柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

ショート

2008-11-16 09:28:04 | Weblog
巨人上原のメジャー指向は昔からの公言でしたし、原が嫌っているのもこれまた公然の秘密みたいなことですから、今更という感じですが、中日川上も出ていく(こちらは落合と反りが合わぬのでしょう)そうです。偉いさん達、張本とか大沢親分とか、がまた嘆くことなんでしょう、資源の流出だって。仕方ないですね、もっと上(と本人達が思っているんです)がある限りは、そして何よりイチローがあれだけトップ張ってるんです、魅力に溢れているんでしょう彼らにとっては。もう一人中村紀洋もFA宣言して出るみたいです。なんでもサードは森野に固定するそうでノリの居場所がなくなるからだとか。おうおう、二岡の追い出しと同じ手口ですか。でもこんなことでしたよね今までこの世界はどのチームでも。新人が出てくると、前にいた者が追い出される必定。二岡が来たときには誰でしたか、川相でしたか。川相は元木には勝ったのでしたが。阪神鳥谷のときは藤本が割食いました。この中村の時に追われたのが森野でしたから、形は取り戻したってわけです。各チームのエース級が出ていきます。やがてこうなることではあったのでしょうが、国際化、規制緩和という美辞麗句は、ドラフト制度が失敗している(少なくとも日本では)現状が証明しているように、弱いところを補うようには機能しません、強いところにどんどん集まって「格差」拡大するばかりなのです。自由公平平等を維持するためには規制抑圧という不自由が不可欠という皮肉です。
 中国新聞が、先の10月25日に広島に黒い花火を打ち上げた「アート」を再び採り上げ、妙に賞賛しています。どういう意図なのかしら、何が言いたいのかしら。作者(なんでしょう)は中国人です、これまた微妙。前にも書きましたが、ピカッ!と飛行機雲で書いたゲリラ集団とどれだけの違いがあるというのでしょうか。前もって関係者に連絡していたか否かだけでしょうにね。お役所の手続き主義と自己正当化性癖を見る思いがします。普通に見れば悪趣味、独善に過ぎぬと思うのですが、これをアートなんて括れば批判を避けられると踏んだのでしょうか。「まずは広島の人々が伝えてきた痛みの記憶を受け止めて、それを自分の得意な技術で表現するのがアーティスト」だそうで、「火薬は武器になるけど想像力を使えば美しいアートにも変えられる」と言い、「広島がその様に感じてくれた結果」なんだそうです。ヒロシマ賞受賞者ですからね、そう勘違いするのもわからぬではないですが、所詮アートと自ら持ち上げるモノにはまがいモノが多いという、極々ありふれた笑い話ではあるのでしょう。気持ち悪い、悪趣味。心に沸き上がる感情はこれでしょうに。どうしてごまかすんでしょうね、世の文化人達は。
 先の空幕長(正確には航空幕僚長だそうです、略語も難しいことです)論文をめぐる論説、ここでは左系新聞の捉え方をあれこれ書きましたが、右系新聞のそれを評価せねば片手落ち(放送禁止コードに抵触する単語です)です。いつも言い訳するように当地には産経新聞の配達がありません、離島の如く何日か遅れで郵送購読するしかないのです、のでこのタイムラグは十日の菊と笑いながらお許し願いたいのですが、右系の雄はこう書きます。11日の社説は他の左系新聞と違い戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)から見た視点です、彼の論文内容の比較対象となり政府見解となっている村山談話自体が東京裁判史観を色濃く反映したもの、日本の教育界や政界がいまだにその呪縛から抜けきれない状況にあるのは異常だと断じています。戦争を美化してはならぬが、戦後の価値観で日本の過去を裁くこともしてはならない、当時の国民がどんな価値観をもって行動したかを理解する姿勢が必要である、と括っています。この論も、この論文のどこが悪いのか(どこが問題なのか)に触れず、持論にすり替えている嫌いは否定できませんが、こういう「爆弾」がどこかで破裂してくれることは(またまた譬えが過激でしょうか)保守雑誌の中でしか、そしてその読者にしか伝わっていないであろう東京裁判批判論、反自虐史観がいきなり思わぬ所で脚光を浴びたという意味では歓迎すべきことなんじゃないんでしょうか。が、これだけ生の言葉で、いわば稚拙に言いっ放されると、今まで地道に史実の誤りを積み上げて自虐史観に反対してきた人達(本来は味方してくれる人達)が鼻白んでいます、例えばよくTVに流れる秦さん。単純な事実の誤りが多い、なんてね。この人も内容への言及は避けてますが。そうなんです、つまりは誰も言わない。言えないんですね、あの論文の何がいけないのか。文民統制だの、言論の自由のはき違えだの、任命責任だのという方向にすり替えているだけ。村山談話の良し悪しの評価を誰もしない。政治屋連中は手を出したくないんでしょうね。向こうは戦前戦時真っ黒史観(多分に司馬遼太郎の影響が強いです)、少しでも批判すれば二言目には皇国史観だの戦前戦時への回帰だのと煽るばかり、こっちは東京裁判こそが元凶で、産経新聞の社説ではないですがその呪縛から早く脱却しろというすれ違いのままにだらだらとうち過ぎているわけです。不毛といえば不毛のままに六十有余年。こういうスパークが必要なんでしょうが、これを奇貨にできるかという意味では少しく稚拙に過ぎて保守論壇も助太刀しにくいというのが現状でしょうか。花火になりきれず、このまま消えていくショートでしたか。
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1 コメント

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追加します (書翰子)
2008-11-16 12:04:42
ダラダラとすみません。田原聡一郎の番組で空幕長論文問題を採り上げていました。どうせ左ばかり揃えて戦争反対の、文民統制のとやるんだろうと見ていたら、あらら呼ばれているのが志方氏と潮氏といった保守論客、対するは軍事評論家という肩書きの左翼田岡氏の三人。それに左翼名だたる田原聡一郎で始まりました。どういう意図だろうかと訝しく思ってましたが、なるほど田原はこの問題に政治家もマスコミも腰が引けて本点に迫ってないと言いたかったのでした。だから保守論客を二人も呼んできたというわけでした。この二人しっかり言ってくれました。対して田岡氏、もともとこういう物言いの人ですがバタバタ。個人攻撃したり、どっちが間違っているのかわからない自分の歴史認識を披露したり。田原さんも困ってました。へぇ田原さんも言い放すだけじゃないのね、と見直したことでしたが、自分の言いたいこと(誰もが事の本質を避けていること)を示すセッティングではあったわけです。自分では言いにくいことを言わせるために二人も呼んだということでした。でも、向こうよりじゃない、こっちよりの話になっていたこと、これは特筆すべきと思い追加しました。
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