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『忘れえぬことば』(読書メモ)

大村はま『忘れえぬことば』小学館

伝説の国語教師・大村はま先生が、白寿記念講演会で語った5つの「忘れえぬことば」をまとめたもの。その中でとても印象に残った話がある。

戦後、大村先生が、それまで勤めていた進学校を辞め、中学校に移ったときのこと。教室は次のような状態だったらしい。

「子どもたちの方も戦争の間しばらく疎開していたり、ろくに学校に行かなかったり、学校があってもまだ勉強することができなかったりしていたわけですから、まるで野放しのように暮らしていました。ですから、ドアをあけて教室に入っていくと、中が真っ黒になるほど子どもがひしめいていて、飛び上がったり、騒いだりしています」(p.15)

学級崩壊どころの騒ぎではない。教材もない中、そもそも授業にならないのだ。教室がないため、二クラス100名の子どもを教えていたのだから無理もない。悩んだ大村先生は、恩師の西尾実先生(国立国語研究所初代所長)のところへ相談に行った。じっくりと話を聞いた後に、西尾先生は次のようにつぶやいたという。

本物の教師になるときかもなぁ

呆然と帰宅した大村先生だが、家にある古新聞を教材として使うことを思いつく。

「古新聞から、ここがちょっとひとまとまりになるのではないかと思う記事を、投書であれ、ニュースであれ、何であれ構いませんが、一生懸命探して切って、夜通し切って、新聞の余白に今で言えば手引きですけれども、そんな上等なものでなくて、何を書いたか覚えてもありませんが、子どもにさせる仕事を、みんなその横にちょっと書いて、そんなものを百枚つくりました」(p.18)

徹夜で教材を作った大村先生は、「今日はとにかくこれをやるんだ、これは勉強になることなんだ」と思って学校に向かった。少し長くなるが引用しよう。

「学校へ行ってみましたら、またみんなワーン、ワーンと、もうほんとうに犬の子か何かかと思うほど激しく百人の生徒は騒いでいます。教室の前の方へ行ってしばらく見ていましたけれど、そのとき、今でもだれとはわかりませんが、勢いよく走ってきた男の子があったのです。私は思わずばっと羽交い締めのように、抱いてしまいました。ぎゅーっとして、そしてその新聞紙を一枚、そこにはちょっと手引きが書いてありますね、それを渡します。そして、ちびた鉛筆を渡して、「これ、おやり」と言いました。

また向こうから一目散に飛んでくる男の子がいましたから、またばっと抱えました。そして七、八人もつかまえたでしょうか。ふっと見たらば、やや静かになっています。そのうちに、「おれにくれぃ」という子が出てきました。うれしい。その、おれにくれぃという子どもに新聞を渡し、ちびた鉛筆を渡してしまいますうちに、ふっと見たらたちまち、やや静かにして列をつくっていました。

(中略)少し静まった気がしましたから、さっきの子どもはどうしたかなと思って、最初の子どもが飛んでいったらしいところを見ました。そしたらその子どもがガラスなんかすっかり壊れてしまった窓のところで ― ガラスの枠がありますね、そこが鉄になっていました ― そこに新聞紙を当てて、何か一生懸命書いていたのです。

私はそこへ行って、ひょっと見ましたとき、思わず胸を打たれました。何というきれいな、澄んだ、清らかな、さわやかな顔で、目で、その新聞紙を読んでいることでしょう。私はそれを見て、ああ、人間の子どもは、よいものとか、高いものとか、とにかく学べるもの、自分が人間らしくなれるものを見た場合、どんなにそれに引かれて、そこに行きたいと思って、やれと言われなくても知らない間に、こんな美しい顔をするのかなと思いました」(p.20-22)

大村はま先生が、本物の教師になりはじめた瞬間である。

この話を読んで、誰もが「学びたい」という気持ちを持っていること、それを引き出すのが教師であり、指導者の役目なのだと思った。

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