柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

時代

2017-04-05 08:26:01 | Weblog
私もくどいですが気になります腹が立ちますこのマニュアル第一方針が。北朝鮮がミサイルまた飛ばしたというニュースで、テロップに「飛しょう体」です。どうして飛翔体と漢字にしない?大翔やら翔馬やらキラキラネームの時には平気で漢字表記しているのに、どうしてこっちは「しょう」?天翔る馬、なんても書きますよね。理由はあるのでしょうよ、固有名詞とは区別しますとか何とか。くだらぬというより本当にいいかげんにしろよそのダブルスタンダードは。漢字文化を汚すな、ですね。
 朝ドラ、昭和39年東京オリンピック当時が背景です、北茨城の田舎から父親が出稼ぎに出てる家族の設定です。内容ではなく、電話の場面による時代考証です。電話を借りに行く、それはダイヤル電話ではなくて有線電話(私たちはこう呼んでましたが正式にはどうなんでしょう)です、東京に繋がるまで少なくとも30分待つ、この隔世感。ああそうだったなぁと思い出すことです。小学1年から3年生まで京都にいました、昭和39年は小学2年生でした、まだ家に電話がなく、隣家(といっても路地から表通りに出て何軒目という距離です)に借りに行くのです。電話を借りるという表現でしたね確かに。京都の市内に居ました、それでも周りは電話のない家ばかりでした、一家に一台には程遠い普及状況です。でもダイヤル電話、あの馴染みのある黒電話でした。あちこちに公衆電話がある時代でもありません。わざわざ「電話ですよ」と伝えに来てくれるのです、それを受けて「はいすみません」と走っていく。のどかな時代ですわね。こちらからかける時も同様です、すみません電話貸して下さい、とよそ様の家を訪問するのです。当時は大概玄関口に電話が鎮座ましましてましたから、居間にまで上がり込むことはなかったんでしょう。私は鮮明に思いだせます、電話を借りに行った時の情景を。小学4年時に柳井に転校して来ました、こちらは有線電話でした、ダイヤルじゃなく。受話器とると交換手が出る、何番お願いしますと告げる、すると繋いでくれる、という代物でした。こっちにかかる時は電話が喋るのです、何番何番って。はいはいと取る。リンリンと呼ぶんじゃない頃もあったですよ、小学高学年時分です。市外に掛けると料金が高いって夜8時以降に掛けてましたよね、大学生時分に家からかかってくるのはいつも8時過ぎてからでした。そうか、電話事情で時代が語れるんだなぁと感心することです。
コメント
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