川内原発の再稼働差し止め仮処分訴訟の却下を受けて、反対派の学者(火山学者、ここは大活火山桜島の近くですから)がこう書いてます、巨大噴火についてはわからないことばかりだ、分からないことはわからないというのが科学的態度だ、どうしても原発を動かしたいのなら「リスクはあっても動かしたい」と言うべきだ、と。専門家はその業界知識にガチガチに縛られてますから、自分の意見を言う時には大体が視野狭窄なのです(専門バカ、バカの壁と呼びます)、そこは差し引いてやらねばなりませんが、それにしてもこの捨てゼリフはどうですかね。拗ねてるような幼稚な言い方で。リスクはあるけれど、どこかで折り合わねばならぬと言うているんでしょう規制委は。ゼロリスク指向を振りまわすほうが非現実的で空想的です。だから創らなければゼロだ。再稼働しなければゼロだ。そう言いたいのですが、もうそこにあるんですよ。故障も何もしてないインフラを大事に動かせばいいじゃないですか。そういう危険(リスク)を抱えて生活するんでしょう?災害国に住む身とすれば。違いますかねぇ。
加瀬邦彦さん、以前に胃癌の手術して、最近は下咽頭癌の手術してたそうです。ということは声が出ない、あるいは食べられない状態。闘病に疲れて、という表現なのでしょうが、関係筋から自死と発表されたそうです。自死、自殺、自裁と言い方は色々あって、それぞれに定義づけがあり、関係団体からの提言もあるようですが、心の内は本人しかわかりません。他人の介入の濃い薄いの問題ではないことでしょう。死ぬ自由ってのそろそろ認めるべきじゃないのでしょうか。
加瀬邦彦さん、以前に胃癌の手術して、最近は下咽頭癌の手術してたそうです。ということは声が出ない、あるいは食べられない状態。闘病に疲れて、という表現なのでしょうが、関係筋から自死と発表されたそうです。自死、自殺、自裁と言い方は色々あって、それぞれに定義づけがあり、関係団体からの提言もあるようですが、心の内は本人しかわかりません。他人の介入の濃い薄いの問題ではないことでしょう。死ぬ自由ってのそろそろ認めるべきじゃないのでしょうか。
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