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粘着力

『義経』を読んでいて感じたのが、現在の日本人の特色となっているものが、まだ平安~鎌倉時代には芽生えていなかったということ。

例えば「粘着力」。

「義経のこの当時、武士というものは勝ちに乗じたいくさでこそつよい。しかし、いったん浮き足だてば、いのちあっての物種ということばどおりわれさきにと逃げ散ってしまう。粘着力がなく、粘着力が日本の戦士の徳目にされるのははるか後生の、中世末期になってからである」(p.284)

歴史ものを読んでいて興味深いのは、国の文化の形成プロセスがわかる点である(もちろん、日本人の祖先の大半は農民や商人であり、武士の文化がどの程度日本の文化に影響を与えているかわからないが)。

逆に考えると、日本人の特徴である「粘着力」が、将来、失われる恐れもあるわけだ。日本人の強みを大切にしないといけない、と感じた。

出所:司馬遼太郎『義経(下)』文春文庫

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