柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

本音

2011-08-13 09:05:42 | Weblog
京都大文字送り火ドタバタ劇、二転三転します。大文字保存会が陸前高田の松を放射線汚染が怖いと拒否したところ、世間の反発食らって、五山送り火連合会が受け入れを決定、すると新たに送られてきた松から放射性セシウムが検出されて再度拒否、京都市長が謝ってます。食品には何の問題もないからと付け加えて。検出されたセシウムの放射能は542,588ベクレルだったそうです。こういう時に限って基準値を併記しないのが新聞ですが、500あたりじゃなかったですか。先に送られてきて、上記いきさつで送り返されて、被災地の迎え火に焚かれた松は放射能検出されなかったのでした。何たる皮肉と言うか、絵に描いたドタバタ劇です。保存会(最初に断った人)のヘッドがインタビューに応えてました、放射線が撒き散らされて琵琶湖に落ちる、琵琶湖が汚染されると大問題になるからという、「風が吹いたら桶屋が儲かる」以上のこじつけでした。二度叩きました、京都のギラギラの排他主義の為せる行為だと。放射線が検出されない松(薪)だったんですよ最初のは。撒き散らされる筈もないものです。これこそ迷信、風評、いわれのない差別です。もっとももう一つ遡れば、こんな松を大文字の送り火に使おうなんて考え(偽善そのものです)を提案した奴が悪いということにもなりましょうか。絆だかつながりだか何だかは知りませんが、この甘ったるい空気に乗じたこじつけだったんでしょうが、いい迷惑したのが京都当局だったという絵です。ゼロ信仰(「ゼロじゃないと許さない」宗教)の最たるものを見せつけられました。清潔(潔癖)主義、安全第一主義(事なかれ主義)。500ベクレルなんてのはきっと何の問題もない量であって、どれだけ焚くのかは知りませんが16日夜に燃やされ舞い上がったセシウムがどれだけの量琵琶湖に届くのか、そしてあの大量の水に薄められてどれだけの濃度になると言うのか。ちょっと考えたら大丈夫じゃないの?となりますわね。でも、京都は拒みたかったんです。理由として最高のものが見つかったんです。これでよかったんです。いい迷惑だったんですからこういう提案自体が。京都を汚したくなかったんです。観光業界がうるさかったんですきっと。強行すれば、鵜の目鷹の目で重箱の隅をつつく連中が必ず出ます、琵琶湖のどこそこで放射線検出!なんてことになれば海水浴客や観光客はガタ減りでしょう。何と言っても近畿の水瓶ですから琵琶湖は。と、こうやって役所的言い訳はいくらでも付くわけですが、何と言っても今現在の「みんながつながってがんばろう!日本」モードの空気には簡単には逆らえません、全国区の知名度のある祭りや催しは特にそうでしょう、一般大衆は偽善を吐けばいいのですから。「弱い者、低い所にみなみな合わせろ」の強制には容易に抗えません。行くも戻るも非難を浴びるなら、と言う決断を迫られていたところへ、微量でも放射能が検出されたは僥倖、実は市長(府知事もきっと)は安堵の胸をなでおろしているやも知れません。このイベントで琵琶湖汚染という結末が最悪のことですから。何度も面白くない話題を採り上げましたが、このいきさつは如何にも日本らしいと思ったのでした。そして、被害被災地(者)には同情するが、こっちには来るな、という厳とした排他主義を見たことでした。我が身の安全が確保されてこその同情であるわけです。偽善でもあるわけです。よーくわかりました。
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