今日は帰りにお水取り(修二会)のお松明を見るので、早めに奈良に来て、博物館で「お水取り」の展示を見る。
二月堂縁起の絵巻 東大寺の縁起
二月堂の修中練行衆日記には火事の記録が生々しく書かれていた。
法具や練行衆が着る紙子や上に重ねて着る重衣や袴、細かい布を縫い合わせた袈裟
紙子はすごく手間のかかったものとわかる。
木履(ぽっくり)韃靼帽なども目の前で見れた。
法螺貝も大きいものの他、個人が持つ荒貝という小さなものがあること。
修行中の食事の献立。
法具や道具いろいろ。
荒行 五体投地が行われる板。実際には見れないが膝を激しく打ち付けるらしい。
・・・と、いろいろ予習が出来た。
さて、午後からは奈良を巡る。
知らないところもたくさんあった。
「威徳井 井戸跡」聞いたこともなかった。押上会館敷地内にある小さい井戸跡だった。
中門跡から二月堂の方に向かう。
東大寺塔頭の1つ 龍松院
塀から使用済み松明?が覗いていた。 かわいい注連縄
瓦土塀が美しい。
二月堂近く。 後でこのあたりからお松明を見よう。
右)奈良時代に創建された大湯屋という建物。蒸し風呂のようなものだったらしい。
僧侶だけではなく、一般の人も入れたとか。
「湯屋で着る浴衣を包んだ布が風呂敷です」へえ~、そうだったのか。
東大寺 鐘楼
大釣鐘も鐘楼も国宝 釣鐘は国内最大級らしい。
まともに?衝くと響きすぎるので、衝木が当たる部分をずらしてあるとか・・
普段は午後8時のみ。 お水取り期間中は午前1時と午後7時に打つという。
東大寺開山堂の「糊こぼし」
白毫寺の五色椿 伝香寺の武士椿(もののふつばき)と共に「奈良の三大名椿」の1つ、
境内は入れないので外から覗き見 そばの水盤に浮かべてくれてある。
閼伽井(若狭井)
3月12日(13日深夜1時過ぎ)この井戸から本尊十一面観音菩薩にお供えするお香水を汲む行事が行われる。このことから修二会のことを「お水取り」という。
右)この閼伽井にまつわる話の中に出てくる ウ(鵜)が屋根の4隅に取り付けられている。
手向山八幡宮
奈良時代 聖武天皇が大仏造営をされた時、宇佐から勧請されて以来、東大寺を鎮守
オガタマ 樹下の苔の上に基部に紅をさした小さい花弁がたくさん散っていた。
お松明用の根付きの竹 修二会が始まる3月1日~14日まで、12日を除いて毎日10本のお松明が上がる。必要な竹の数も大変なものだ。12日は大松明 ひときわ大きい籠松明が11本に上がる。
竹が足りないらしい・・の声も。準備も大変だ。
まんなおし地蔵尊
運の悪さを直してくれるというお地蔵さま こんなところまで初めて来た。
1円を供えて、供えてある1円を持ちかえるといいとのことだが??
近くには西国33か所めぐりがあるらしい。
あちこちでイヌガシの花が見られた。総苞の中にいくつかの小花 雄しべの形も変わっているが細かくてよく見えない。イヌガシは雌雄異株で、これは雄花かと思ったが、白い雌しべのようなものも見える。帰って調べたら「雄花にも雌しべはあるが、結実しない」とのことだが、これはどちらだろうか?
二月堂 回廊をまわって下を見る。 広い芝生はお松明を見る1等席 誰もが入れるのではないが、友だちの紹介で一度中へ入れてもらったことがある。
中央の木が東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正ゆかりの「良弁杉」写真では上が途切れている。
お松明の先の「杉葉の燃え残り」災難よけのおまじないらしいので1ついただいて帰る。
長谷寺の「だだおし」の時にいただいた松明の木のかけらと共に、飾り棚の上へ。
なんという建物なのか?御手洗? この建物の上部に良弁僧正の物語を刻んだ彫刻があるというのを教えてもらった。
良弁は2歳のころワシにさらわれ、春日神社の杉に捨てられたのを助けられ、義淵僧正に育てられ、後に母とも再会したという。
一面には「ワシ」 「良弁と義淵 母親らしい人物」が彫られた面
義淵は岡寺(竜蓋寺(りゅうがいじ))を開いた僧
アセビが満開 サンシュユも満開
大仏殿へ。
今日は奈良の史跡を見、自然にも触れ、ムササビを見て、お水取りのお松明も見ようという欲張りスケジュール。
大仏殿近くでしばらくムササビを待ったが、お松明が始まりそうで、引き上げる。
先ほど見た場所から開始の7時の鐘の音を待つ。
鐘の音は思ったよりも小さかった。
小雨が降り始めた。
火のついた松明が向こうの端に見え隠れし、やがて近くの角に来て、しばしとどまって松明を燃やした後、ゆすって火の粉を散らす。
遠くからではあったが迫力があった。 すごい火の粉
遅くなるので、松明を6本ぐらい見てから帰った。
二月堂縁起の絵巻 東大寺の縁起
二月堂の修中練行衆日記には火事の記録が生々しく書かれていた。
法具や練行衆が着る紙子や上に重ねて着る重衣や袴、細かい布を縫い合わせた袈裟
紙子はすごく手間のかかったものとわかる。
木履(ぽっくり)韃靼帽なども目の前で見れた。
法螺貝も大きいものの他、個人が持つ荒貝という小さなものがあること。
修行中の食事の献立。
法具や道具いろいろ。
荒行 五体投地が行われる板。実際には見れないが膝を激しく打ち付けるらしい。
・・・と、いろいろ予習が出来た。
さて、午後からは奈良を巡る。
知らないところもたくさんあった。
「威徳井 井戸跡」聞いたこともなかった。押上会館敷地内にある小さい井戸跡だった。
中門跡から二月堂の方に向かう。
東大寺塔頭の1つ 龍松院
塀から使用済み松明?が覗いていた。 かわいい注連縄
瓦土塀が美しい。
二月堂近く。 後でこのあたりからお松明を見よう。
右)奈良時代に創建された大湯屋という建物。蒸し風呂のようなものだったらしい。
僧侶だけではなく、一般の人も入れたとか。
「湯屋で着る浴衣を包んだ布が風呂敷です」へえ~、そうだったのか。
東大寺 鐘楼
大釣鐘も鐘楼も国宝 釣鐘は国内最大級らしい。
まともに?衝くと響きすぎるので、衝木が当たる部分をずらしてあるとか・・
普段は午後8時のみ。 お水取り期間中は午前1時と午後7時に打つという。
東大寺開山堂の「糊こぼし」
白毫寺の五色椿 伝香寺の武士椿(もののふつばき)と共に「奈良の三大名椿」の1つ、
境内は入れないので外から覗き見 そばの水盤に浮かべてくれてある。
閼伽井(若狭井)
3月12日(13日深夜1時過ぎ)この井戸から本尊十一面観音菩薩にお供えするお香水を汲む行事が行われる。このことから修二会のことを「お水取り」という。
右)この閼伽井にまつわる話の中に出てくる ウ(鵜)が屋根の4隅に取り付けられている。
手向山八幡宮
奈良時代 聖武天皇が大仏造営をされた時、宇佐から勧請されて以来、東大寺を鎮守
オガタマ 樹下の苔の上に基部に紅をさした小さい花弁がたくさん散っていた。
お松明用の根付きの竹 修二会が始まる3月1日~14日まで、12日を除いて毎日10本のお松明が上がる。必要な竹の数も大変なものだ。12日は大松明 ひときわ大きい籠松明が11本に上がる。
竹が足りないらしい・・の声も。準備も大変だ。
まんなおし地蔵尊
運の悪さを直してくれるというお地蔵さま こんなところまで初めて来た。
1円を供えて、供えてある1円を持ちかえるといいとのことだが??
近くには西国33か所めぐりがあるらしい。
あちこちでイヌガシの花が見られた。総苞の中にいくつかの小花 雄しべの形も変わっているが細かくてよく見えない。イヌガシは雌雄異株で、これは雄花かと思ったが、白い雌しべのようなものも見える。帰って調べたら「雄花にも雌しべはあるが、結実しない」とのことだが、これはどちらだろうか?
二月堂 回廊をまわって下を見る。 広い芝生はお松明を見る1等席 誰もが入れるのではないが、友だちの紹介で一度中へ入れてもらったことがある。
中央の木が東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正ゆかりの「良弁杉」写真では上が途切れている。
お松明の先の「杉葉の燃え残り」災難よけのおまじないらしいので1ついただいて帰る。
長谷寺の「だだおし」の時にいただいた松明の木のかけらと共に、飾り棚の上へ。
なんという建物なのか?御手洗? この建物の上部に良弁僧正の物語を刻んだ彫刻があるというのを教えてもらった。
良弁は2歳のころワシにさらわれ、春日神社の杉に捨てられたのを助けられ、義淵僧正に育てられ、後に母とも再会したという。
一面には「ワシ」 「良弁と義淵 母親らしい人物」が彫られた面
義淵は岡寺(竜蓋寺(りゅうがいじ))を開いた僧
アセビが満開 サンシュユも満開
大仏殿へ。
今日は奈良の史跡を見、自然にも触れ、ムササビを見て、お水取りのお松明も見ようという欲張りスケジュール。
大仏殿近くでしばらくムササビを待ったが、お松明が始まりそうで、引き上げる。
先ほど見た場所から開始の7時の鐘の音を待つ。
鐘の音は思ったよりも小さかった。
小雨が降り始めた。
火のついた松明が向こうの端に見え隠れし、やがて近くの角に来て、しばしとどまって松明を燃やした後、ゆすって火の粉を散らす。
遠くからではあったが迫力があった。 すごい火の粉
遅くなるので、松明を6本ぐらい見てから帰った。