柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

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2016-05-08 09:45:39 | Weblog
TVは何も言いません、新聞も片隅の記事です、興味がない、ニュースソースとして重要でないという判断なのでしょうが、ロンドン市長にムスリムが就いたそうです。こうなるとそう言うよなと誰でも考えるような見出しがついてます、ロンドンは多様性を選んだと。多様性なんて身振りが大きいだけで空っぽの単語に誤魔化すのはやめるべきと思うのですが、よく使われる安直な常套句です。ムスリムが負けてればそれこそ話題にもならなかったですが、多様性に対する言葉は正統性、伝統、あるいは排他性などになるのでしょうか。文化の違う人が近くにいないので実感はまるでないのですが、日常生活上の違いは大きいことでしょう、知る限りはラマダンやら豚肉はじめとした食材の制限、女性の服装くらいですが、これだけでも「受け容れる」と簡単に言いますが、こちら(元々の現地人)からすればどうしてそちらに合わせねばならぬ?の憤りは消えるものではないでしょう、日常生活上の違いだから尚のことです。曽野綾子がそこを指して、せめて住居は別にするべきだと産経新聞に書いて、差別の何のとあちこちから筋違いの馬鹿馬鹿しい批判を受けていたのは記憶に新しいですが、食事入浴排泄様式の違いは最大のストレスでしょう。いえ、このムスリム市長が生類憐みの令のようなコーラン条例を繰り出してロンドンをムスリム化するだろうなんてアホを考えているんじゃないです。記事は教えてくれてます、ロンドン市民860万人のうちアジアアフリカ系の二世三世が45%(!)を占め、12%がムスリムだと。ああ、こんな人口構成であるなら、この結果もむべなるかな、です。正統とか伝統とかが判断基準ではないのです、単純に数の多い少ないで決まることです。若い頃不思議だと思ったことです、オリンピックやサッカーのW杯で、アメリカには黒人が多いのは違和感無いのですが、フランスやイギリスに黒人が多いこと。代表選手ということはその国の人です、英仏にどうして黒人が?大相撲のように帰化したのか、それにしても多いな。中国人卓球選手が自国の代表になれぬからとヨーロッパの国々の国旗背負って出てきますね、これも国籍変えてるんですね。ケニアやエチオピアの自国の代表になれぬ陸上選手が他国に帰化するのも最近では多く聞きますし、この目的でと思ってたことでしたが違うんですね。元から英国人フランス人なのです。移民が子を産めば国籍が与えられたというわけです。この背景で、この結果。不思議でもなんでもないということなのでしょうが、白人英国人たちはどう思うのでしょうか。アメリカほどの差別があるんじゃないんでしょうかね。英仏では移民への対応が違うとテロの度に勉強しましたが、イギリスではコミュニティーを分けているんですよね。ムスリム街、ムスリム地区があるとか。フランスはそういう分離をせずに同化を強いると。政教分離の厳格さも知りました。世俗主義、ライシテ。ひとえに歴史の差文化の差です。異民族、異文化民族が共生融合するなんて絶対できぬことだと思うたことでしたが、もちろんその基盤は宗教の違いです。ここが日本人、日本文化の中で育った私たちには実感のないことなのです。他所者があれこれ穿鑿せずともいいことなのですが、同じイギリス人というそのただ一点だけで、手続き上の書類上のことだけで繋がってる危うさってないのでしょうかと思うわけです。日本的に言えば流れている血が違う、育ってきた環境がまるで違うのですが、45:55なんて現実なら主従はもはやないのでしょうね。保守党と労働党が政権を争うようにキリスト教とムスリムが相拮抗するだけのことなのでしょうか。でも現実問題としてどちらが我慢を強いられるかという場面になるんじゃないのでしょうか。と、対岸の火事が大きくなるのを待っている気分は大マスコミと同じではあります。
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