みどりの野原

野原の便り

4月11日 大福から穴師周辺  鬼瓦 石棺仏  

2015年04月11日 | Weblog
ぐずついていたお天気も回復した。
三十八柱神社(みそやはしらじんじゃと読む)

推古天皇の「小墾田宮(おはりだのみや跡」と伝わるという。
「小墾田宮」は飛鳥と思っていたが、宮司さんの説明では根拠とする地名や街道もあり,梅原猛氏も「小墾田宮跡 大福説」に共感され、立派な碑も建っていた。
梅原氏揮毫の碑は全国でもここともう1ヵ所だけしかないという。

泡子地蔵堂 
 
街道の辻に立つ。泡子地蔵堂は奈良県で2番目に古い地蔵さまだそうで、座像と言うのも珍しいらしい。火災後石膏を塗られたお顔は白い。 右)集落の端の地蔵堂 後背の6地蔵のお話などを聞く。

東新堂の環濠集落

室町時代には奈良盆地には220か所もの環濠集落があったという。

森本六爾氏の生家へ
森本六爾氏は現在の考古学の草分けの方で、満32歳の若さで亡くなったが、「学問としての考古学」の発展に寄与されたという。私は初めて聞く名前だった。
 
 森本六爾夫妻の顕彰碑  ご実家の建物は当時とほとんど変わらず残されているとか。

天満神社の後、河合肉店に立ち寄る。お昼前、いただいたコロッケは最高においしかった。

中宇木材さんは今は主に彫刻材を扱っておられる。
仏像や能面などの彫刻用に需要があるという。
仏像彫刻用には木曽檜が最高で。米檜も彫刻材になるとのこと。

午後は国津神社へ。
 
国津神社拝殿の鬼瓦には「文化11年 ミワ 瓦屋 五郎衛門」の銘があるという。双眼鏡で一部読めた。

ホケノ山古墳
古墳時代前期初頭の纏向型と言われる帆立貝形の前方後円墳 頂上から箸墓古墳を見る。

慶運寺
 
墓地の近くにある「石棺仏」         慶運寺裏古墳
石棺仏の石材は熊本県産の「馬門石(まかどいし)」阿蘇火山由来の赤っぽい色をしている。奈良には植山古墳の石棺など他にも使用例があるらしい。わざわざ遠方の石を運ばせて大和政権の力を示したか。 右)慶運寺裏古墳の中は意外と高さがあった。近辺にはこのような古墳がいくつかあったらしい。

 
寺の山門の鬼瓦は江戸はじめのもので(奈良県で?)一番古いものだとか。
西の京の利右衛門の銘があるというがわからなかった。
江戸時代には村に1.2軒は瓦屋があったらしい。古い民家の屋根にも立派な鬼瓦が載っていることがある。


サクラの花びらで飾られたテーブルとイス このシーズンならでは(慶運寺裏)

後、野見宿禰を祀る相撲神社から巻向駅へ。

  
川の土手はセイヨウカラシナでまっ黄色        オドリコソウ

 
        スミレ                  キランソウ
 
         アケビ                 ゴヨウアケビ 
ミツバアケビもあって、アケビ3兄弟そろい踏み。(ミツバアケビ撮り損ね)
コメント
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