「まぼろしの」と枕詞がつく「大仏鉄道」
『当時の関西(かんせい)鉄道の加茂と奈良を結ぶ延長9.9キロの路線の愛称。
明治31年開業してわずか9年の短い歴史だった。』(パンフより)
奈良駅への延伸で客足が減ったのが廃線になった理由らしい。
廃線跡巡りは人気で、私も過去2回ほど歩いた。
今日は途中木津川駅までの歴史ハイキング
途中小雨が降ったりやんだりだが大したことはなかった。
JR奈良駅
この古い駅舎は昭和9年の建築 2代目の駅舎だそうだ。(その前は木造だったらしい)
新駅舎建築に伴って現在の駅の北側のこの地に「引き屋」で移されたという。
ともかく風情あるこの建物が残ってよかった。今は観光案内所になっている。
市内にも小さい遺構が残る。
北向き地蔵尊 右)佐保川の中に橋脚の跡があるというので目を凝らす。
煉瓦の跡がなんとなく見えたような・・鉄道は斜めに走っていたらしい。
大仏鉄道を記念する大仏鉄道記念公園を過ぎる。
住宅の中の側溝にも煉瓦の遺構が。これは今回案内してもらうまで知らなかった。
黒髪山に架かる奈良県で一番高いところにある陸橋 この下に旧黒髪山トンネルがあったという。 右)説明番に写真があった。
黒髪山の由来になった垂仁天皇の皇后佐穂姫にまつわる話を聞く。
陸橋手前から山に入る。
聖武天皇の皇子「某皇子」の「那富山墓」基皇子ともいわれるがはっきりしないらしい。
この下り山道で、スズメバチ?の被害者が・・ 病院へ行かれたが、幸い大事には至らなくてよかった。この時期要注意。
近くにあったらしい予定の所はパスして・・ 藤原宮子についての話を聞く。
道路を挟んで親子の墓 昔は反対にいわれていたとか?
元明天皇陵 元正天皇稜
鹿川隧道 農業用水路が通る。 松谷川隧道 煉瓦積み 柵があった。
木津川市に入っている。
お昼、弁当を食べた公園で、ヤマボウシの実が赤く色づいて、低いところにあったものを食べた。
甘かった。
赤橋 鍛冶ヶ谷隧道
オオマツヨイグサ ガガイモ
鉄道跡は加茂まで続くが、今日は木津川駅へ。
広い幹線道路が木津川駅まで続く。造成中の土地の反対側には田園風景も残る。
以前はこのような風景が広がっていたのだろう。
チョウジタデ ヒレタゴボウ
モダンな木津川駅の駅舎 ゆったりとしたロータリー。
今日はまだ静かな駅前。大住宅地が完成すれば駅前は賑やかになることだろう。
『当時の関西(かんせい)鉄道の加茂と奈良を結ぶ延長9.9キロの路線の愛称。
明治31年開業してわずか9年の短い歴史だった。』(パンフより)
奈良駅への延伸で客足が減ったのが廃線になった理由らしい。
廃線跡巡りは人気で、私も過去2回ほど歩いた。
今日は途中木津川駅までの歴史ハイキング
途中小雨が降ったりやんだりだが大したことはなかった。
JR奈良駅
この古い駅舎は昭和9年の建築 2代目の駅舎だそうだ。(その前は木造だったらしい)
新駅舎建築に伴って現在の駅の北側のこの地に「引き屋」で移されたという。
ともかく風情あるこの建物が残ってよかった。今は観光案内所になっている。
市内にも小さい遺構が残る。
北向き地蔵尊 右)佐保川の中に橋脚の跡があるというので目を凝らす。
煉瓦の跡がなんとなく見えたような・・鉄道は斜めに走っていたらしい。
大仏鉄道を記念する大仏鉄道記念公園を過ぎる。
住宅の中の側溝にも煉瓦の遺構が。これは今回案内してもらうまで知らなかった。
黒髪山に架かる奈良県で一番高いところにある陸橋 この下に旧黒髪山トンネルがあったという。 右)説明番に写真があった。
黒髪山の由来になった垂仁天皇の皇后佐穂姫にまつわる話を聞く。
陸橋手前から山に入る。
聖武天皇の皇子「某皇子」の「那富山墓」基皇子ともいわれるがはっきりしないらしい。
この下り山道で、スズメバチ?の被害者が・・ 病院へ行かれたが、幸い大事には至らなくてよかった。この時期要注意。
近くにあったらしい予定の所はパスして・・ 藤原宮子についての話を聞く。
道路を挟んで親子の墓 昔は反対にいわれていたとか?
元明天皇陵 元正天皇稜
鹿川隧道 農業用水路が通る。 松谷川隧道 煉瓦積み 柵があった。
木津川市に入っている。
お昼、弁当を食べた公園で、ヤマボウシの実が赤く色づいて、低いところにあったものを食べた。
甘かった。
赤橋 鍛冶ヶ谷隧道
オオマツヨイグサ ガガイモ
鉄道跡は加茂まで続くが、今日は木津川駅へ。
広い幹線道路が木津川駅まで続く。造成中の土地の反対側には田園風景も残る。
以前はこのような風景が広がっていたのだろう。
チョウジタデ ヒレタゴボウ
モダンな木津川駅の駅舎 ゆったりとしたロータリー。
今日はまだ静かな駅前。大住宅地が完成すれば駅前は賑やかになることだろう。
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