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行き詰りと発見

先日読んだ『人間の建設』(新潮文庫)より。

小林秀雄と岡潔がトルストイとドストエフスキーの話しをしているときに、突然話がかわる箇所がある。

岡:専門家でないと、どうしても興味本位になっていけないですね。殊に数学が壁に突き当たって、どうにも行き詰ると好きな小説を読むのです

小林:行き詰るというようなことは…

岡:数学は必ず発見の前に一度行き詰るのです。行き詰るから発見するのです

ちなみに、これは岡さんだけのことではなく、他の数学者の場合も同じらしい。

岡:西洋人は自我が努力しなければ知力は働かないと思っているが、数学上の発見はそうではない。行き詰って、意識的努力なんかできなくなってから開けるのです。それが不思議だとポアンカレは言っています。

ということは、物事が行き詰ったときは、何かがブレークスルーする予兆だともいえる。このように「行き詰り」をポジティブにとらえると気持ちが少し楽になるかもしれない。

出所:小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮社、p.90-91.
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『早く家へ帰りたい』(読書メモ)

高階杞一『早く家へ帰りたい』夏葉社

腸の難病のため、生まれて一年の間に五度の手術を受けた雄介君。三年目の夏にやっと退院の許可が出て、幼稚園にも通えるようになった矢先に亡くなってしまう。雄介君の4年弱の生涯を詩にしたのが、父親の高階さんだ。

「おまえはたった三つで逝ってしまった
まだ受け身も知らないままに
その意味を
ぼくはぼくに問う
ぼくは神に問う
なぜ、まだこんなに小さく柔らかな者を
あなたは召されたのですか」
(p. 49-50)

雄介君が家で過ごしていた頃、「ジョーシン(大型家電販売店)」「バンバン(おもちゃの専門店)」「ダイエー(スーパー)」のおもちゃ売り場でミニカーを買っていたという。

「ジョーシン、バンバン、ダイエー
ジョーシン、バンバン、ダイエー
その口癖を思い出しながら
ぼくは
もう誰の目にも見えなくなったこどもを連れて
時折
ジョーシンやバンバンやダイエーに行く
こどもはすぐにミニカーの方にかけていく
どれがいい?
聞きながら くるまを選び
レジに持っていく
店員には
こどもが家で待っている
みたいな顔をして」
(p. 96-97)

吉田松陰は「十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある」と『留魂録』に書いているが、雄介君にも三歳の中に四季があったのだろう。きわめて短いながら、その四年間は、お父さんとお母さんからの愛情をたっぷりと注いでもらった時間だったにちがいない、と感じた。





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『ブラックレイン』(映画メモ)

『ブラックレイン』(1989年、リドリー・スコット監督)

ニューヨークで捕まえたヤクザ佐藤(松田優作)を日本に連行したものの取り逃がしてしまう刑事ニック(マイケル・ダグラス)が、日本の刑事・松本(高倉健)と協力しながら佐藤を捕まえようとする物語。

舞台は大阪なのだが、「謎めいたアジアの国」に見えてしまうのが不思議である。アメリカ人から見ると、日本はこのように映っているのだろう。

映画の出来としてはイマイチだったが、やはり高倉健が良かった(松田優作の演技も悪くはなかったが…)。特に、汚職に手を染めていたニックに対し「悪いことは、悪い」と諭す場面が印象的である。

演技がどうのこうのという前に、人柄がにじみ出ていて、あくまでも「高倉健」を演じているところがすごい。

劇中で流暢な英語を使う高倉健をみて、そうとう英語を練習したんだろうなと思ったところ、彼は高校時代にESS(英語部)を創設していて、もともと英語が得意だったことが判明(Wikipedia情報)。

なお、ヤクザ親分役の若山富三郎の迫力が半端なく、タイトルの「ブラックレイン」と関係するセリフにもグッときた。

脚本がイマイチでも、役者がいいと魅力のある映画になるな、と思った。







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わたしを健やかにし、わたしを生かしてください

わたしを健やかにし、わたしを生かしてください
(イザヤ書38章16節)

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『人間の建設』(読書メモ)

小林秀雄・岡潔『人間の建設』新潮文庫

批評家の小林秀雄と数学者の岡潔の対談。ちなみに、対談が行われたのは昭和40年である。

「有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。日本史上最も知的な雑談といえるだろう」と本書の裏表紙に書いているが、的確な表現だ。

特に魅せられたのは岡潔の姿勢や発言。確信を持って真実を語っていることが伝わってくるからだ。

最も印象に残ったのは「感情」の重要性。

岡潔によれば、数学は知性だけではなく感情によって成り立っているという。

「矛盾がないということを説得するためには、感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです。ところがいまの数学がでできることは知性を説得することだけなんです。説得しましても、その数学が成立するためには、感情の満足がそれと別個にいるのです。人というものはまったくわからぬ存在だと思いますが、ともかく知性や意志は、感情を説得する力がない。ところが、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしいのです」(p. 40)

非常に説得力のある考え方である。なぜなら、学術論文の審査の際には、論理よりも「審査員の感情」が思いっきり関係してくるからだ。

なにごとも、「知性と感情」「左脳と右脳」のバランスをとることが大切だと思った。





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呼吸している作品

影絵作家の藤城清治さんは95歳。

先日、秋田に出張した際、市内の美術館で開かれていた藤城清治展に入ってみたところ、係の人から「アンケートにご協力ください。藤城先生は必ず一枚一枚に目を通されますから」と言われ驚いた。

また、主催者「あいさつ」に書いてあった「ぼくの作品は生きているというか、呼吸していなければならないと思って描いている」という言葉が印象に残っている。

95歳にしてなお、フィードバックをもらいながら、「呼吸している作品」を生み出そうとする姿勢に感銘を受けた。






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