東京マラソン見てました。公務員ランナー大失速。今までのタイムじゃぁとても世界には通用しないですからロンドンに行けるとしたら情実出場ですか、判官贔屓というか、エリートへのルサンチマン的大衆迎合というか。日本人トップ(こういう言い方が平気になってきました、昔よく高校駅伝の一区で使われていたセリフです、外人たちには敵わないから日本人の順位で言いましょうと。情けないことです。外人呼ぶなよ。日本人だけでやれよ。そうすりゃしたで井の中の蛙になってしまうという屁理屈でしょう。世界を肌で知れ!なんてね。日本人だけじゃ視聴率も金も人も呼べないってわけです、あの箱根だってそうですから。高校駅伝の一区には外人使っちゃダメになりましたね、いつもいつも同じ結果になるからです)が7分台、五年ぶりの7分台!世界が見えた!と叫んでましたが、なんともレベルの低いこと。世界記録は3分台です。皇帝と呼ばれているゲブレなんとかがこれまた大失速して、それでも8分台です、アナウンサー言ってましたよ、この人の祖国エチオピアには4分台の選手が3人もいるとかで、下手なタイム出していたらこの皇帝様もロンドンに出られなくなるのだそうです。このレベルの違いはどうだ?埋まりませんかねぇ。埋まらないんでしょうねぇ。
あちこちで孤立死の報道です。餓死です。40代の母親がクモ膜下出血で死んでいて、一緒に住んでた知恵遅れか何かの障害児4歳の子がが餓死してた、傍で猫も死んでたという話。他には姉妹とか母娘で住んでいて金に困ってどうにもできずに死んでいたという話。そして報道はいつも同じ流れです、福祉はどうした?役所は助けないのか?個人保護法がいけない。プライバシーの壁が高すぎる。だからこうなってしまう。どうにかならないのか?御大層な有識者やらコメンテイター達が眉を顰めて非難して、「では次の話題です」ですから。何の解決も指向しない非難の為の非難、マニュアル通り。政治が悪い、お上が悪い。行政(生活保護)もマイク向けられて(珍しく今回見た時は女の部長か課長でしたが、言うことは同じでした)答えるだけです、行政としては申し出があって初めて対応できることだ、と。そしてこういう方向に話が行きます、生活保護を受けるのが恥ずかしいと思っているからいけないと。新聞の解説委員までが悲しい顔して言ってます。それが当然でしょうに!恥ずかしいと思いなさい。申し訳ないと思いなさい。そっちのほうが普通です。大阪を例にとるまでもなく、日本全国で生活保護を安易に受ける奴らばかりだそうです。自分に仕事がないから当然だ、働けないから当然だ。それが昂じて、働かなければ受けられる筈だ、定収がないことが証明できれば受ける権利があるとなってます。もちろん識者たちはそういうことは知ってます、ですから言います、本来受ける必要のない者、受けられない者にまで配給しているからこうなるんだ、本来の意味で給付を受けるべき、本当に困っている人、本当に金のない人、本当に助けの要る人まで手が回らなくなるのだ、今回のような悲劇が起きるのだと。で、そこで終わりです。何の解決策でもありません、状況説明しているだけです。こういう世の中にしたのは誰なのか?生活格差賃金格差の拡大が原因ですか?社会の所為にしてもそこから進みません。小学校の学級会と同じレベルです「本人の自覚が必要だと思いまーす」。生活保護を受けることが権利として胸を張れることですか?そう言う、節操も覚悟も恥も何もない厚顔さ自分勝手さが世の中を潰してきたのでしょう。日本人の背骨を砕いてきたのでしょう?生活保護を受けることは恥ずかしいこと、恥ずかしくて外を歩けないという思い、そういう根本的な心根、価値観を共有しないと、この制度自体が破綻します。してます。それが現実です。生活保護受けてる連中が車乗りまわす、煙草ふかして、酒食らってる。少しは申し訳なく思いなさい。少しはしおらしく倹しく生きなさい。手続きさえ間違ってなければそれを行政も拒否しない。それは手続き踏まなければ動かないということです。制度がきちんと機能していないのに放置するは立法府(議会)の不作為です。そう言う非難は当然あるのですが、現場でのもっと有効な対応があるでしょうにということです。しかし生活保護に限らず、世の中のこういう社会的インフラへの非難は同じ物言いで堂々巡りです、こうです、皆がみんな悪い奴じゃない、まじめにやってる者(警官、役人、医者等々)も沢山いる、だから制度がいけないわけじゃないのだ。で、変わらない。同じことがまた起こる。その繰り返しです。生活保護受けるとは何たる情けないこと。恥と知れ。人に迷惑かけるな、人に後ろ指差されるようなマネはするな、というのと同じ重さで、そういう思いを国民全員が共有して初めて、それでも能わぬ者には社会が(国が)助けの手を伸べる。そういう順番でこそ国民の生命と財産を守るという国の構えが生きるわけです。国民の心根がドロドロに腐っていて、守るものもクソもないことです。何とも幼稚な社会であることです。どこまで低劣愚邪に合わせなければならないのでしょうか。虐待を受けている幼児や今次の「真の」生活困窮者に対して、行政がドアを蹴り破って介入し助けてやれば、それはそれで一つの結果だったわけです。どこかの役人が勇気を持って一度やってみたらいいんです。頭でっかちな有識者達がどう言うか聞いてみたいもんです。歯がゆいこと。どっちを向いてもそう思います。
あちこちで孤立死の報道です。餓死です。40代の母親がクモ膜下出血で死んでいて、一緒に住んでた知恵遅れか何かの障害児4歳の子がが餓死してた、傍で猫も死んでたという話。他には姉妹とか母娘で住んでいて金に困ってどうにもできずに死んでいたという話。そして報道はいつも同じ流れです、福祉はどうした?役所は助けないのか?個人保護法がいけない。プライバシーの壁が高すぎる。だからこうなってしまう。どうにかならないのか?御大層な有識者やらコメンテイター達が眉を顰めて非難して、「では次の話題です」ですから。何の解決も指向しない非難の為の非難、マニュアル通り。政治が悪い、お上が悪い。行政(生活保護)もマイク向けられて(珍しく今回見た時は女の部長か課長でしたが、言うことは同じでした)答えるだけです、行政としては申し出があって初めて対応できることだ、と。そしてこういう方向に話が行きます、生活保護を受けるのが恥ずかしいと思っているからいけないと。新聞の解説委員までが悲しい顔して言ってます。それが当然でしょうに!恥ずかしいと思いなさい。申し訳ないと思いなさい。そっちのほうが普通です。大阪を例にとるまでもなく、日本全国で生活保護を安易に受ける奴らばかりだそうです。自分に仕事がないから当然だ、働けないから当然だ。それが昂じて、働かなければ受けられる筈だ、定収がないことが証明できれば受ける権利があるとなってます。もちろん識者たちはそういうことは知ってます、ですから言います、本来受ける必要のない者、受けられない者にまで配給しているからこうなるんだ、本来の意味で給付を受けるべき、本当に困っている人、本当に金のない人、本当に助けの要る人まで手が回らなくなるのだ、今回のような悲劇が起きるのだと。で、そこで終わりです。何の解決策でもありません、状況説明しているだけです。こういう世の中にしたのは誰なのか?生活格差賃金格差の拡大が原因ですか?社会の所為にしてもそこから進みません。小学校の学級会と同じレベルです「本人の自覚が必要だと思いまーす」。生活保護を受けることが権利として胸を張れることですか?そう言う、節操も覚悟も恥も何もない厚顔さ自分勝手さが世の中を潰してきたのでしょう。日本人の背骨を砕いてきたのでしょう?生活保護を受けることは恥ずかしいこと、恥ずかしくて外を歩けないという思い、そういう根本的な心根、価値観を共有しないと、この制度自体が破綻します。してます。それが現実です。生活保護受けてる連中が車乗りまわす、煙草ふかして、酒食らってる。少しは申し訳なく思いなさい。少しはしおらしく倹しく生きなさい。手続きさえ間違ってなければそれを行政も拒否しない。それは手続き踏まなければ動かないということです。制度がきちんと機能していないのに放置するは立法府(議会)の不作為です。そう言う非難は当然あるのですが、現場でのもっと有効な対応があるでしょうにということです。しかし生活保護に限らず、世の中のこういう社会的インフラへの非難は同じ物言いで堂々巡りです、こうです、皆がみんな悪い奴じゃない、まじめにやってる者(警官、役人、医者等々)も沢山いる、だから制度がいけないわけじゃないのだ。で、変わらない。同じことがまた起こる。その繰り返しです。生活保護受けるとは何たる情けないこと。恥と知れ。人に迷惑かけるな、人に後ろ指差されるようなマネはするな、というのと同じ重さで、そういう思いを国民全員が共有して初めて、それでも能わぬ者には社会が(国が)助けの手を伸べる。そういう順番でこそ国民の生命と財産を守るという国の構えが生きるわけです。国民の心根がドロドロに腐っていて、守るものもクソもないことです。何とも幼稚な社会であることです。どこまで低劣愚邪に合わせなければならないのでしょうか。虐待を受けている幼児や今次の「真の」生活困窮者に対して、行政がドアを蹴り破って介入し助けてやれば、それはそれで一つの結果だったわけです。どこかの役人が勇気を持って一度やってみたらいいんです。頭でっかちな有識者達がどう言うか聞いてみたいもんです。歯がゆいこと。どっちを向いてもそう思います。
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