小沢さんには総理にしてもらった恩義があるんだそうです、鳩山さんの心変わりの理由です。いい歳したオヤジが(もっとも義理人情に歳は関係ありませんが)ベッタリ宣言しているのです。小沢依存症は重症なんですが、本人が望んでもい、抜けようとも思わず、居心地がいいんだもんと喉ゴロゴロ鳴らしてるのを見ると、あらら、えらい奴を総理大臣にしていたんだなと呆れもし、傀儡政権とはこのことかと改めて感じ入るし、小沢さんさぞや笑いが止まらない何カ月だったんだろうなと思うことです。陳情先を幹事長に一本化したり、一年生議員を運動部の新入生扱いしたり、それもこれも権力強化、権力集中の手続きだったのであり、参院選で勝って総理選(代表選)に勝つという盤石のシナリオに沿ったものだったわけです。民主主義は数ですから、と言って憚らない人です。多数決=民主主義との飛躍、短絡に則っての定義ですが、この言葉を聞くたびに違和感と嫌悪感が湧きあがります。代議員による多数決が国会での決定手続きですから、そこから逆算すれば(他の要素を全て捨象すれば)数です。馬鹿でも(それを陣笠議員と世論は皮肉ってきたのですが)数居りゃ勝てる。そこだけに狙い定めている手腕、それは選挙に勝つという具体、そこには金と恫喝と。小泉郵政解散総選挙の時もそうでしたが、昨夏のその真逆の民主党大勝の際も、馬鹿がたくさんバッジをつけてゲンナリしました。でも、数なんですね。お前達は何も考えずに賛成しろ、反対しろ。今次の「ねじれ国会」見ていると、野党が反対のための反対を繰り返して国政の滞ること甚だしいのですが、山岡さんの如き露骨且つ下品に権力闘争口にする、こういう時にだけ喜々として張り切ってる連中見ると、こういう奴らだからバッジ付けてるんだという逆向きの皮肉で気持ちを収めるばかりですが、がっかりしますね。代議員制というのは国民を代表する「優れた」「天下国家を考えられる」人が集まって初めて意味意義のある制度です。その先に(その基本に)民主主義という概念があるのですが、馬鹿集めて多数決で決めるなんて、これを衆愚政治といいますが、吐き気を催しますね。民主主義が最上の政治形態なんかじゃない、これより他にないからやっているだけだとはチャーチルの言葉でしたか。優れた人物に独裁(専制)を任すのが一番幸せなのだとは、皮肉ではなく真理のように思います。鼓腹撃壌。理想を追えばきりのないことですが、少なくとも現在の政治模様は遥か遥かに下のレベル、そこに権力闘争の権化が最後の勝負に出ている。下世話な面白味は認めますが、早く何とか国民を安心させてくれ、というのが優しい有権者の願いでしょうか。
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