがら水面へたどりつき、無事生還できたそうな。そして、川底の姫を不憫に思い、「織姫塚」という記念碑を建てたということです。

 まあ、伝説なので、どこまでが真実でどこからがフィクションなのかわかりませんが、実際、この辺りの川底が、恐ろしく深いのは事実だそうです。その後、昭和の時代になってから、ある事業家の方が、漁をする関係で、プロのダイバーを雇い、この川底の調査を依頼したそうですが、プロのダイバーでさえ、いくら潜っても川底にたどり着けないため、気持ち悪くなって、途中で調査を打ち切ったとか。

 実は、「徳川光圀公」「姫」「九穴アワビ」「百尋ワカメ」このあたりのキーワードには、ある別のヒントも隠されているのですが、その話は、また後ほど。(^^)v

(参考文献:大久保景明著「大洗歴史漫歩」)

コメント (10)
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