長女の結婚式でした、京都から夜遅くに戻りました。花嫁の父の役でした。おそらくダメだろうと十分に予想はでき、そうなることは想定内のことでしたが、二人が式場に入場する、そこでもうダメでした。悲しいわけではないのです、娘をとられるなんて思いは少しもないのですが、この雰囲気に負けてしまうのでした。いえ、強がりではなく。でも、今時の結婚式、先日久しぶりに結婚式に出て、他人様のことで涙したことはここでも書いたのでしたが、今時はビデオなのです、これがいけません。子供の頃の写真を編集して字幕が入るわ、ナレーションが入るわで、いけません。そこに若い頃の私も居り、女房もいる、これがいけません。見ているだけでこみあげます。もちろん向こう(新郎新婦)はその目的でやってくるのですから、その手に乗るか、と構えればいいのでしょうが、ダメです。まんまとはめられます。思う壺です。あっけらかんとこのセレモニーを楽しんでいる娘にすっかりしてやられました。言葉や音楽の力は大きいのですが、加えて視覚に訴えられるとヘナヘナです。結婚式場もあの手この手なのでしょうが、この辺りがすでにスタンダードになっている業界事情でした。来年には役を替えて息子の結婚式です、こちらはまた感じが違うのだろうとおもうことでした。主役の両親も舞台装置、演出道具の一つなんですね、そう思い知ったことでありました。
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いいお式だったようですね
今度ビデオみせて下さい是非(笑)
わたしはいつも〝思う壺〟側に居る人なので〝まんまとはめられた人〟を見ると幸せな気持ちになります
おいしい話ありがとうございました