柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

来方

2022-02-13 11:00:09 | Weblog

岡山で愛知で幼児殺害事件が続きます。愛知のは無理心中(本人は死に切れぬとはよくあるパターンです)、岡山のそれは虐待、報道見てると監視カメラが設置されてたそうでつまり札付きの母親だったというわけで、児相がちゃんと応対してた例だったんでしょう、それでも起きる。猫に魚の番をさせてるんです、こんな譬えが不適当とは思いますが一番当たってます。施設などよりは実の母親の傍が一番いいだろう、当の母親からの要請は断れない、これが児相(行政)の常識的対応です。が、こうやって何人も何人も幼い子が抵抗するすべなく殺される。常識からはとうに外れている連中なんです。児相側の言い訳は幾通りも聞いてきましたが一言に尽きます、鬼畜親の人権の高い高い壁です。いかに鬼畜で常識外れであっても親権という奴です、当人の要請を行政は拒めない。いや、拒めるように法改正すれば簡単なことですが、ここにまた次なる人権弁護士やら人権議員やらが立ち塞がる。よく言う、被害者よりも加害者の人権尊重規範です。虐殺の連鎖ってのを理由に子殺し母親に罪一等減ずる判決が出たように報道されてます、自分が虐待されて育てば我が子に対してもそれが当然になる、だから虐待親鬼畜親にも情状酌量の点はあると。そりゃそうですわ、所詮ヒトは自分の経験でしか世の中を見られませんから。だからどうやって断つか。仰々しい肩書のえらいさん達があれこれ言うてますが何の解決にもなってません。断てないでしょうねぇ、そんな者は子を産むななんては到底届かぬことですし、そういう環境にある者こそ年若くして子を為しこういう事件を起こすのですから。年若くして子を為す、なんて表現するから見て見ぬふりになるんでしょうね、その実は皆わかっているようにふしだら自堕落な暮らしの顛末でしかないのです、そうなるしかなかったという環境下にあったにせよです。雑多猥雑な社会。いつの時代も色んな階層の群があり、それぞれの文化を生活圏を形成して生きてきているのです。現代だけが眉を顰める時代じゃないことです。その原因は生活格差収入格差に収斂するような論調を多く聞きますが、それこそ現代に限ったことではありません。否、格差という意味ではもっとひどい厳然たるものがあった時代の方が多いのですから。別世界別社会のこととして互いに干渉しないが通用してた時代と、万人平等公平の人権社会との違いでしょうか。どの社会どの階層の人にとっても縁なき衆生は存在します、そして度し難いわけです。それを無理に寄ろうとし過ぎてるのでしょうね、これでもかと分厚い偽善の仮面をかぶって皆が。これこそがPCの本質ですが。

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