「織姫塚伝説」に関する、「裏情報」とでも言いますか、別の解釈による言い伝えの話です。これも、同じ本に書いてあった内容です。
実は、涸沼川のこの地点から少し下った辺りの近く、高台になった地区に、かつてかなり賑わった街がありました。(今でも地名はそのまま残っています。)何で賑わったかというと、いわゆる「花街」です。江戸時代、ここに遊郭を作ることを許可したのは、他でもない光圀公。その後、長い間、水戸のお侍さんや、付近のお金持ちの旦那衆を中心に、大いに賑わったそうです。
今や全国的に有名な、日本三大民謡の一つと云われている「磯節」も、この街の粋人がお座敷に乗せるために、漁師の歌に手を加えて編曲したのが、発祥の元なんだそうです。
遊郭があれば、それに関わる女たちの、生い立ちや数々の悲話は大いに想像できることです。先に挙げたキーワードも、そういう隠語と考えられなくもない。「百尋ワカメ」は「帯」のことでは? という人もいました。
そういう、哀しい定めの女たちのために、慰霊の碑を建てた? そんなことも考えられる話であります。