大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

歴史を知らないと道を誤ります。そうして犠牲になるのはいつも市民、民間人。

2014-06-29 | 市民のくらしのなかで

集団的自衛権:誤りの道、繰り返すな 作家・早乙女さん

毎日新聞 2014年06月28日 22時45分(最終更新 06月29日 01時39分)

集団的自衛権の行使容認に向けた動きを批判する早乙女勝元さん=東京都内で、山田奈緒撮影
集団的自衛権の行使容認に向けた動きを批判する早乙女勝元さん=東京都内で、山田奈緒撮影

 敗戦から69年。戦争は遠くなった。悲惨さを知る人がもうあまり残っていない中で、実感の伴わない集団的自衛権の論議が進んできた。「自衛権、という言葉はまやかしだ」。大空襲を生き延びた作家、早乙女勝元さん(82)は言う。「戦闘権、というべきです。これはいつか来た道。歴史に学ばなくてはいけません」【山田奈緒】

 「若い人に『銃後』と言っても通じませんよ。数字の15と勘違いされる」と苦笑する。今も「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)の館長を務め、戦争体験の継承に力を注ぐ。だが、実際に継承していくことの難しさを感じてもいる。

 戦争になれば、戦場から離れた場所はすべて「銃後」となる。そこで何が起きたか。

 12歳だった1945年3月10日、父に起こされて外に出ると、真っ赤な火の海が見えた。リヤカーに家 財道具を縛り付け、焼夷(しょうい)弾が降る中を両親たちと逃げ回った。電柱がマッチのように火を噴き、人が火だるまになっていた。死が目の前にあった。 この空襲で10万人が死んだ。

 「聖戦を行う神国・日本」「神風が吹いて必ず勝つ」と教えられていたのに、町は焦土と化し、戦争の実態を知らされないまま民間人が犠牲になった。

 どうして戦争を止められなかったのか。母は「いつの間にか始まって、いつの間にか火の粉が降ってくるようになった」と答えた。「見えざる、聞けざる、言えざる」の状態で国民は戦争に動員されたのだ、と思った。

 戦後は工場勤務の傍ら戦争体験を本にまとめ、戦災資料センターの開設に尽力した。戦争で大切な人を亡くした遺族たちの証言を集め、講演などで「(戦争を)知っているなら伝えよう。知らないなら学ぼう」と訴え続けてきた。

 「戦争が恐ろしいのは、その本質が隠蔽(いんぺい)されることです」。議論が尽くされぬまま集団的自衛権の行使へと向かう今が、当時と重なって見える。

 安倍晋三首相は、集団的自衛権の類型を説明する際、パネルで母子を守るイメージを前面に出した。「きれいな面ばかりを見せている」と感じた。「自衛隊に死者が出るかもしれないこと、日本の基地が狙われる可能性が出てくることを言うべきです」

 国民が知らぬ間に戦争が始まっていた、という事態は阻止したいと考えている。「歴史を知らないと道を誤ります。そうして犠牲になるのはいつも市民、民間人。そのことを私は死ぬまで証言し続けます」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする