柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

出よ!

2008-05-28 08:43:20 | Weblog
途上国の食糧危機、食糧がなくなるわ高騰するわの暴動騒ぎに対して慈悲深い、世界協調を旨としている、先進裕福国を自認している日本は50億円を救援金として送るんですって。何でもいつでも金、金、金。余っている古米をこの際だから放出したらどうなんですかね。その為にはげんなりするほどの役所手続きがいるんでしょうね。でも、さすがにそんなことはできないですか、自国人も食わない古米を送るなんてできない経済大国の見栄、それとも少しは現況に対する、食糧危機は対岸の火事なんかじゃないことに対する認識があるのでしょうか、古米は今こその備蓄だなんてね。それなら現物支給なんてできませんわ、金です金。でも、食糧のないところに金持っていっても、食い物横流して独り占めしている連中が私腹を肥やすだけでしょう。それがわかっていて先進国の体面だけで金をわんさかバラ撒く。ばらまくんなら撒く先を考えなさいよ、50億もの金、年金問題やら医療保険、医療体制・・足踏みしている問題が山とあるじゃないですか。どうにも前例主義、金満時代踏襲主義から抜け出せないんですね。今、ここでなにをすべきかを考えられないんです。どいつもこいつも役人頭です。もう金満時代じゃありませんよ、経済大国なんかじゃぁありませんよ、右肩上がりが続いているんじゃないですよ。そこを認めたがらぬのです、官僚ばかりでなく議員どもも皆そうなんですから。司馬遼太郎の歴史小説は司馬史観なんて呼ばれて人気があります。確かに元気が出ます、勇気が湧いてきます、どの本読んでも期待を裏切られません。司馬さんの考えは、明治の遺産を昭和の政治家達が食い潰した、その特徴はリアリズムのなさだと断ずるところに特徴があり、昭和前期(終戦まで)を暗黒期と位置づけます。この歴史観には多くの賛同者がいるのですが、同じ数だけ反対者もいます。小説読んで高揚感に浸っている者には一も二もなく「ああ、そうなんだ」と思ってしまうことなんですが、昭和初期にも楽しく生きていた人達も多かったわけで戦争遂行過程の無茶無知無体とあの結果は歴たる事実ですが、真っ暗なんかじゃなかったというその時代を生きてきた人の話を聞けばそうは塗りつぶせないことなんだろうなと思うことなのですが、いやリアリズムの話でした、日清日露で勝利した事実にしがみつき、戦争自体が変化していることにわざと気付かぬ振りをする、神風を何時までもしかも絶対に信じている、明治の体制を引きずる変えない変えられない、空っぽの精神論は兵器の開発更新にも支障を来す、という馬鹿馬鹿しさです。今こそがそのリアリズム欠如の最たる場面じゃないですかね。小回りが全く利かない硬直した行政運営、どう硬直しているかといえばひとえに前例主義の悪弊。そして坂を駆け上がっていた時代の、アメリカを抜こうかという勢いのあった時代の味を忘れられない、どうせまた元に戻るさ、日本人は優秀なんだなんていう現状を無視した楽天主義(これこそが神風信仰なのですが)。今、ここ、を見ようとしないんですいや、見ているんですよ、見ているんですが、今だけでしょう?どうせまた元に戻りますよなんて考えてるんです。食糧危機が余所の話じゃないってことぐらいわかっているのに、金があればどこかから買えるさなんてまだ思ってるんです。ここです、リアリズムというのは。日本人の特性ですか。明治維新を為し明治国家をつくり運営してきた元老達が長州薩摩の下級武士あるいはもっと低い身分の人間だったから、現実に即した対応ができたのだという論には肯かざるを得ませんか。官僚にはできぬことなんでしょう、そういう仕組みに慣れた奴らにはね。出よ、逸材!!(小泉ではダメです、あしからず)
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4 コメント

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教えてください (MU)
2008-05-28 10:03:52
最近のブログの内容然り然りと拝読させていただいています。教えてください。長崎市長を殺害した人が死刑で東京の歯科医の息子が妹を殺害して切り刻んだ事件が懲役7年の刑なのですか。7年たったら刑務所から出てくるのですか。長崎の事件は理解できます。後者の方が人として理解の範疇を超えているような気がするのです。身内の人には申し訳ないのですが2度と世の中に出てきてほしくない。心に更生の見込みのない暗部を持っているような気がするのです。政府や官僚と等しく司法も今の日本の現状についてこれてないんでしょうか。
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MU様に (書翰子)
2008-05-28 19:11:15
いつも御意見を有難うございます。お教えできることなど何もありません、私は言いたいこと書きたいことを書き並べているだけで管見に過ぎませぬ、ですからどうぞ田舎の天の邪鬼の極論とお読み下さいませ。ただの町医者に過ぎませぬ故。さて、ご指摘の兄が妹を殺した事件、浪人重ねていた兄貴に飛んでる妹がきつい言葉突き刺して、逆に刃物で突き刺された顛末でしたね、親は一方的に妹を庇護するようなコメントばかりだしてました。この馬鹿息子が、という態度でしたね。今日の新聞によれば多重人格という精神病持ちであるから罪一等減ずるという処理がなされたようです。MU様仰言るように、この殺人者にとっては人権擁護なんて見地から法に沿った正しい処置なのでしょうが、こっち(社会)からみればこんな危ない奴とんでもないですわね。こっちも早く消してくれ、ですね、そう思います。家族内の出来事(他人を殺したわけじゃないです)であることが罪状の小さくなる要因なんでしょうね。多重人格というのが本当なら(鑑定医、特に精神科の鑑定医なんてのはいい加減ですからね、本当かどうかわかりません、本ばかり読んで人を診ない学者様でしょうから)裁判所での応対も小心者そのものでしょう、心証が悪くならないのも肯けます(光の母子殺人事件はその逆でした、裁判官をおちょくっているような弁護団のやりかたでした)。また、長崎事件や光事件のような世論の後押しもないでしょうし。死刑判決が続いて、厳罰化が危惧されるなんて論評も聞こえる昨今の裁判事情ですが、このケースは従来の加害者に甘い(加害者の人権優先)判決が許されるものだったんでしょう、慣習に従って裁判官も楽に判決を出せたんじゃないんでしょうか。仰言るように長崎の犯人の方が、個人的な恨み(民主主義への恨みなんかじゃないですよね)であるだけ社会全体から見ればより安全ですか、こっちの兄貴のようにいつ殺人狂の人格が現れるかわからないような奴を野に放しておくより。そういう意味では理に合わぬことではありますが、暴力団員と多年浪人して鬱屈していた素人という対比もありますし。危険度ではきっとこの兄貴の方が高いのでしょうが、光、長崎と極刑が続いた後というタイミング、年若い素人の初犯、家族内犯行などなど情状酌量の余地が大きい分、加害者人権尊重に向いて強いバイアスがかかったということなんでしょう。野には危険が満ち満ちているということです。裁判は正義や社会の安寧を目的とはしていないのです。こちらが勝手にそう思い込んでいるだけのことなのです。そう思います。
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そうなんだァ~ (MU)
2008-05-29 15:46:10
ありがとうございます。そうなんだァ~は今私の口癖です。十人十色 百人百色みんな違ってみんないい(金子みすずの詩はあまり好みではないのですが)昭和のDNAが芯までしみついている身にとって理解しがたい正しい基準があるということを最近思い知らされる場面が多くて判断の自信がない時このフレ-ズを使います。この件もそうですね。お話の筋の理解はできるが肝が納得しない。さすれば
私の親愛なる親族縁者がこの手の奇妙な災難にあわないように祈るだけです。
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MU様に (書翰子)
2008-05-29 19:43:04
仰言るとおりに、こんな田舎で(都会にいても同じことでしょうが)カリカリ怒っていても世の中変わりませんし、わかったような講釈垂れてしたり顔していても馬鹿はすぐそばを闊歩していきます。願わくば、馬鹿狂人の類の手にかからぬことを、なんですが、逆説的に言えば、老醜を晒して病気の林を歩く前にすっと消えることができるなら敢えて挑発するのも手段かも知れないと思うことです。安楽死とやら尊厳死とやら言葉だけが空回りしている現況に鑑み、死ぬ権利を遂行するには自裁の他にはこの手でしょう。いや実はこれは選択肢の一つだろうなと本気で思っているのです。いかがでしょうね。
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